☞ Why Christians Submit to the Government wirh John MacArthur
18分52秒から25分29秒まで。
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現行の政府を通して、神はご自身の意志や目的を貫かれます。
大統領、首長、警察は、剣を有する人々であり、剣とは社会の善のために奉仕するために神から委任された権威であります。
サウロに災いを加えたいと考えた時に、ダビデが受けた恐怖を覚えているだろうか。
旧約聖書は、不従順な子に対して死刑を定めています。
権威に対して従順であることが如何に重要であるかが分かると思います。
両親に従うことを教えられていない非行の子らは、政府に対しても決して従おうとはしません。
これが社会を破壊するのです。
以上、政府は神によって定められているので、それに逆らうことは神に逆らうことを意味するのです。
さらにもう一点付け加えましょう。
抵抗する者は罰せられるということ。
抵抗する者は罰を受ける。
これも同様にその通り行われます。
エジプトにおける反乱において、何人傷つき、何人死んだのか分かりませんが、これは避けられない事態です。
第2節に戻ります。
「反抗した人は自分の身に有罪判決、つまり裁きを受けます。 」
反乱の結果は裁き。
第1コリント11:29で使われていることばkrimaは、神の裁きに関係しています。
実際に、このことばは、権力を持つ人による処罰という概念を有しています。
罰せられることなくして、このことをすることはできない。
政府は罰する権力を有していて、これは神によって付与されている。
旧約聖書の中、出エジプト記、申命記、民数記に書いてあります。
確認して下さい。
目には目、歯には歯、という法です。
犯罪に対する同等の処罰。
罰則にはいくつかの目的があります。
第1に、何が正義かを宣言すること。
つまり、義の要素を持っている。
第2に、罰則は迅速はつ直ちに施行される必要があること。
何故なら、それは犯罪抑止として働くから。
第3に、罰則は悪を抑止する脅威を与えること。
第4に、罰則はリハビリテーションの手段と考えられること。
第5に、政府による罰則によって、個人的な報復を防止すること。
ちなみに、旧約聖書ユダヤ教には刑務所はありませんでした。
新約聖書においても、ユダヤ人は刑務所を持っていませんでした。
異邦人にはありました。
パウロも投獄されました。
ユダヤ人は刑務所を持ってはいませんでした。
旧約聖書には刑務所は存在しなかったので、それはローマ社会的秩序だったのでしょう。
間に合わせ的な収容所のことが、エレミア書37章15,16節に書いてあるが、それは誰かを貯水池に保護するといった一時的な場所に過ぎませんでした。
初期のアメリカにおける刑務所、ピューリタンでさえ、別の処罰形式を持っていました。
軽い犯罪に対しては労働を通して犯罪を賠償し、また、重大な犯罪に対しては処刑による賠償です。
彼らは私たちが監獄と呼んでいる特殊な場所を持っていましたが、それは、肉体的罰則を科して賠償のために労務させている間、犯罪者を一時的に拘束するための場所でした。
重大犯罪の場合には、犯罪者は流刑または処刑されました。
これを変えたのはクエーカー教徒たちでした。
ペンシルバニア州で刑務所を導入したのがクエーカー教徒です。
アメリカにおける最初の刑務所はウオールナッツ刑務所で、1790年に投獄に関する法律が制定されました。
それは、州刑務所penitentiaryと呼ばれましたが、その理由は、その中に閉じ込められると後悔するpenitentするからというものでした。
しかし、それは全く機能していません。
考え方が良くない。
この国は、世界で最も犯罪者の多い国であり、犯罪率も極めて高い国です。
犯罪者というのは、さらに犯罪を犯し、さらに不道徳を助長します。
ある作家は次のように言っています。
「アメリカの刑務所は、非聖書的で、非人間的で、非効率で、不十分であり、馬鹿げている」と。
最新の統計によると、犯罪を犯す500人のうち25人が処罰の対象となっています。
刑務所内には、賠償のための手段は存在しません。
旧約聖書、出エジプト記21章と22章をみると、労働によって、泥棒は盗んだものを返すことができました。
申命記25章、罪を犯した者は、40回のむち打ちを受け、その場を離れることができました。
神は、政府による罰則を定めましたが、同時に、政府が賠償を提供できるようにしました。
政府には罰する権利があるのです。
人による権威が法を破った者を罰する時、神はその罰則を承認します。
さらに神ご自身もその者を処理されます。
罰則の手段は、人の権威によるのですが、罰則の源は神によります。