パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

そこのけそこのけ、聖火防衛隊がゆく

2008-04-10 23:08:41 | Weblog
 中国は、青い服を着た、聖火防衛隊なるものを各国に派遣して聖火リレーを妨害するものを排除しているのだそうだが、その排除しようとしている防衛隊を現地の警官がまた排除しようとしていたりしているそうで、亡くなられたチベットの方々には申し訳ないが、抱腹絶倒だ。

 しかし、先ほどのNHKのニュースに、現代中国史に詳しい大学教授とやらが出てきて、ダライラマと中国当局は、それぞれ対外アピール合戦をしているのだ、と解説していたが、ダライラマはわかるが、中国当局が本気で対外アピールをしているとはとても思えない。誰がみたって、あれで諸外国の支持が得られるなんて思わないだろう。それは、中国当局だっておなじはずだ。

 モンゴル史が本職の岡田英弘氏によると、中国人が外国人に向かって外国人を非難している時は、もちろん、その外国人とけんかをしているときもあるだろうが、ほとんどの場合、中国人に向けたお芝居なのだそうだ。そうしないと、足下をすくわれるのだ。だとしたら、現政権の対チベットの強硬姿勢も、もしそうしなかったら自分たちの立場がやばいので、そうしているのだということになる。

 普通の人には到底理解しがたい、あの対チベットの強硬姿勢は、実際、そう考えなければ理解できないだろう。ポーズだけでもダライラマと話し合ってもいいだろうし、普通の国だったらそうするだろうに、それすらしないのは、たとえポーズでも、柔軟姿勢を示したら、それにつけこまれてしまうのだろう。つけこまれて、食べられちゃったりするかもしれないから、そりゃあ、必死だろう。

 ということは、結局、現政権の強硬姿勢は、中国人民の意志を味方に付けようと、どこか、別の勢力と争っているわけだが、中国は2000年の昔からずっとこれをやってきたのだ。

 中国人は、これを、われわれの民主主義だというのだが、実は詭弁なのだ。実際には、民草は、権力者の覇権争いの犠牲に供せられているだけなのだ。そして、その舞台が四川省や山東省だというのも、相変わらずだ。四川省などは、何度も人影が絶えてしまうほど、多くの人民が、権力争いの道具となって殺されてきた。しかも、問題は、そのことに中国人民自身が気づいていないことだ。自分と、自分の同族以外なら、どんなに残酷に殺されようが、どんなに大人数の人間が殺されようが、まったく関心がない。笑って見ている。まして、チベット族においておやだ。中国国内で何が起きているか、想像するだに恐ろしい。

 魯迅は、この中国人の極端なエゴイズムをなんとか是正しようとしたのだが、結局失敗した。相互不信を前提にしてしてできあがっている社会だから、無理と言えば無理だったのかもしれないが。

 しかし、驚くべきことは、海外に在住し、その地の市民権を得て、その国の国民になっているはずの中国人もまた、国内の中国人と同じだということだ。メディア規制がなく、真相がわかっているはずなのに、声高にチベット人を非難する。中国人はどこにいたって中国人だということはわかっていたが、若い女性が、目の前に証拠を突きつけられても平気で無視することには、本当に驚いた。中国の外で暮らしているのだから、中国国内の動向など無視できると思うのだが、対人不信が行動基準であることが、遺伝子レベルで習い性になってしまっているのだろうか。要するに、真実というものに何の価値も置いていない、そういう文化なのだろうが…。

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