パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

「計画停電」と「買いだめ」

2011-03-18 10:02:43 | Weblog
 近所のスーパー、コンビ二はどこも空っぽである。

 なんで「空っぽ」なのかと言うと、棚の商品が見る見るうちに少なくなるので、不安に駆られたからだ。

 それはまちがいないのだが、なんで、商品がなくなるのか?

 それがわからない。

 道路の渋滞の先頭がどうなっているのか、当事者にわからないのと同じだ。

 具体的には、大雑把だが、商品の流通が地震の影響で滞っているのだろう、そう思っていた。

 商品自体が少なくなっているため、消費者の不安感が増し、「買いだめ」に走らせた。

 そう思ったのだが、実際には、商品の供給は減っていないのだそうだ。

 つまり、事実は「買いだめ行為」が先行したのだった。

 しかし、「買いだめ」が「買いだめ」を呼んでいることは分析するまでもなく、明らかであり、解明すべきは、なんで「買いだめ」が発生したか、だ。

 要するに、道路の渋滞の先頭がどうなっているか、だ。

 私が思うに、東電の「計画停電」が「買いだめ」現象の一つのきっかけになったのではないか。

 一般世論は、「計画停電」には概して好意的というか、「やむを得ない」という感じだったが、「やむを得ない」と納得する一方、「自分の身は自分で守る」ことになったのだ。

 それが「買いだめ」だ。

 このことは、「買いだめ現象」が発生した時期を検証すれば自ずと明らかになると思うが、実際のところ、「買いだめ」は「計画停電」の実施とともに始まっているのではないか。

 最初になくなった商品が乾電池だったというのが、その傍証になると思う。

 いずれにせよ、東電のなすべきことは、今の電力供給能力ではいずれ大規模停電が起こることが避けられないことを予告し、その対処方法として、大口消費者との協議を行い、同時に一般大衆に「節電」を呼びかけつつ、「大規模停電=計画停電」を避けるべく、懸命の努力をすると言明することではなかったか。

 不安感を除去すること、それが大事であるはずだが、東電は、原発問題も含め、まるで逆のことをしているとしか思えない。

 ところで、昨日、メールをいじっている最中、7時の時報とともに、突然停電が来た。

 ワンセグでテレビを見ようと思ったが、ワンセグ用の電波が届かない。

 真っ暗の中でウォークマンを聴きながらふて寝するしかない。

 停電は、3時間きっちり続いた。