大晦日の「朝生」は、近来になく面白かった。
シュンペーターの名前もちらりと出てきたし。
ただシュンペーターが「デフレが構造改革を進めると」いう論陣を張ったことまでは言及しなかったが、でも話は結局その方向に進んだ。
うさん臭い雰囲気の、「経済コラムマガジン」というブログがあって、うさん臭いが、時々なるほどと思わせることが書いてある。
数日前にも「構造改革」について、こんなことを書いていた。
話は明治維新直後のいわゆる「松方デフレ」で、西南戦争で官軍、反乱軍双方が政府紙幣や藩札を刷ったため、戦後、市場が混乱したのを松方が整理したところが、整理しすぎてデフレが起き、没落した地方の自営農家の子弟が都市に出て労働者になったことを「構造改革」の成果だと、構造改革主義派の歴史学者は言ったんだそうだ。
なるほど。
だとしたら、松方デフレこそ、今日の日本の原型なのかもしれない。
自営農家が没落して、その子弟たちは都会に出て労働者になる一方、居残った自営農家はより大規模な少数の自営農家(地主)と、それに雇われる小作農家に分離した。
それが太平洋戦争で進駐してきた占領軍は、大規模な自営農家の所有する農地を取り上げ、小作農家に分け与えた。
しかし小作農家は資金がなかったので、農協が設立され、盛んに融資を行い、技術発展もあいまって、生産高はめざましく上昇したが、そうするとどうしても単価が下がるので、減反を実施して米価の下落を防ぐとともに、減反に協力した農家には協力金が配布された。
もちろんこんなことを続けていたら米農家に未来はないのだけれど、手付かずのまま30年経過し、今回、TPPが押し寄せたわけだが、田原によると、農協は表向き猛反対しているが、実際は、政府の補助金が引き上げられればTPPはぜんぜんOKなんだそうだ。
なるほど、それはそうにちがいない。
自民党が「聖域なき自由化=関税ゼロ」を交渉参加の条件である限り、TPPへの交渉参加はしないと言っているが、すべてが関税ゼロとするのでは、どの国も交渉に足踏みするだろうし、聖域は「あり」に決まっている。
とするならば、米が真っ先に「聖域」とみなされるだろうことを、農協は確信しているだろう。
もし、聖域がないとわかれば、交渉はしないわけで、TPPなんか、農協はぜんぜん怖くないわけだ。
私は最近、米をぜんぜん食ってないので、いや、昼飯でタツヤの牛丼弁当を食べているが、家ではぜんぜん食べてないので、あまり関係ないのだが、国には「国家的トラウマ」というのがあるそう。
それは、国として絶対に再び経験したくない傷のことで、アメリカは、「真珠湾の悲劇」なのだそうだ。
貿易センタービルにテロが突っ込んだときも、真っ先に思ったのは「第2の真珠湾か!」だそうで、それでブッシュはイラク戦争に突入した。
ドイツの場合は、第一次大戦後のインフレだそうで、あれでナチスが台頭したと信じて疑わない。
イギリスの場合もインフレらしい。
肝心なのは日本だが、日本の国家的トラウマはなんだろう?
アメリカの国家的トラウマが真珠湾だというのは、十数年前に雑誌「諸君」で、かなり有名な歴史学者の座談会で話題になったのだが、そのときも、肝心の日本のトラウマに話が及ばなかった。
なんでだろうと思うが、しょうがないので、独断で言うことにする。
それは、娘たちの身売りが相次いだ昭和初期のデフレにおける、地方農家、特に東北地方の農家の貧窮化ではないか。
東北地方の貧窮化だけは、ぜったいに二度と見たくないという思いがあり、それを克服できないまま、大震災がやってきてしまった。
たまたまある大学院生の研究論文をちょっと目にしたことがあるのだけれど、それによると、戦前の東北地方、特に米作農家は、第二の朝鮮という扱いだったらしい。
要するに差別されていた。
近畿以南の人々の感覚はよくわからないが、小林信彦が、東北弁を売りにしていた喜劇人、伴淳が、「なぜか関西喜劇人協会の会長になっている」と書いているように、関西人は東北弁に対するアレルギーのようなものはないのだろうが、その代わりに、朝鮮やに対する差別意識が抜きがたくあるような気がする。
朝鮮人や民対するそういう感覚は、東京人にはない代わり、すぐ隣に接している「東北人」に対しては、そういう気持ちが微妙に残っているような気がする。
今の震災報道なんか、そういう気持ちが負い目になって、「奇跡の一本松」だのを「東北の希望」などと持ち上げるが、東北人で実際にあれを見て勇気付けられている人がいるかどうか、聞いてみたいものだ。
なんだか話がすっかりそれてしまったが(毎度だが)、私が書きたかったのは、「朝生」で、反リフレ派の研究者が出ていて、その彼に、竹中が「あなたはデフレを本当に脱却すべきだと思っているのか、正直な気持ちを聞きたい」と問い詰めたのだ。
その研究者は即答できず、言葉を選んで「デフレがすべて悪いというわけではない」と白状した。
はっきり言って、今、インフレ目標に反対している人は、今のままデフレが続いていてぜんぜんかまわない人たちで、だったら、このままでいい、構造改革なんかも必要ないと言い切るかと思うと、そういう人に限って「構造改革は絶対に必要」と言ったりする。
別にそんなに深い意味があって言っているわけではないと思うけれど。
後、もうひとつ、竹中が原発に関して、何より大事なのは自由化なのだが、自民党は、選挙公約に自由化を掲げていない。理由は何か、と出席していた自民党の議員(片山某)に聞いたら、「微妙な問題でお答えできない」と答えていた。
ということは「自由化はやらない」ということだが、今の体制を維持しなければならない理由は何なんだろう。
森永一郎が、「政府が核兵器を作る道を確保しておきたいからだ」と言っていたが、その可能性もある。
しかし、森永が「だって石原は核シミュレーションをしよう、なんて言っているんですよ」と言っていたが、核シミュレーションなんか、防衛省でとっくにやっているだろう。
むしろ、そのことを隠したままでいるのが一番よくない。
その意味で言うと、反原発派が、電気会社が事故が起きた場合のシミュレーションをつくることを、「原発が危険だと開発側が認めている証拠だ」と言ってつぶしてしまったのが、今回の事故の主要原因だとすら、私は思う。
少なくとも広瀬隆は、そう言っていた。
それで、電力会社がシミュレーションを控えたのだとしたら、それもまた変な話だが、ともかく、反原発派が正しかったという、普遍的に見られる報道姿勢は、まったくよくない。
反原発派にも責任はあるのだ。
シュンペーターの名前もちらりと出てきたし。
ただシュンペーターが「デフレが構造改革を進めると」いう論陣を張ったことまでは言及しなかったが、でも話は結局その方向に進んだ。
うさん臭い雰囲気の、「経済コラムマガジン」というブログがあって、うさん臭いが、時々なるほどと思わせることが書いてある。
数日前にも「構造改革」について、こんなことを書いていた。
話は明治維新直後のいわゆる「松方デフレ」で、西南戦争で官軍、反乱軍双方が政府紙幣や藩札を刷ったため、戦後、市場が混乱したのを松方が整理したところが、整理しすぎてデフレが起き、没落した地方の自営農家の子弟が都市に出て労働者になったことを「構造改革」の成果だと、構造改革主義派の歴史学者は言ったんだそうだ。
なるほど。
だとしたら、松方デフレこそ、今日の日本の原型なのかもしれない。
自営農家が没落して、その子弟たちは都会に出て労働者になる一方、居残った自営農家はより大規模な少数の自営農家(地主)と、それに雇われる小作農家に分離した。
それが太平洋戦争で進駐してきた占領軍は、大規模な自営農家の所有する農地を取り上げ、小作農家に分け与えた。
しかし小作農家は資金がなかったので、農協が設立され、盛んに融資を行い、技術発展もあいまって、生産高はめざましく上昇したが、そうするとどうしても単価が下がるので、減反を実施して米価の下落を防ぐとともに、減反に協力した農家には協力金が配布された。
もちろんこんなことを続けていたら米農家に未来はないのだけれど、手付かずのまま30年経過し、今回、TPPが押し寄せたわけだが、田原によると、農協は表向き猛反対しているが、実際は、政府の補助金が引き上げられればTPPはぜんぜんOKなんだそうだ。
なるほど、それはそうにちがいない。
自民党が「聖域なき自由化=関税ゼロ」を交渉参加の条件である限り、TPPへの交渉参加はしないと言っているが、すべてが関税ゼロとするのでは、どの国も交渉に足踏みするだろうし、聖域は「あり」に決まっている。
とするならば、米が真っ先に「聖域」とみなされるだろうことを、農協は確信しているだろう。
もし、聖域がないとわかれば、交渉はしないわけで、TPPなんか、農協はぜんぜん怖くないわけだ。
私は最近、米をぜんぜん食ってないので、いや、昼飯でタツヤの牛丼弁当を食べているが、家ではぜんぜん食べてないので、あまり関係ないのだが、国には「国家的トラウマ」というのがあるそう。
それは、国として絶対に再び経験したくない傷のことで、アメリカは、「真珠湾の悲劇」なのだそうだ。
貿易センタービルにテロが突っ込んだときも、真っ先に思ったのは「第2の真珠湾か!」だそうで、それでブッシュはイラク戦争に突入した。
ドイツの場合は、第一次大戦後のインフレだそうで、あれでナチスが台頭したと信じて疑わない。
イギリスの場合もインフレらしい。
肝心なのは日本だが、日本の国家的トラウマはなんだろう?
アメリカの国家的トラウマが真珠湾だというのは、十数年前に雑誌「諸君」で、かなり有名な歴史学者の座談会で話題になったのだが、そのときも、肝心の日本のトラウマに話が及ばなかった。
なんでだろうと思うが、しょうがないので、独断で言うことにする。
それは、娘たちの身売りが相次いだ昭和初期のデフレにおける、地方農家、特に東北地方の農家の貧窮化ではないか。
東北地方の貧窮化だけは、ぜったいに二度と見たくないという思いがあり、それを克服できないまま、大震災がやってきてしまった。
たまたまある大学院生の研究論文をちょっと目にしたことがあるのだけれど、それによると、戦前の東北地方、特に米作農家は、第二の朝鮮という扱いだったらしい。
要するに差別されていた。
近畿以南の人々の感覚はよくわからないが、小林信彦が、東北弁を売りにしていた喜劇人、伴淳が、「なぜか関西喜劇人協会の会長になっている」と書いているように、関西人は東北弁に対するアレルギーのようなものはないのだろうが、その代わりに、朝鮮やに対する差別意識が抜きがたくあるような気がする。
朝鮮人や民対するそういう感覚は、東京人にはない代わり、すぐ隣に接している「東北人」に対しては、そういう気持ちが微妙に残っているような気がする。
今の震災報道なんか、そういう気持ちが負い目になって、「奇跡の一本松」だのを「東北の希望」などと持ち上げるが、東北人で実際にあれを見て勇気付けられている人がいるかどうか、聞いてみたいものだ。
なんだか話がすっかりそれてしまったが(毎度だが)、私が書きたかったのは、「朝生」で、反リフレ派の研究者が出ていて、その彼に、竹中が「あなたはデフレを本当に脱却すべきだと思っているのか、正直な気持ちを聞きたい」と問い詰めたのだ。
その研究者は即答できず、言葉を選んで「デフレがすべて悪いというわけではない」と白状した。
はっきり言って、今、インフレ目標に反対している人は、今のままデフレが続いていてぜんぜんかまわない人たちで、だったら、このままでいい、構造改革なんかも必要ないと言い切るかと思うと、そういう人に限って「構造改革は絶対に必要」と言ったりする。
別にそんなに深い意味があって言っているわけではないと思うけれど。
後、もうひとつ、竹中が原発に関して、何より大事なのは自由化なのだが、自民党は、選挙公約に自由化を掲げていない。理由は何か、と出席していた自民党の議員(片山某)に聞いたら、「微妙な問題でお答えできない」と答えていた。
ということは「自由化はやらない」ということだが、今の体制を維持しなければならない理由は何なんだろう。
森永一郎が、「政府が核兵器を作る道を確保しておきたいからだ」と言っていたが、その可能性もある。
しかし、森永が「だって石原は核シミュレーションをしよう、なんて言っているんですよ」と言っていたが、核シミュレーションなんか、防衛省でとっくにやっているだろう。
むしろ、そのことを隠したままでいるのが一番よくない。
その意味で言うと、反原発派が、電気会社が事故が起きた場合のシミュレーションをつくることを、「原発が危険だと開発側が認めている証拠だ」と言ってつぶしてしまったのが、今回の事故の主要原因だとすら、私は思う。
少なくとも広瀬隆は、そう言っていた。
それで、電力会社がシミュレーションを控えたのだとしたら、それもまた変な話だが、ともかく、反原発派が正しかったという、普遍的に見られる報道姿勢は、まったくよくない。
反原発派にも責任はあるのだ。
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