☞ Why Christians Submit to the Government wirh John MacArthur
41分43秒から最後まで。
◇◇
個人に報復は禁じられています。
しかしながら、神の使いとしての政府には与えられています。
私たちは統治施設に関して神に感謝すべきです。
最悪な政府は私たちを失望させ、また迫害しますが、政府が存在しなければ、私たちはお互いを殺し合うことになるでしょう。
また、刑罰がなされなければ、やましい血がつねに存在します。
カインがアベルを殺した後、アベルの血が地から叫んだと創世記4章に書かれています。
多くの聖書箇所で、そのことが示されています。
命を守るために、神は死刑を要求します。
民数記35:33に、「あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。
血を流した者たちの死によってのみ静けることができる報われない血が、殺人国家にはつねに存在します。
犯罪の多発するこの世界において、非常の多くの囚人が死刑を待っている。
生まれ出てこなかった胎児を殺害した人々の数は数えきれない。
命の尊厳に対する関心の欠落や、命を奪った人々に対する即時的死刑執行など、明らかにモラルのレベルは地に落ちています。
ところで、死刑に反対する人々が堕胎を促進したり、クジラや実験用ネズミの救済に賛成するのは何か変だと思いませんか。
受動的な考え方では、新約聖書から勇気をもらうことはできない。
キリストが来て売春婦はこれ以上罪を犯さないように命じられるが、兵士は兵役から引退するようには言われません。
政府に従うべき最後の理由は、第5節。
「以上のことに、もうひとつ付け加えます。ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも従うべきです。 」
その日の最後に正しいことを行なう理由は、神がそうするように命じているからです。
正しいことを行なうメリットは明らかです。
何でしょうか。
良心ゆえにです。
今朝、教会を終えた後、私はパトロシアと亡くなりそうなご婦人に会いに行きました。
彼女の家を見つけることができませんでした。
細い脇道の通りすがら、車に乗っている警察官を見つけました。
彼を通り過ぎましたが、振り返って、再び通り過ぎました。
実際に振り返って、通り過ぎて、彼を見ました。
私は恐ろしいと思ったでしょうか。
いいえ。
彼と話をして愉快になり、握手して、彼がしてくれたことに感謝しました。
怖いことなどありません。
こんな風に楽しく生きることができるのではないでしょうか。
これが、従順なクリスチャンにやって来る平安です。
理解できたでしょうか。
もうひとつ言っておきたいことがありますが、2週間後に戻ってきたら納税の必要性についてお話ししようと思います。
第6節と7節にあります。
(祈り)