パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

宇宙飛行士は何を見たのか

2008-08-03 23:18:39 | Weblog
 NHKの科学番組で、南米に住む、石を使ってヤシのみを割って食べる猿を見る。

 猿のからだと比較すると非常に大きい石を「よいしょ」と持ち上げ、ヤシのみを叩き潰す。感心したのは、石を「落とす」のではなく、きちんと最後まで手を放さなかったところ。この「こつ」をまだ知らない若い猿は、ずっと失敗し続ける。

 ナレーターは、「大人の猿は決して教えようとはしません。未経験の猿は、自分で技術を身につけるしかないのです」とか話していたが、猿の世界では教えたくとも「言葉」がないんだから、それは当たり前だろう。

 しかし、この手の番組を見るといつも思うのだが、この賢い(でも、「言葉」はもっていない)猿たちは、はるか遠い未来には、知性を獲得し、今の人間のようになるのだろうかという問題だ。

 多分、彼ら(猿)が、今後、数億年も生き続けるとしたら、そうなる可能性はあるんだろう……が……その前に、地球の生命系そのものが滅びる可能性のほうが大きいだろう。

 そんなふうに考えると、宇宙を直接に垣間見た宇宙飛行士たちの多くが宗教的回心を得たと告白しているのが意味深く思えてくる。

 彼らは、宇宙の漆黒の闇の中に(宇宙空間には光が充満しているが、真空、つまり物質がないので闇でしかない)神を見たのだろうか? そうじゃない。逆だ。

 彼らは、「人間がいない世界」に足を踏み入れた時、「人間だけしかいない世界」に対して目を開かれたのだ。

 ……て、実はこれは内田樹先生の今日のブログに書かれていたことだが、内田先生もたまにはよいことを仰る。

 もっとも内田先生は、宇宙飛行士たちは、「人間だけしかいない世界」の生態学的貴重さが身に沁みて、それが回心につながったといった感じの説明をしているのだが、これはちょっと違うような気がする。

 内田先生曰く、《アポロ計画に参加した宇宙飛行士たちのうちかなりの人々はそのあと信仰の道に入った。「人間がいない世界」に足を踏み入れたときに、彼らはおそらく「人間だけしかいない世界」のかけがえのなさを自覚したのである。人間とはなんと可憐な生き物であろうか、ということを思い知ったのである。だからこそ、私たちは子どもたちが虫や花や鳥や動物や、あるいは星や雲や海や川の流れに触れる機会をもつことを「人間的成熟」のための必須の行程だと考えてきたのである。》

 でも、これだと、宇宙飛行士たちが目覚めた「信仰」は、アニミズムになっちゃう。

 もちろん、内田先生は、「アニミズム、大いに結構」と仰るのだろうが、「人間だけしかいない世界」に震撼するのは知性なのだ。そして、その「震撼」が回心につながる。

 もちろん、アニミズム自体、知性の働きに依るものではある。知性がなかったら、アニミズムだって知られない。しかし、そのアニミズムにおいては、知性の働きは知性を捨象するために使われる。ここにアニミズムの限界がある……んじゃないか。

 尻切れとんぼだが、今日はこれで。