みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#12 生活指針 Why Christians Submit to the Government, NO.6

2024年04月09日 | 生活指針

Why Christians Submit to the Government wirh John MacArthur


33分40秒から41分43秒まで。

◇◇

私たちは、路上で革命を起こしたことはありませんが、それは福音派クリスチャンから起こるでしょう。

長きに渡って、政府や大統領、そして上院、州や地方の指導者に対して口汚い誹謗中傷が行われてきました。

政府は保護してくれます。

つつがなく暮らしている時、政府は安全を与えてくれます。

政府の性格がどうあれ、私たちの責任は、静かで平穏な暮らしに預かることです。

パウロとペテロは、「良い評判は私たちを批判する人たちの口を黙らせるであろう」と言います。

つまり、私たちを支配する人たちに対して従順な態度を保ち、静かで、平穏、平安な生活を送っていない時、この証言は失効します。

使徒の言明は無効になります。

信心深いクリスチャンに起こるであろう最悪の事態は、統治権威が彼らを敵と認識することであります。

政府を運営している人たちは敵ではありません。

彼らは任務を遂行する立場にあります。

彼らはどのように任務を遂行するのでしょうか。

彼らの最終手段はあなたがたを敵とみなすことです。

事実、これによりあなたがたは震え上がるでしょう。

4節にあるように、権威にある人たちは神の使いです。

神の使い。

その通りです、何故なら彼らは敬虔な施設である政府内で働いているからです。

彼らは神を知らないかもしれません。

しかしながら、健康かつこの世の平穏という一般恩恵を与えるための神の施設の中で働いているのです。

この事に関して、イスラム教の世界が如何に神から疎遠であるかを教えましょう。

彼らにはアジェンダ(協議事項)があります。

それは、世界全体を恐怖に落とし、破壊することです。

それは何処から来るのか。

サタンのアジェンダです。

政府をサポートし、市民のモデルとなり、良いことをするために、私たちクリスチャンはできる限りのことをします。

ロバート・ホールディンは、「世の政府という施設は慈悲の配剤であり、その存在は不可欠であるため、ある形において終了すると別の形として再構築される」と述べました。

人がどれ程までに堕落しているかを知りたいなら、抑制の取れた振る舞いを見ればよい。

凄まじい大混乱に対抗できる警察や政府が存在しないならば、この町が徹底的に破壊されるまでに対して時間を要さないでしょう。

ロバート・ホールディンは、「ある人種が他の人種を支配することが次々に行われるこの世界は、それほどまでに退廃し堕落しているので、わがままで質の悪い人の感情に対して世の政府による強力な障壁がなければ、そんな冷酷な社会で生きるよりも、森の獣たちとともに生きる方がましである」と述べている。

「一度抑制が解かれると、人は本来の性格を顕わす。」

「イスラエルに王がおらず、人々が自分の目に正しいことを行なっていた時、士師記の最後の3章にあるように、悲惨な結果が待ち構えていた。」

そこで、パウロはこのような場合を基礎に置きました。

私たちが政府に服従する理由は、神が政府の源であるからです。

政府に反抗することは、神に抵抗すること。

神に抵抗することは、裁きをもたらす。

政府は悪を抑止し、善を助長するために働く。

第6に、支配者は神によって権限を与えられ、強い刑罰を課すことができる。

支配者は神によって権限を与えられ、強い刑罰を課すことができる。

4節に戻って、悪を行なう者は、政府、権威、支配者、統治機構を恐れる。

「支配者は無意味に剣を帯びてはいない。彼は神の使いであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。」

世の政府は、単なるお飾りではありません。

単なるシンボルでもない。 

口先だけの脅威ではない。

政府は命を奪う権力を有している。

政府は力を持つ必要がある。

政府は強力な抑止力を持つ必要がある。

創世記9章にこうあります、「人の血を流す者の血は、流された者によって流されなければならない。」

「殺人に対しては、死刑。」

マタイ26:52で、イエスは、「剣によって生きる者は剣によって死ぬ。」

かくして、イエスは死刑を肯定しました。

使徒25:11で、パウロは死に値する罪について言及しています。

イエスは創世記にさかのぼり神の啓示を明確化したとパウロは断言します。

統治機構、支配者、政府の権威を行使する人は神の使いであって、悪を行なう者に怒りをもって報復します。

死刑は神の御心であり、死刑執行人は神のしもべ。

ロバート・カルバーは、「刑務官の責務は不快であるが、むちや独房、輪縄、ギロチンなどのようなものは、社会の安定化を支援し、存在する必要がある」と述べています。

何故なら、神は、変質者の意見を聞くのではなくて、現実との調和において、そのような宣言をされるのです。

強制力を持つ政府は社会的必要であり、創造主によって決定されたものです。

ある大学の統計学的検索や社会学研究者らによって決定されたのではない

社会が人間の悲惨な現実から逃避し、刑罰から逃避する時、その社会は死滅します。

ローマ書12章と13章は、個人には禁じられている報復について述べています。

ローマ書12章最後の節を覚えていますか。

「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」

 

 

 

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