☞ Why Christians Submit to the Government wirh John MacArthur
11分59秒から18分52秒まで。
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ダニエル書によると、悪魔は政府の中に包み込まれている。
悪魔は政府の中に埋もれている。
この原則はやはり成立します。
しかし、いかなる形態であれ、政府は神によって任命されています。
それ故、政府に服従すべきなのです。
ある時ある場所において、神の目的、神が定めたことがあります。
あなたがエジプトに住んでいるイスラエル人であり、ファラオの下で奴隷として苦しんでいたとしたら、神は自分のことをすっかり忘れてしまったのではないかと思うでしょう。
そして、神の目的から外れて、ファラオは権力を握ってしまったのではないかと。
しかし、これは出エジプト記の記載とは違います。
「このために、全地を通して、私の力をあなたがたに示し、私の名をあなたがたに宣言するために、この一連の疫病とこの虐待の下であなたがたをエジプトに留まることを私は許したのだ。(出エジプト記9章)」
神には目的があります。
それが極悪な政府の場合でも。
人には想像できません。
具体例を提示します。
アメリカ合衆国政府は、エジプトで起きていることに関して、大変難しい言明をしています。
公言を恐れています。
ムバラク大統領にマイナスとなるようなことを言うのを躊躇しています。
何故なら、政府はムバラクに多額の資金援助をしているからであり、中東において合衆国と軍事同盟を結んでいます。
そのような軍事同盟が必要なのです。
町を通行中の人々の意に反することは言えません。
大衆の反応を恐れています。
独裁者の手による悪弊があることを知っています。
政府は何を言うべきでしょうか。
直ちに言うべきです。
言うべきことは明らかです。
犯罪行為であるとはっきり言うべきです。
その政府がどのようであれ、通りで殺人を犯すような政府よりははるかにましです。
どんな政府であれ、無政府状態よりははるかにましです。
聖書的な考え方がこの国の指導者の心にあるなら、立ち上がって「これは犯罪行為だ」と言うはずです。
「これは罰せられるべき行為だ」と言うはずです。
彼らの社会がどうあれ、政治がどうあれ、社会の目的が何であれ、通りを占拠して犯罪を犯す権利はありません。
暴動を鎮圧するために権力を行使して、暴徒を制圧する権利を政府は有している。
これが実例ではないでしょうか。
誰も答えてはくれない、嗚呼神よ。
第一に、すべての政府は、神の法令による。
故に、私たちは政府に従う必要があるのです。
第二に、政府に反抗するということは、神に対する反抗であるということ。
第2節、「したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。」
diatage(ディアターゲ、原語)、施設、神の創立、神によって敷かれたものにそむいている。
政府に反抗する者は誰でも、神に対して反乱している。
素晴らしいコメンテーターであるロバート・ハルデインは、1839年に次のように書いています。
「神の民は、自分たちが生活している政府に対する抵抗は、重大犯罪、ひいては神ご自身に対する反抗であると考えるべきだ」と。
「この国でおきていることを好きになれない」という人がいるかもしれない。
想像してみて下さい。
神に対して背を向けた国に対して、ご自身の目的を適合させるような政府形態をお決めになったのではありません。
権威に抵抗する者は誰でも。
抵抗すると訳されたことばはantitasso。
tassoということばは、整列するという意味を持つことば。
つまり、antitassoとは、永久的に神に対抗するために整列するということ。
敵対心をもってあなたは整列したということ。
出エジプト記22:28に「支配者を呪ってはならない」とあります。
パウロはテモテにこう書き送りました。
「あなたがたの権威である人たち皆のために祈りなさい。彼らの救いのために祈りなさい。」
ローマ皇帝が人民によって選出されたのか、元老院によって任命されたのか、あるいは軍事クーデターによって置き換わったのかどうかははっきりしません。
カエサルによる皇帝権威が正義か不義かもはっきりしません。
カエサルが同性愛者だったのか、小児性愛者だったのか、母殺しだったのか、あるいは善良な男だったのは重要ではありません。
神の法は常に同じ。
反乱者や犯行者のための居場所はありません。
何故なら、それは神に対する抵抗だからです。
この構図をよく理解して下さい。
イランで起きたように、エジプトでも起きるのです。
事の成り行きは現状よりもはるかに悪くなります。
パウロもダニエルも、そしてキリストも、どんな政府であれ、政府に対する敬意をためらうことはありませんでした。