パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

「助け合い精神」と「フェアプレイ精神」のガチンコ勝負

2011-02-06 01:31:10 | Weblog
 大相撲大ピンチ!

 石原慎太郎は「相撲なんて、ああいうものと思って楽しめばいいもの」と語っているが、それはまさに日本文化の畸形性を是認することにつながる。

 要するに「助け合い精神」と「フェアプレイ精神」のガチンコ勝負にズルズルと持ち込んでしまったところに大相撲協会の最大の失敗がある――と考えれば、「日本文化」の最大のピンチとも言える。

 本棚を整理していて、「社会科ものがたり・みんなの幸福」という本が目に入った。

 「小学校3年生用」と書かれていて、実際、私が小学校の3年生当時に父親が買ってくれた本だが、その序文にこんなことが書かれていた。

 『感情を失うものは、すべてを失う――という言葉があります。実際、どんな場合にも感情が混乱しているときには、人々はものごとを正しく筋道を立てて考えることができません。人間はどんな動物に比べても、比べ物にならぬほど豊かな感情を持っています。それは人間が自然界の神秘の扉を開いた鍵でもあり、貴重な“もと”でもありますす。しかし、それだけにまた、人間の感情は大変不安定なもので、感情がよく訓練されてしっかりしていないと、人間の心はたやすくかき乱され、行動や考える働きが鈍ってしまいます。』

 「え?」
 
 と思った。

 「感情」が、「人間が自然界の神秘の扉を開いた鍵」だなんて、もちろん、小学校3年生向けに書いたのではなく、それを買い与えるであろう父母に向けて書いたのだろうが、すばらしく奥深いことをさりげなく書いている。

 誰が書いたのだろうと思ったが、個人名はなく、同書の編集者である「新児童文化の会」とあったが、「敗戦」すなわち、「無惨な死」に対する「真摯な反省」こそが、人間の精神を深めるのだと改めて思ったのだが、というのは、この文章を読む数日前、河上肇の「貧乏物語」を読み、、“レベルの低さ”に驚いたばかりだったのである。

 河上肇といえば、日本のマルクス主義者の草分けの一人で、戦争直後の1946年に亡くなっているから、たぶん、「太平洋戦争」に対しても、マルクス主義者として大いに批判的であったと思われるが、その「批判精神」は、残念ながら、「精神性の高さ」には至らなかったのだ。

 逆に言うと、「精神性の高さ」をもたらした「真摯な反省」は、「敗戦」という事実を噛み締めることなしにはあり得なかったのだ。

 それくらい、「社会科ものがたり・みんなの幸福」という本の序文は素晴らしいものだが、その「精神性の高さ」は、」その後マスコミ・文化人から徐々に失われ、現在に至るのだが、もう遅いので、それについては、また明日。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿