パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

フランク永井の思い出

2008-11-02 20:05:56 | Weblog
 役人の頭の中がどうなっているかということを紹介しよう。

 すでに何回か書いたことがあるのだけれど、もう十数年以上前の話だ。

 月光がつぶれてしまって(とほほ)、四谷3丁目の事務所を引き払い、友だちの世田谷の事務所に間借することになった。

 そこで、バックナンバーの発送を行ったのだが、郵便局員が集荷に来てくれた。

 その後、本郷に事務所を借りたのだが、そこで集荷に来てくれないかと郵便局に頼むと、できないという。

 何故かと聞くと、郵便局に限らず一般に公務員は法律で命じられたことを行う決まりだが、郵便関係の法律には、「集荷」は書かれていないのでできない、というのだ。

 それで、世田谷では来てもらっていたと話すと、担当者は、電話の向こうでからからと笑いながら、こう言った。

 「それはね、お客さん、世田谷には出版社が少ないからですよ。本郷は出版社が多いのでできません」

 カッと頭に来た私はこう言った。

 「民間だったら需要があれば、それに応じる体勢をとるだろう。郵便局では、暇な時に仕事をするのか?」

 局員は、「今回、一回限りだぞ」と念を押して、集荷にやってきた。

 こっちも毎回言い合いをするのも面倒臭いし、役人の「本音」がわかったので、次からは自分でえっちらおっちらポストに運んだが、つくづく思った。

 役人というのは、「仕事」の解釈が民間とはまるで逆様なのだ。


 フランク永井死去。

 首吊り自殺を図って失敗し、その後、植物人間になってしまったと思っていたが、記事を読むと、必ずしもそうではなく、何度も「復帰」を試みるくらいに回復はしていたらしい。

 特に、作曲家が訪問してくると、まったく普通に、元気に応対していたらしい。

 そうかもしれない。うちの親父もそうだった。会社の同僚、後輩なんかがやってくると、寝たきり状態だったのが、しゃきっとベッドの上に起き上がり、アドバイスなんかをしていたらしいのだが、お客が帰ると、ぐたーってなっちゃう。

 しかし、享年76とは意外だった。

 もっと歳をとっていると思っていた。

 私が覚えているのは、「16トン」という、アメリカのワークソングを歌っているのをラジオで聞いたのがはじめてで、私は小学生だった。

 その私が、もうン十歳なんだから、フランク永井は優に80を越えていると思ったのだが…。

 自殺を図ったのが1986年だそうで、それですら、今から20年ちょっと前に過ぎない。もっともっと昔のことだと思っていたが、それは多分、自殺を図ったのが、フランク永井の全盛期をかなり過ぎていたため、その時すでに、「過去の人」になっていたからだろう。

 ……といっても、まだ54、5歳だったのだが。

 江利チエミも45だったし、美空だって50そこそこ、石原裕次郎も……というわけでそれにくらべれば、最近の芸能人は結構息長く活躍している……ように思っていいはずなのだが、なぜか、そうは思えない。

 それはともかく、各マスコミは、このフランク永井を「ムード歌謡の第1人者」と紹介していたが、ちょっとちがうのではないか。

 ムード歌謡といえば、和田弘とマヒナスターズとか、鶴岡なんとかとロマンチカなんかを言うのであって、フランク永井はもっとしっかりした、音楽として鑑賞可能な……などと書くと、ムード歌謡をけなしているみたいだけど、まあ、やっぱり音楽としては、ユニークはユニークでも、わけのわからないものではありますなあ、ムード歌謡。

 とかなんとか。