パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

内田センセイと大辻センセイ

2007-07-16 20:12:10 | Weblog
 内田樹センセイと言えば、つい先日、そのブログのヒット数が1000万を越えたとかで、その「実績」を背にベストセラーを連発している売れっ子の知識人だ。私も、二年ほど前だが、センセイの、映画に関する本を読んでとても面白かった。有田万里センセイのシネマエッセイのパクリじゃないかとしか思えない文章もあったのだが、それも、有田センセイの鑑識眼の鋭さ、深さを証明するものだろうと好意的に解釈していた。しかし、その内田センセイの人気ブログが、最近、羊頭狗肉というか、頓珍漢というか、ともかく惨澹たる有り様で、件の論文(『大脱走』についてだったのだが)も本当にパクったんじゃないかとか思いだした。

 それはともかく、内田センセイは、ずっと安部首相を批判しているのだが、今日づけのブログは、特にひどかった。

 《大事なことなので、ここに大書するが、政治家の仕事の本体は「何をするか」であるよりむしろ「何をしているように見えるか」にある。(何故なら)「私はそんなつもりではなかった」という釈明が通らない、というのが政治のルールである》と大風呂敷というか、はったりをかまし、《したがって、実際には愚鈍で貪欲であっても、他人から賢明で廉潔な士とみなされるのなら、その政治家は内政にも外交にも成功するであろう。》と、めちゃくちゃな結論に導く。

 内田センセイとしては、書いた直後は「うまいこと書けたぞ!」と思ったかもしれないが、いくらなんでもな結論である。実際、すぐに同業者とおぼしき人から、「いかに口が悪い私にも、そこまでは言えません」とか、「成功しようがしまいが、政治家は誠実であって欲しいです」とか、「安部首相こそ、《どのように見えているか》を気にしているように思いますが」とか、やんわり、かつ辛らつに批判されている。

 今日ばかりでない。先にも書いたように、内田センセイはここのところ連日、むちゃくちゃな文章をアップしては、その都度こっぴどく批判されているのだが、あまり堪えていないみたいだ。「いちいちこんなんでひるんでいたら学者稼業なんてやってられないさ」というところだろうが、私だったら、こんな風に批判されたら、顔を真っ赤にして自分の軽率さを恥じるところだがなあ……。(というのは、「政治家は外見が大事」というのは、しっかり論ずれば、それなりにわからないでもないレトリックだと思うのだが、内田センセイの文章は、その以前に、ただただ「軽率」としか言い様がないのである)


 渋谷の松濤美術館で大辻清司回顧展を見る。最終日ということもあって、観覧者多し。

 大辻氏は写真家だから、回顧展とは要するに写真展なのだが、一番面白かったのは、「実験なんとか」と題された、写真に関する哲学的考察をまとめた文章だった。

 実は、私は、この一連の文章を以前に目にしているのだが、添えられた写真が、はっきりいってつまらなかったので、文章も全然読んでいなかったのだ。しかし、「つまらなかった」のは、それが実験材料としての写真だったからで(私は、自慢じゃないが、「実験」がつまらなくて、理工学部を中退した人間だ)、文章はとてもおもしろく、九鬼周三の『粋の構造』にも比肩しうる好論文だと思った。どこかで単行本にまとめないかなあ……。