菅前首相が事故時の対応を「証言」して、東電が3月12日頃には「全面撤退」しようとしていたことは、枝野の証言もあるし、ほぼ事実のようだが、菅は、そのとき、社長に「そんなことしたら、東電がつぶれるぞ」と言ったと、どこかで言っていた。
菅が,どんな意味でそう言ったのか、わからないが、東電の最上層部が「お手上げ」だと言ったのだから、全面撤退を認めて、後は自衛隊と米軍に任せる、という手もあったのでは。
自衛隊も米軍も、核戦争の願ってもない訓練の場と考え、ファイト満々でやったと思うし、東電は潰れるし、万々歳ではないか。
中でも万々歳なのは、原子力ムラが潰れることだ。
科学評論家の村上陽一郎氏が言っていたが、原子力技術は日本の科学技術の世界の中でもかなり特殊な世界なのだそうだ。
そもそも19世紀における科学技術の発展の基礎は、蒸気機関の発明者ワットがそうであったように、科学ではなく、技術からはじまった。
原子力のはじまりだって、もとはと言えば、鉄の溶鉱炉の温度を測るのを、職人のカンに頼っていたのを、もっと正確、確実に知りたいという産業界の要請があって、それを研究しているうちに、ドイツのプランクが量子仮説という仮説を考えたところ,それですべて説明がつくところからはじまったのだった。
それまでは、科学は、あくまでも自然哲学だったが、産業革命をきっかけに技術が介入して来たのだが、本来の姿を言えば、技術者と科学者は生きている世界からしてちがうのだが、それが日本では少しちがっている。
日本における科学技術教育は,もちろん明治維新からはじまったわけだけれど、維新政府は最初、工部学校というのをつくった。
これはまあ、職人養成学校、今の高専みたいなものだろうが、この工部学校は4、5年で廃止し、できたばかりの東大に工学部というのをつくって、そちらに科学技術教育は統合した。
実は、これが意外なことに世界初の大学の工学部なんだそうだ。
それまで、欧米では「工部学校」的な学校が技術教育の中心で、それは今でも同じらしい。
もちろん、科学、とりわけ近代科学は、職人技術が基礎となっていて、純粋な科学をやる科学者というのは、それこそ古代ギリシャに端を発しているような、「技術者」とは一線を画した存在,要するに哲学者なのだ。
ところが,日本ではそれを「科学技術」という名前のもとに一つにしてしまった。
もちろんそれには「いい面」もないことはないのだろうが、原子力に関しては、その悪い面が全面的に出てしまった、というのが村上陽一郎氏の意見だ。
たとえば、鉄道技術の技術者なんかは、欧米の技術者とまったく同じメンタリティをもっていると言っていいが、原発の技術者は、鉄道技術者と本質的に変わらない欧米の原発技術者とまったく違うメンタリティをもっている(らしい)。
要するに欧米の原子力の技術者は、鉄道や自動車や飛行機を造り、管理する技術者と全く同じだが、日本で原子力を扱う技術者は、ちょっとちがっているというわけだ。
多分、先端的科学者としてのプライドみたいなものが過剰にあるのだろう。
でも、例えば湯川秀樹だとか、アインシュタインが原爆を作れるかというと、作れないし、原発の管理なんかも全然できない。
それはあくまでも産業技術者の仕事なのだが、その「産業技術者」としての自覚が日本の原発に携わる技術者には足りない、というより「ない」のだ。
その辺のことは、私は、元理工学部の学生なので、イメージ的によくわかるのだ。
私が影響を受けた先生というと、サイバネティックス(自動制御)の高橋利衛先生なのだが、その高橋先生も、近代の科学技術はワットの職人技術が始まりであること、お前たち(学生)が卒業して、様々な現場に出たら、高専出身者をうまくつかうことだけを考えろ、「技術者」としては彼らの方が上だから、お前たちは大局だけ見ていろと言っていた。
いちいち腑に落ちる話なのだが、安全委員をはじめ、原発関係者は「産業技術者」としての意識を持っていないと結論していいのではないだろうか。
しかし、菅は、東電社長に「撤退はさせない」と言った後、米軍の救援申し出を断っている。
断ったのは菅ではないかもしれないが、米軍が何でもすると言ったのに、米軍が何もしなかった(少しはしたのだろうが)のは、東電が「はい,撤退せずにがんばります(から外国の技術者だけは入れないで)」と言ったから、その意に添うことにしたのだろうか。
なんだか、それが事実のような気もする。
菅が,どんな意味でそう言ったのか、わからないが、東電の最上層部が「お手上げ」だと言ったのだから、全面撤退を認めて、後は自衛隊と米軍に任せる、という手もあったのでは。
自衛隊も米軍も、核戦争の願ってもない訓練の場と考え、ファイト満々でやったと思うし、東電は潰れるし、万々歳ではないか。
中でも万々歳なのは、原子力ムラが潰れることだ。
科学評論家の村上陽一郎氏が言っていたが、原子力技術は日本の科学技術の世界の中でもかなり特殊な世界なのだそうだ。
そもそも19世紀における科学技術の発展の基礎は、蒸気機関の発明者ワットがそうであったように、科学ではなく、技術からはじまった。
原子力のはじまりだって、もとはと言えば、鉄の溶鉱炉の温度を測るのを、職人のカンに頼っていたのを、もっと正確、確実に知りたいという産業界の要請があって、それを研究しているうちに、ドイツのプランクが量子仮説という仮説を考えたところ,それですべて説明がつくところからはじまったのだった。
それまでは、科学は、あくまでも自然哲学だったが、産業革命をきっかけに技術が介入して来たのだが、本来の姿を言えば、技術者と科学者は生きている世界からしてちがうのだが、それが日本では少しちがっている。
日本における科学技術教育は,もちろん明治維新からはじまったわけだけれど、維新政府は最初、工部学校というのをつくった。
これはまあ、職人養成学校、今の高専みたいなものだろうが、この工部学校は4、5年で廃止し、できたばかりの東大に工学部というのをつくって、そちらに科学技術教育は統合した。
実は、これが意外なことに世界初の大学の工学部なんだそうだ。
それまで、欧米では「工部学校」的な学校が技術教育の中心で、それは今でも同じらしい。
もちろん、科学、とりわけ近代科学は、職人技術が基礎となっていて、純粋な科学をやる科学者というのは、それこそ古代ギリシャに端を発しているような、「技術者」とは一線を画した存在,要するに哲学者なのだ。
ところが,日本ではそれを「科学技術」という名前のもとに一つにしてしまった。
もちろんそれには「いい面」もないことはないのだろうが、原子力に関しては、その悪い面が全面的に出てしまった、というのが村上陽一郎氏の意見だ。
たとえば、鉄道技術の技術者なんかは、欧米の技術者とまったく同じメンタリティをもっていると言っていいが、原発の技術者は、鉄道技術者と本質的に変わらない欧米の原発技術者とまったく違うメンタリティをもっている(らしい)。
要するに欧米の原子力の技術者は、鉄道や自動車や飛行機を造り、管理する技術者と全く同じだが、日本で原子力を扱う技術者は、ちょっとちがっているというわけだ。
多分、先端的科学者としてのプライドみたいなものが過剰にあるのだろう。
でも、例えば湯川秀樹だとか、アインシュタインが原爆を作れるかというと、作れないし、原発の管理なんかも全然できない。
それはあくまでも産業技術者の仕事なのだが、その「産業技術者」としての自覚が日本の原発に携わる技術者には足りない、というより「ない」のだ。
その辺のことは、私は、元理工学部の学生なので、イメージ的によくわかるのだ。
私が影響を受けた先生というと、サイバネティックス(自動制御)の高橋利衛先生なのだが、その高橋先生も、近代の科学技術はワットの職人技術が始まりであること、お前たち(学生)が卒業して、様々な現場に出たら、高専出身者をうまくつかうことだけを考えろ、「技術者」としては彼らの方が上だから、お前たちは大局だけ見ていろと言っていた。
いちいち腑に落ちる話なのだが、安全委員をはじめ、原発関係者は「産業技術者」としての意識を持っていないと結論していいのではないだろうか。
しかし、菅は、東電社長に「撤退はさせない」と言った後、米軍の救援申し出を断っている。
断ったのは菅ではないかもしれないが、米軍が何でもすると言ったのに、米軍が何もしなかった(少しはしたのだろうが)のは、東電が「はい,撤退せずにがんばります(から外国の技術者だけは入れないで)」と言ったから、その意に添うことにしたのだろうか。
なんだか、それが事実のような気もする。
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