パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ハロゲンストーブの正しい使い方

2008-12-18 17:53:35 | Weblog
 ハロゲンストーブの「正しい(?)」使い方は、股火鉢のように、ストーブを抱え込むようにするのがいいらしい。

 というか、それ以外ない。

 人間の身体は、表が熱くて裏(背中側)が冷たいという状況には耐えられるが、右半身が熱くて左半身が冷たいという状況には耐えられないのだ。

 いや、なかなか「教育的」な暖房機具だ、ハロゲンストーブは。

 どこかの地方都市で、子供達がサッカーや野球の練習場として使っている空き地に警察が官舎と建てるということで、子供達が反対の署名を集めている絵がテレビで流れていたが、そもそも警察官って、官舎に住むことに決まっているのだろうか?

 小学生時代、近くに警察の官舎があった関係で、同級生の三割近くが警官の子供だった。

 それで、その官舎に遊びにいって、腐った畳を踏み抜いたことを覚えているが、それはそうとして、警察官はみんな官舎に住んでいるというイメージがある。

 もちろん、高級キャリアは、別だと思うし、全員が官舎に住むことという決まりがあるわけでもないだろうが、いずれにせよ、官舎に住む必要なんかないだろう。

 普通にアパート、マンションに住めばいいではないか。

 そうすれば、治安にだっていいだろう。

 女性の悲鳴を聞いて知らんぷりということは、多分、警察官だったらないだろう。一応、訓練は受けているはずだし。

 しかし、なんでこう身内で固まりたがるのか、日本人は。身内でなくても、擬似的に「身内」をつくって固まりたがる。

 ハッキリいって、「田舎者」の感覚なのだ。

 夏目漱石の「坊ちゃん」をはじめとして、漱石はなにかというと、田舎者を罵倒する。 

 最初、読んでいてちょっと異常じゃないかと思った。

 というのは、漱石自身、精神が尋常ではなかったことが知られているので、どうもそこらへんで問題がごっちゃになってしまうのだが、「田舎者」に対する批判は、それとは別に、制度的な問題として考えてもいいように思う。

 漱石の精神の異常ということで思い出したが、漱石夫人の話によると、漱石の書く文字の大きさで、漱石の精神状態がわかったという。

 文字が大きくなると「ヤバい」のだそうだ。

 反対に、精神が安定してくると、文字がものすごく小さくなるんだそうだ。

 文字がでかいと、「やあ、元気そうだ」とか、「さすが、大物だ」とか言ったりするので、漱石の場合も、文字が大きくなると快方、小さくなると悪化という風に考えがちだが、そうじゃないのが面白い。

 書く文字が小さいので有名なのは、ベンヤミンだ。

 彼の場合は常に小さいのだが、著述に熱中すればするほど、虫眼鏡でなければ判読できないくらいに、文字が小さくなるのだそうで、本人によると、文字が小さければ小さい程、自分の書いた文章を一望に見渡せるので、「よい」のだそうだ。

 多分、漱石の場合も同じだろう。

 文字が小さければ小さい程、世界観が大きくなるのだ。

 もちろん、この「方程式」は、漱石やベンヤミンの場合はそうだというだけで、一般的に、文字の小さい人は世界観が広く、文字の大きい人は世界観が小さいというわけじゃないけれど。

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