パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

なんか世間が“変”では…

2007-01-29 00:08:58 | Weblog
 グレーのG4は今のところ至極快調。音が静かなのが有り難い。
 パソコンの故障を防ぐため、また匡体を汚さないためにも、購入以来、禁煙実行! 今日で四日目くらいか…意外に長続きしている。
 本格的なヘビースモーカーではなくて、自分の家で吸うことはいっさいない。家の外で、なんとなく落ち着かない時などについ手が伸びてしまうだけなのだが、それがかえっていけない。禁煙の動機付けが弱いためか、ずるずると煙草を吸ってきた。

 クレイジーキャッツの桜井千里が同じタイプらしい。家ではまったく吸わないのに、家を出ると、とたんにヘビースモーカーになってしまう。その気持ち、よくわかる。
 できれば、人に会ったりせず、一人で篭ってこつこつやっていたいタイプだ。それなのに、人前でふざけるのが嫌いではなかったみたいで、不思議な人だ。まだ生きていたら、谷啓と二人の珍道中映画なんか、見てみたい。デビッド・リンチの『ストレートストーリー』みたいなやつ。

 谷啓は元気のようで、テレビでもちょくちょく見れるのが嬉しい。特に、NHKの深夜に、時々やっている、『美のなんとか』というのがいい。ステッキに四角い鞄を下げ、例えば、盆栽とか、陶芸の名品を訪ね歩くという趣向。「なるほどなるほど~」としきりに感心するだけで、それを作った職人なんかも出てこないが、それがすっきりしてていい。だいたい、職人は表面に出てくるべき存在じゃあないだろう。

 なんか、話がそれちゃったなあ。
 本当は、こんなことじゃなく、誰もが感じていることだろうが、今年に入ってから、なんか世間が“変”だということを書きたかった。
 頻発するバラバラ殺人、しかも身内。「身内同士」であれば、他人に被害が及ぶ恐れは少なく、したがって世間は一見平和であり…といったあたりが“変”な理由かとか…ちょっと陳腐か。

 もちろん、それは、今年に入ってから急にというわけではなく、実際には2、3年前からつづいていることで、私は、それは、自衛隊のイラク撤退を求める現地グループに捕まった三人組が「自己責任」を理由に非難されたあたりからではないかと思う。今、「自衛隊のイラク撤退を求める現地グループ」と書いたけれど、書いていて、思わず「プッ」と吹き出したくらい、非現実的というか、間の抜けた「要求」であり、「誘拐劇」は彼等の自作自演の可能性が強いと私は今でも考えているのだが、それはともかく、あの場面で、「自己責任」の有無が問題になるなんて、まったく馬鹿げていると思うのだが、小泉首相が、それを肯定するかのような発言をしたあたりから、すっかり「自己責任派」が勢いを得てしまった。
 もちろん、「自己責任」という倫理的原理はあり得るし、重要でもあると思うが、それは、あくまでも、当事者自身の問題であり、他人がとやかく言うことではない。(例えば、私が装備不十分のまま山に登って、遭難したとすると、、その場合、私は「自己責任」の原則に則って、救助隊に助けられる資格はないということだろうか。そんなことはない。)

 ところが、イラク事件以来、世間はすっかり頭に乗って、本来介入する権利などない事柄に平気でずかずかと侵入して論難するようになってしまった。言い換えると、自分が被害者でもない事柄に、被害者であるかのような顔をして、「介入」しようとする。

 もちろん、不二家の杜撰さは非難されてしかるべきだ。しかし、「被害者」が一人も出ていないことも確かなのであり、したがって、それを非難するにしても、たとえば、ガス湯沸かし器で21人も死なせてしまったパロマを非難することとは、その程度がおのずから違って当然であるのに、そのことに、気付かないのは、自分が「被害者」だと思っているからだろう。

 あるいは、妹の母親に対する言葉遣いが許せないからと言って、妹を殺した兄も同じだ。それで「殺して死体をバラバラにする」というのは、正直言って理解に苦しむのだが、いずれにせよ、「夢がないね」と言われてグサリと来て、殺意を抱くということはあり得るとは思う。しかし、その「殺意」を、「母親に対する言葉遣いが許せない」と、より一般化した「理屈」で説明し、あたかも、自分が妹の被害者であり、妹が殺されたのは、妹の「自己責任」だと言っているみたいだ。しかも、驚いたことに両親まで、それに同意している。びっくりしたな、もーである。

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