パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

人生、何が起きるかわからない

2009-06-14 19:34:01 | Weblog
 人生、何が起こるかわからない。

 九回2死、ランナー1,2塁でA・ロッドが平凡なフライを打ち上げ万事窮すと思ったら…というのもそうだけど、三沢光晴がバックドロップを受け損ねて死んでしまうとは!

 最後の言葉は、レフェリーに「身体は動くか?」と聞かれて答えた、「動かない」だったそうだが、「受け身の天才と言われたオレとしたことが、失敗しちゃったな~」とでも思っていたのだろうか?

 しかし、三沢って好きだったなあ。プロレスラーの中では、ケンドーカシンの次に好きだった。

 最近はエルボーばっかりだったけど、素顔は普通のおっさんなのに、リングに上がると、とたんに2枚目キャラに変身する。

 身のこなしが「さっそう」となってしまう。

 「男はつらいよ」の寅さんとその辺は共通する。

 寅さんも、実は、キャラクター的には2枚目。

 そもそも渥美清自身がそういう「顔はアレでも心は2枚目」路線の役者なので、純粋にコメディアンをやらせると、全然さえない。

 話がずれたが、今朝、サンデープロジェクトを見ていたら、田原が北朝鮮問題に絡んで、アメリカの対北の態度が手ぬるいことを指摘して、「大体日本は甘くみられているんだよ!」と周囲を煽りまくっていた。

 しかし、アメリカ(をはじめとする国際社会)に甘く見られているということは、見方を変えると、それだけ信用されているということでもある。

 つまり、「無茶はしない」とわかっているから、客観的には「無視」しているように見えることもある。

 それで気がついたというか、思ったことは、田原のような態度をこそ「自虐的」と言うのだ。

 南京問題とか従軍慰安婦問題で、一時期脚光を浴びた自虐史観批判勢力が結局ぽしゃってしまった原因も、「自虐的だ!」と非難する自分自身こそが、実はもっとも「自虐的」であること、そのことに気づかなかったところにあるのだ。

 ではなんで、気づかなかったかというと、「自虐史観」なんて命名した時点で、そのパラドックスに「気づく」可能性は、早死にしてしまった坂本多加雄氏を除き、ほぼゼロだったのだ。

 …と、いい年して煽動に必死の田原を見てそう思った。

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