パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

カエル+チョウチョ+イルカで何になるのだ?

2008-08-11 23:22:11 | Weblog
 北島康介、世界新記録で二連覇達成……なんて、やっぱり超気持ちいい話ではある。

 しかし、韓国のパクとかいう選手が400メートルの自由形で優勝して、インタビューに答えて、「アジアの選手でもこの種目で世界に勝てることを証明した」とか言っていたが、たしかに、日本の山中選手がローマ大会でオーストラリアのローズに惜敗していらい、自由形でアジアの選手が目立った活躍ができなかったことは事実であり、あまりにそれが長いので「はじめて」と思われてもしようがないかもしれないが、しかし、その少し前にはフジヤマの飛び魚、古橋がいたし、戦前の水泳の世界地図においてまとまった勢力を維持した地域は日本とアメリカだけで、それ以外は散発的にあらわれては消える、「弱小勢力」でしかなかったことを無視した言い方はいかがなものか。

 戦後だって、世界的に活躍したのは例の古橋選手だけではなくて、私が小学生の頃までは、日米対抗水泳大会が開かれて、日本がアメリカを圧倒……とまではいかなかったかもしれないが、主要種目では日本が勝っていたし、その後、中学生になる頃からオーストラリアが第三勢力として台頭してきたが、それ以外の国の選手なんて、まるで問題にならないくらいに弱かった。

 といっても、小学生の目ではあんまりアテにはならないが……と思っていたが、その頃、長沢二郎というバタフライの選手がいた。そして、その選手が「ドルフィンキック」というのを考案して、立続けに世界記録を更新した。

 それは、今で言う、少年マガジンみたいな少年雑誌のグラビアで見て、「すげーなー」と思ったのだが、残念ながらオリンピックにはピークをあわせ損ねたらしくて、あまり活躍できなかったため、古橋ほどには(古橋だってオリンピックでは勝てなかったのだが)有名ではない。

 それでなんとなく忘れていたのだが、もし、ドルフィンキックの考案者が長沢選手だったら、今のバタフライ競技の実質的創始者じゃないか。

 それで、ウィキなどを調べてみたら、まさに長沢選手がバタフライを「発明」したことがわかった。

 歴史的に言うと、バタフライは平泳ぎの変型フォームとして登場した。下半身はカエル泳ぎ、上半身は水の上に身を乗り出し、チョウチョのように水を掻く。

 想像するに珍妙だが、でも平泳ぎよりは早く、戦後間もない頃には平泳ぎというとみんなこの上半身がバタフライ、下半身がカエルスタイルになってしまい、じゃあ、いっそのこと、この変型平泳ぎをバタフライと名づけて新しい競技にしたほうがよいということで分離したが、その後間もなく、たまたま膝を怪我していた長沢選手が、窮余の一策で、カエルのように足で水を挟むのではなく、イルカのように足を揃えてくねらせて水を蹴る、後にドルフィンキックと呼ばれる泳法を考案した。

 そうしたら、早い早い。あっという間に、16回も世界記録を更新してしまい、他の選手も競ってこのドルフィンキック泳法を採用し、バタフライ種目が確固とした人気種目となった。

 ということらしい。

 しかし、どの記事にも、「長沢選手が実質的創始者だと言われている」とか、「であると考えられている」といった、奥歯にものの挟まったような書き方をしているのだが、その後、長沢氏が、世界の水泳競技の発展に貢献した名スイマーを讃えるためにつくられた「世界殿堂」入りに推薦された時、同じくバタフライ種目のチャンピオンとして殿堂入りした女子選手が、長沢氏に対し、「あなたがいなかったら私はここにいない」と、バタフライの確立者としての長沢氏を讃えるスピーチをしたとも書かれているので、何も「歯に挟まった」ような言い方をする必要なんかない。長沢二郎は、レッキとしたバタフライ競技の発明者なのだ。

 世の中に「発明」は多いけれど、本当に尊敬に値する発明なんかそうあるものではない。「バタフライ」の発明は、その一つだろう。(なんか、考案者とか創始者というより「発明者」といったほうがいいような気がするのだ。これでいいのだ)

 と、ちょっと寄り道をしてしまったが、韓国のパク選手は、きっとこの長沢選手の事なんか知らないだろう。古橋のことも知らないだろう。戦前のアムステルダム、ロサンゼルス、ベルリン大会等で、日本選手が自由形の主要種目を軒並み征したことも知らないのだろう。

 いや、わからないけど、伝え聞く韓国、朝鮮の現状では、教えられていない可能性が高い。

 しかし、仮に、どんなに日本が宗主国として横暴であったとしても、リスペクトすべきところはリスぺクトすべきなのだ。

 いや、私は決して是々非々主義を言っているのではない。

 たとえば、黒岩涙香の「鉄仮面」の冒頭で、ルイ14世に関し、「時のフランス王、ルイ14世は内を虐げ、外を圧する、威名カクカクたる名君で」といった風に書かれている。つまり、民衆を虐げ、内外の貴族を震撼させる「独裁者」に対して、リスぺクトを払った書き方をしているのだ。(実際、このルイ14世は、最後には必ずしも「暴君」だけではない素顔を見せるのだが)

 仮に当時の寺内朝鮮総監がどんなに暴虐な施政を敷いたとしても……いやそうじゃない。きっと、寺内総監は、たぶん、非常な、でも頓珍漢な恩情主義で朝鮮の民衆を遇したのだ。そして、それ故に、民衆のリスぺクトを得られなかったのだ。

 まあ、対して珍しい見方でもないが、パク選手の、「自分はアジアではじめて」みたいな言い方にちょっとカチンときたもので。