パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

いい子どもほど、早く死ぬ

2011-04-19 23:21:54 | Weblog
 通学途中の小学生6人が、居眠り運転のクレーン車にひかれて死亡した。

 いたましい限りの事故だけれど、死んだ子どもたちを、「活発で、友達がたくさんいて、人気者だった」とか報道するのは、今回に限らないが、どんなものか。

 実際に「いい子」だったかもしれないが、そうだとしても、そんなことは、「事故報道」の埒外の話だろう。

 もしかしたら、死んだ子どもは、ものすごい乱暴者で、意地悪で、クラスの嫌われ者で、「死んでよかった」と思われているかもしれないが、そうだとしても、それは「事故報道」の埒外であることと同じ。

 東北大震災の被害者たちを、褒め称えるのも同じことだ。

 今日、テレビを見ていたら、自身も被災者の一人である地元のテレビ記者が登場し、その献身的な「取材ぶり」を取材、褒め称えていた。

 こういう態度が、戦前の戦争報道で、「勇み足」を犯させたのではないか。

 たとえば、「百人切り報道」なんかだ。

 「日本は一つ」の意識を一般人が抱くのは、まあ、日本人としてはしょうがいないというか、それが日本人のいいところと考えてもいいのだが、報道記者は断じてそうであってはならない。

 「いらないものを買わないように」というAC広告は、まさに「欲しがりません,勝つまでは」ではないか。

 こんな簡単な事実にも気がつかないバカが報道記者をやっている。

 「いらないものを買わないように」というのは、元来,戦前隆盛した一灯会とかいう、多分法華経系列の新興宗教のスローガンでもあり、「タバコのヤニをとる」で有名な、スモカの広告をつくったことで有名な広告デザイナーが熱心な信者で、「必要以上のスモカを買うな」という広告をつくった。

 広告デザイナーとしては、極めて優秀で、現在でも充分通用するセンスを持っていたのだが、それは、実際はナチスの政策に一致するものだった。

 今の「日本は一つ」を推進するAC広告だって、「そうではない」とは言い切れない。

 というか、広告業を志すものは、すべからく、ファシズム的センスを生来もっているような気がする。

 だから、問題は「知識人」の動向なのだが、それがさっぱり芳しくない。

 被害者、被災者は皆善人、という恣意的レトリックのファシズム性を、ズバリ、指摘することができるのは、「知識人」しかいないと思うのだが。

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