パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

医師会は何を主張してきたか

2008-11-21 18:11:54 | Weblog
 麻生首相が大バッシングを受けているようだが、医師会批判については、その通りじゃないかという意見がブログ等では多く見られるようだ。(マスコミは全然だが)

 特に、小倉秀夫氏のブログ(ここ)には、昭和30年代の初めから、文部官僚を中心に、医学部定員の増加を主張する人々に対し、厚生官僚と、医師会、特に医師会が「医療の質が落ちる」ことを理由にずっと反対し続けてきたことが国会の議事録によって明らかにされている。

 それによると、医師の収入は昭和50年頃ですでに2000万円近くある。ただし、議事録には「診療所の収入」とあるので、開業医のことだろう。

 開業医の場合は、いろいろ医療器具を買い揃えたりする必要があるから、ある程度の収入がないとやっていけないだろうが、しかし、開業医ですごい機械を持っているところはないわけだから、治せるものなら自分のところでし、難しいのは、大病院に行ってくださいとなる。

 要するに、やっていることは実際にやっていることはカウンセリングみたいなものだ、というのは言い過ぎか?

 いずれにせよ、今回問題になっているのは、その大病院に勤めている勤務医の問題なわけで、したがって、小倉氏のブログで取り上げられている国会での質疑も、今現在、緊急課題として語られている問題と直接つながっているわけではないが、でも、全体の雰囲気はつかめる。

 一言で言えば、医者の数が増えると、過当競争で医療の質が低下する、というのだ。

 でも、何故?

 普通は、競争が激しければ、それだけ切磋琢磨するから、質は上がるのではないか? 少なくともスポーツなんかではそうだ。

 どうも、医師会の発言(それを代弁する医師を兼ねている多くの国会議員)を読むと、医者の数が多くなると収入が減り、収入が減るとやる気がなくなる……と言っているようにみえる。

 と、ここで久々に内田樹センセイのブログを見たら、ここでも麻生発言がとりあげられていた。

 以下、コピー。

 『1970年代に一県一医大構想と私立医学部の新設で医学部定員が急増し、「医師過剰」による競争激化が懸念されたのは事実である。そのときに医学部定員を最大時の7%削減し、以後20年以上抑制傾向が続いていた。それが、このところの医師不足で先般50%の定員増に踏み切ったばかりである。
 私は医療行政については門外漢であるが、過去四半世紀にわたる医学部定員抑制に過当競争を嫌う医師会の意向が反映していたというのは事実であろう。
けれども、医師会が医師数を減らすことで、医療環境を劣化させることを望んだということは常識的に考えてありえない。
 競争が過当にならない程度、医療水準の質が高く維持できる程度の医師数を現場は望んでいたはずである。
 その数値はおりおりの状況を勘案して、「さじ加減」で決めるしかない。
「さじ加減」をするのは厚労省の仕事であり、もし「さじ加減」が失敗して今日の医師不足があるのだとしたら、その責めは法理的には歴代の総理大臣が負うべきものであろう。』

 以下、つっこみ。

 《私は医療行政については門外漢であるが、過去四半世紀にわたる医学部定員抑制に過当競争を嫌う医師会の意向が反映していたというのは事実であろう。》

 うんうん。

 《けれども、医師会が医師数を減らすことで、医療環境を劣化させることを望んだということは常識的に考えてありえない。》

 ん? 「医者が、医療環境を劣化させようと望むなんてあり得ない」というわけ? そりゃそうでしょう。

 《競争が過当にならない程度、医療水準の質が高く維持できる程度の医師数を現場は望んでいたはずである。》

 内田センセイは、過度の競争が技術水準を劣化させるという医師会の言い分をそのまま飲んでいるわけだ。なんの疑問も抱くこともなく。何をして、「過度」と言うべきかの検討もせず。

 《その数値はおりおりの状況を勘案して、「さじ加減」で決めるしかない。「さじ加減」をするのは厚労省の仕事であり、もし「さじ加減」が失敗して今日の医師不足があるのだとしたら、その責めは法理的には歴代の総理大臣が負うべきものであろう。》

 今回の緊急事態は、誰が悪くてこうなったわけでもないく、「さじ加減」で対処できる問題だったと? いや、ぐだぐだですな。

 別に、こんなところでつっこむ必要もないのだけれど、内田センセイのブログでは、なにぶん、半年くらい前にコメント欄を削除してしまっているので、欲求不満が募ってしまうのですよ。すみません。