パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

芸術として農業を行う

2011-03-04 23:33:04 | Weblog
 昨日、朝日新聞社でアサヒカメラ編集部のM氏と会う。

 M氏の話では、アサヒカメラでは、編集長とM氏、他に一人だけ朝日新聞社の正式な社員で、他の人は、何人ぐらいいるのか知らないが、すべてフリーランスだそうである。

 ということは、厚生年金に入っているのは、アサヒカメラでは3人だけで、他は「自己責任」で、国民年金に入っているか入っていないかのどちらかということになるが、現実はというと、「入っていない」派が多いと思う。

 何故なら、「芸術家畑」を目指す人は、どうしても「貧乏」を目指すことになるからだ。

 去年の暮れの「朝生」で、評論家の某氏が、地方活性化の秘策として、地方に起業家が工場を建て、そこに地元の若者を雇うようにするしかないと発言し、これに、若い女性の「起業家」が、「地方の若者」は、地元に工場が建ったからといって、そこで働くことはしないだろうと、言った。

 私は、「そうだろうなあ」と思った。

 社会の「ありよう」が変わってしまったのだ。

 もし、地方に工場を建てて、工員を募集するとしたら、「発展途上国」の若者を招くしかない。

 日本の若者が「贅沢」になったということかもしれないが、別の言い方をすれば、何のために「働く」のか、動機が変わってきているのだ。

 関曠野という、ベーシックインカムで積極的に発言している人がいるが、彼が言うには、日本に置ける農業や漁業は、今後は、産業としてよりも、地方のフォークロア(文化)の継承としてになわれることになるだろうと言っている。

 要するに、農業も漁業も、一種の「芸術」として行われるので、「金儲け」が目的ではない。

 「金」なんかは、「必要最低限」あればいいので、そこからも「ベーシックインカム」が、必然的に必須となってくる…というのが、関氏の結論だが、なるほどなと思う。