みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#18 信仰の防衛

2021年03月10日 | 信仰の防衛
初めに

4.両者の譲歩

p21~
Concessions made
Introduction
The Defense Of The Faith
Cornelius Van Til

◇◇

f. Daane

Daaneは、私の小冊子「一般恩恵について」を総括している。

彼の論点は、私の立ち位置が論理的にヘーゲル主義、理性主義、実存主義へと通じるということではなく、私ヴァンティルの思考構造が、現代ノンクリスチャンの思考形態によってコントロールされているという点にある。

しかし、ヴァンティルの一般恩恵に関する考え方が理性の欠落した実存主義に近いということでもない。

逆に、ヴァンティルの考え方は実存主義的弁証法に基礎を置き、それを表現しているが故に、非存在(人類はその時はまだ存在してはいなかった)のために、堕落前の人類が、ある一般性(generality)を有していたのと同様に、堕落後の人類においても、その一般性を有しているということを主張できるのだとDaaneは言う。

私ヴァンティルにとって時間とは通常の歴史的な時間ではない、と彼は力説する。

ヴァンティルの考え方は、すべての絶対的思考様式において現れる経時的時間に無頓着であることは明白であると。

ヴァンティルは歴史の初期について語っているが、これが大変な混乱を招いている。

彼が意図しているのは(人類)存在の初期のことなのかと。

Daaneは言う、「わたしが救いの一般提示について述べる時、その提示が非存在の初期の忘却(いまだ未信仰)の時の人々にとって意義あるものであることを意味する。

ヴァンティルの全く非聖書的な恩恵に関する概念は、恩恵とは元々初期段階の恩恵のようなもの、真の存在よりも前の段階の概念なのだ。

◇◇

久しぶりのエントリー。相変わらず難解な内容。

さて、本書のタイトルを再考する。

自己防衛、self-defenseということばがある。無論、この単語の意味を知らない人はいない。

では、本書のタイトルは何か。

The defense of the faith。

同様に、素直に日本語訳すれば、「信仰防衛」となる。今回からこれに変更する。

faithの前にtheが付されている理由は、普遍的信仰、つまり、われわれがともに共有すべき「キリストの信仰」を意味しているからだ。

ことばにはすべて定義がある。

「信仰」も例外ではない。

信仰とは、イエスキリストの信仰、だから、the faithなのだ。

your faithでも、my faithでも、his faithでもない。これらはみな a faith、広い意味での異端。 

The faith is the faith of (または in) Jesus Christ.

信仰防衛とは、聖書に書かれているイエスキリストの信仰を堅持・防衛すること。

人間教や左翼思想、進化論を土台とするプレミレ教を混ぜ込んでいる異端を相手にしている暇はない。

参考:

ワクチンパスポートは終末の印か?




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