今日,Eテレで,戦後日本の原子力戦略の総括特集の再放送をやっていた。
Eテレは再放送が多いのだが、先週見た番組が次の週に再放送とは。
しかし、おかげで、前回、よくわからなかったところが、ある程度わかった。
前回、日本の増殖炉計画にカーター大統領が「核不拡散」の立場から猛反対し、日本の科学技術庁の役人を中心に「内政干渉」だという不満の声が上がり、アメリカで開催された多国間の国際会議でも対立が続いたが、突如、アメリカが反対姿勢を引っ込めたので、その後の日本の原子力政策は「増殖炉」の運営を前提にしたものになったわけだが、何故、アメリカが反対姿勢を引っ込めたのか、「わからない」と書いた。
しかし、番組では、アメリカ以外のイギリス,フランス、ドイツなどが増殖炉計画を本格化させたので、アメリカとしても押さえることができなくなった、みたいな解説だった。(イギリスもフランスもドイツも、結局高速増殖炉の開発は中止したのだけれど。)
しかし、これは「状況証拠」みたいな感じで、本当の理由がやはり他にあったのではないか、という印象が残った。
それはともかく、再放送で印象的だったのは、日本の担当者と交渉に当たったというアメリカの専門家が、「日本政府は我々の意見を全く受け入れなかった。彼らは自分のプロパガンダを自分で信じてしまっている」と言っていたことだ。
日本政府の原子力政策は「原子力の平和利用」で、「原爆を持とうなんて毛頭思っていない」ということだ。
アメリカの専門家が、日本製との交渉で実際にこの通りのことを言ったのかどうかはわからないが、そんな風なレトリックを交渉のテーブルで言ったような感じでもあった。
これを自分たちの本心だと信じている日本政府は、それをプロパガンダだなんて、と反発するだろう。
しかし、ここはアメリカ人の専門家の見立ての方が正しいと思う。
話が飛ぶが、加藤智大という人を覚えているだろうか?
秋葉原の歩行者天国で7人殺した犯人だ。
その加藤が、法廷でケータイサイトについて聞かれ、ケータイサイトでは「本音と建前」を使い分けているが、それとは別に「本心がある」と言ったらしい。
これはある本で読んだのだけれど、著者の精神分析医は、加藤の頭脳の明晰さに感心していたが、私も大いに感心する。
加藤の発言は裁判官にも検事にも全く理解されなかったが、それも道理で、普通の日本人は「本音と建前」を使い分けて暮らしていて、それだけで足りてしまうので、それとは別の「本心」があるなんて思わないのだ。
では「本音と建前」とは何かというと、それはコインの裏表のようなもので、本音と建前は実際には同じ心の裏表なのだ。
ケータイサイトで言えば、建前でおちゃらけて、それでトラブると、本音で対応する。
サラリーマンで言えば、職場では「建前」で対応し、飲み屋では「本音」で肝胆照らし合ったり、ケンカしたりする。
しかし,そんなことの繰り返しは、コインの裏を表に,表を裏にひっくり返しているだけだと加藤は言っているのだ。
話を戻すと、日本政府の原子力政策を「プロパガンダだ」というのは、「本音と建前」の間を行ったり来たりしているだけで、本心が見えない、と言っているのだと思う。
外交交渉で「本心」なんか言えない、と、外務官僚あたりは言うのだろうが、それはちがう。
最後は「本心」で交渉すべきだし、「本心」でこそ信頼感が得られる。
実際のところを言うと「本心」なんかない、というのが本当で、それが一番の問題なのだろうけど。
番組の最後の方で、福島原発事故を経た後の日本の原子力政策についても少し触れられていたけれど、資源のない日本に原発は必要不可欠であるという政府、あるいは官僚の意志は固いみたいだった。
そういう判断だってあり得るかもしれないが、原発が必要と考える理由が、「日本は資源がないから」というのは、よくないと思う。
何故なら,もしそうだと、日本はどんなに原発立地に不適格な地域でも(実際,どう考えても「不適」な地域なんだけど)、原発をつくらざるを得なくなるから。
そういう「余裕」のない状況での判断は必ずまずい結果を生む。
福島原発事故がそうだったように。
加藤智大は、ケータイサイトに「俳句もどき」を投稿していたらしいが,中にいいのがある。
《お弁当に しいたけが二つ 入っていた》
というもの。
多分、確執のあった母親がつくったお弁当にしいたけが二つ添えられていて、その「二つ」に反応したのだと思う。
泣かせる俳句ではありませんか。
Eテレは再放送が多いのだが、先週見た番組が次の週に再放送とは。
しかし、おかげで、前回、よくわからなかったところが、ある程度わかった。
前回、日本の増殖炉計画にカーター大統領が「核不拡散」の立場から猛反対し、日本の科学技術庁の役人を中心に「内政干渉」だという不満の声が上がり、アメリカで開催された多国間の国際会議でも対立が続いたが、突如、アメリカが反対姿勢を引っ込めたので、その後の日本の原子力政策は「増殖炉」の運営を前提にしたものになったわけだが、何故、アメリカが反対姿勢を引っ込めたのか、「わからない」と書いた。
しかし、番組では、アメリカ以外のイギリス,フランス、ドイツなどが増殖炉計画を本格化させたので、アメリカとしても押さえることができなくなった、みたいな解説だった。(イギリスもフランスもドイツも、結局高速増殖炉の開発は中止したのだけれど。)
しかし、これは「状況証拠」みたいな感じで、本当の理由がやはり他にあったのではないか、という印象が残った。
それはともかく、再放送で印象的だったのは、日本の担当者と交渉に当たったというアメリカの専門家が、「日本政府は我々の意見を全く受け入れなかった。彼らは自分のプロパガンダを自分で信じてしまっている」と言っていたことだ。
日本政府の原子力政策は「原子力の平和利用」で、「原爆を持とうなんて毛頭思っていない」ということだ。
アメリカの専門家が、日本製との交渉で実際にこの通りのことを言ったのかどうかはわからないが、そんな風なレトリックを交渉のテーブルで言ったような感じでもあった。
これを自分たちの本心だと信じている日本政府は、それをプロパガンダだなんて、と反発するだろう。
しかし、ここはアメリカ人の専門家の見立ての方が正しいと思う。
話が飛ぶが、加藤智大という人を覚えているだろうか?
秋葉原の歩行者天国で7人殺した犯人だ。
その加藤が、法廷でケータイサイトについて聞かれ、ケータイサイトでは「本音と建前」を使い分けているが、それとは別に「本心がある」と言ったらしい。
これはある本で読んだのだけれど、著者の精神分析医は、加藤の頭脳の明晰さに感心していたが、私も大いに感心する。
加藤の発言は裁判官にも検事にも全く理解されなかったが、それも道理で、普通の日本人は「本音と建前」を使い分けて暮らしていて、それだけで足りてしまうので、それとは別の「本心」があるなんて思わないのだ。
では「本音と建前」とは何かというと、それはコインの裏表のようなもので、本音と建前は実際には同じ心の裏表なのだ。
ケータイサイトで言えば、建前でおちゃらけて、それでトラブると、本音で対応する。
サラリーマンで言えば、職場では「建前」で対応し、飲み屋では「本音」で肝胆照らし合ったり、ケンカしたりする。
しかし,そんなことの繰り返しは、コインの裏を表に,表を裏にひっくり返しているだけだと加藤は言っているのだ。
話を戻すと、日本政府の原子力政策を「プロパガンダだ」というのは、「本音と建前」の間を行ったり来たりしているだけで、本心が見えない、と言っているのだと思う。
外交交渉で「本心」なんか言えない、と、外務官僚あたりは言うのだろうが、それはちがう。
最後は「本心」で交渉すべきだし、「本心」でこそ信頼感が得られる。
実際のところを言うと「本心」なんかない、というのが本当で、それが一番の問題なのだろうけど。
番組の最後の方で、福島原発事故を経た後の日本の原子力政策についても少し触れられていたけれど、資源のない日本に原発は必要不可欠であるという政府、あるいは官僚の意志は固いみたいだった。
そういう判断だってあり得るかもしれないが、原発が必要と考える理由が、「日本は資源がないから」というのは、よくないと思う。
何故なら,もしそうだと、日本はどんなに原発立地に不適格な地域でも(実際,どう考えても「不適」な地域なんだけど)、原発をつくらざるを得なくなるから。
そういう「余裕」のない状況での判断は必ずまずい結果を生む。
福島原発事故がそうだったように。
加藤智大は、ケータイサイトに「俳句もどき」を投稿していたらしいが,中にいいのがある。
《お弁当に しいたけが二つ 入っていた》
というもの。
多分、確執のあった母親がつくったお弁当にしいたけが二つ添えられていて、その「二つ」に反応したのだと思う。
泣かせる俳句ではありませんか。