Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LEFE1242. 虚無が支配する時代

2015年12月24日 | Shinkansen commuting
 こういう画像になると予定調和的な撮り方になる。というのも毎日新幹線通勤をしているので4本の煙突がある場所はわかっている。近づいたら適宜ピントを合わせておき連写で機材が勝手に撮ってくれる。後で撮影済み画像のなかからよさげなカットを選ぶという編集作業だけが私のクリエイションとなる。秒10コマの連写だから、調度よい位置に電柱が入ってくれた。
 となると今は、写真などという分野は既に消滅しており、編集という作業だけが大きく拡大しているわけだ。世界の画像が編集されてGoogleで明らかにしてしまったので、実際撮影だけで食べて行ける職業なんてスチールフォトの世界ではもう存在しない。写真家という職業は悲しいことにコンピュータ社会では、精々出版社と結びつかない限りもう難しいだろう。その出版社もそろそろ不用の時代になりつつある。
 実際写真家と言っても撮影の合間に大いに内職して、食べてゆかなければならないのだから、なかなか難儀な商売だ。その割には撮影機材だけは、これでもかと言うぐらいに発売され、次第に高価になってゆく。
 原稿執筆の世界でも同様で、専門書も電子本にして簡単にWEB上にアップできるから、原稿で食べられる世界ではない。実際私は編集が出来るので、実に簡単に無料のWEB専門書をアップできることになる。当然著述業なんて言う商売も消滅している。
 だからこのブログでも次の言葉は、執筆を始めた8年前から使わないことにしており、読み替えて原稿を書いている。例えば写真は画像、カメラは機材といった具合にである。当然写真家という言葉も消滅しているので使わない。
 ところがデッサン・絵画の世界は、面白い。同じ人物をモデルにして描いていても、人によって全然違う描き方や表現になる。それは現在のコンピュータでは真似出来ない一番遠い世界だ。いずれ人工知能が現実の物となるまではしばらくこの分野は安泰だろう。
 そんなふうに考えてゆくと現代人は、どこに落ち着くのだろうかと思われる。虚無が支配する時代の到来か。今日は。クリスマス・イブだったか。であれば、画像は沖縄の海の方がよかったかと思いながら、イブの夜は更けてゆく。明日も仕事かぁーの気分である。

新幹線 米原-岐阜羽島 冬至
OLYMPUS PEN E-P5,M.LEICA SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正0,f2.8.1/4000
コメント
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