パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

危機一髪

2011-03-12 23:27:03 | Weblog
 昨日は、3万5000歩も歩いたのに、神経が高ぶっていたせいか、眠れず。

 ケータイに、「地震速報」で何度も起こされたこともあるが、一番気になっていたのは、やっぱり「原発」問題。

 ニュースを見ると、一応JRも私鉄も動いているが、町はどこも人影がまばら。

 「昨日の今日」というわけか、今日はさすがに都心に出かける勇気はない。

 多分、みんなテレビを見ながら「原発」問題をイライラしながら見ていたと想像するが、9時頃からの枝野官房長官の説明にホッとする。

 他に見るものがないので、2chを少し見たが、「誰が信じるか」の声、強し。

 しかし、枝野の説明は、「信じるに足る」ものではなかったか。

 なんで、そんな「グッドニュース」を発表しないまま、何時間も引っ張ったのかという疑問は残るが、「慎重を期す」余裕があった故の「引っぱり」と考えれば、よい。

 記者の間から時々「拍手」のような音が聞こえていたが、テレビ解説にあたった大学教授たちの言葉も、「危機一髪、最悪の危機は脱した」という感じ。

 もっとも、実をいうと、その「最悪の事態」というのが、今ひとつよく理解できていなかったのだけど。

 というか、今も「理解」できていないのだが、とりあえず、今日は眠れそうだ。

 と思った矢先、またケータイが鳴って「地震速報」が流れた。

 見たら、警告の対象は新潟県民だった。

 新潟県民の方々、お気をつけ下さい。

 私はベートーベンのピアノコンチェルト「皇帝」を聴きながら、寝ます。

トラックも4輪、バスも4輪―帰宅難民雑感

2011-03-12 00:08:02 | Weblog
 終日、「地震」情報である。

 日本近辺では史上未曾有の大地震だそうだが、私は、赤羽駅で乗り換え中に遭遇した。

 プラットホームで電車待ちしている時に、なんか、足下がおかしいなと思っているうちにがたがたと音を立てて本格的に揺れ始めた。

 私が経験した中では、もっとも大きいように思った。

 やがて、「いつ運転再開になるかわかりません」とアナウンスが流れたが、30分ぐらいで落ち着いてきたので、「再開」を期待したが、いっこうにその気配はなし。

 やがて、プラットホームにいると危険だとアナウンスが流れ、見回すと、人がめっきり少なくなっているので、私も改札口から外に出た。

 さて、どうしたらよいだろう。

 実は、板橋に用事があったのだが、赤羽は、西川口と板橋のちょうど中間。

 板橋はあきらめ、西川口に戻るか、あくまで目的を達するか。

 選択は、この二つのどちらかなのだが、歩く距離としては、西川口と赤羽のほうが、赤羽と板橋より、少しばかり長いように思われることと、終日電車が動かなくなるとは、思わなかったこと、そして、なにより用事を済ませることが出来ること等を考え併せ、板橋行きを敢行した。

 「歩け歩け」で、だいたい40分ほどで、板橋(実際は上池袋)についた。

 案外近いと思ったが、問題は「帰り」だ。

 JRの各駅を見ると、シャッターをおろし、「とりつくしまがない」感じ。

 こりゃ、失敗だった。

 赤羽でUターンしていれば、よかったと思ったが、しょうがない。

 「帰宅難民」と一緒に、とりあえず、赤羽に戻ったが、赤羽から西川口まで、どう行ったらいいか。

 候補としては、まずバスであり、バス停で、「西川口に行くバスはあるか」と聞くと、係員はなぜか、えらく威張った口調で、「ありません」と断言し、さらに、「埼玉方面へのバスはありません」と声を張り上げて周囲の人に伝達した。

 そしてさらに、「何しろ営業所同士で電話も繋がらないんですから」と小声でぶつくさ言っていたが、いくらなんでもそんなことはあるまい。

 はっきり言って、交通機関が何から何までストップしている中でバスを運行させても焼け石に水、かえって収拾がつかなくなる可能性が強いことを危惧し、「シカトしろ」と言われているのだろう。

 しょうがない。

 赤羽から荒川大橋を渡り、川口駅、川口駅から市役所方面に曲がり、中途で左折、それでまた歩く。

 都合3万5000歩で川口市中青木の自宅に戻ったが、戻ってテレビを見たら、まさに未曾有の大地震だった。

 しかし、「未曾有」なのは、岩手、福島等であって、東京に限って言えば、それほどの被害があったわけではない。

 部屋に山積みしてあった「風に吹かれて」も無事だったし。

 少なくとも、バスの運行はできたはず。

 なぜって、他の自動車はちゃんと走っているのだから。

 トラックも4輪、バスも4輪。

 そのバスが何故トラックのように走れないのか。

 正直言って池袋と川口は、それほど離れていない。

 だから、最初から「歩く」という選択があり得たし、実行し得たのだが、しかし、浦和と池袋は、「歩け歩け」では、無理。

 要するに、東京の交通機関各社は、あえて「シカト」して、責任回避したとしか思えないのだ。

 そりゃー、世のため、人のためと、あえてバスを運行しても、「混乱しただけ」に終わったかもしれない。

 でもね、あえてそういう「混乱」を「民意」として選ぶという選択だってあり得たじゃないかと思うのだ。