前回、新生に関して、Sproul師による解釈を聴いた。
今回はプレミレ説を固く信じるJohn Macarthur師の考えを聴こうと思う。
Macarthur師の良いところは、旧約聖書の引用が多い点。
小生のような若輩者が指摘するのもおこがましいが、論理的矛盾を内包するプレミレ説を信じているということは、他の聖書解釈における誤謬にも気が付いていない可能性がある。よって、十分な検証と警戒が必要。
ディスペンセーション主義(プレミレとほぼ同義)に関して、R.J. Rushdoonyはダーウィンの進化論にその起源があることを指摘し、聖書と敵対する教理すなわち異端であるとしている。
John Macarthur師のメッセージを拝聴する前に、以下の点を再確認しておきたい。
◇◇
このUP主、完全にイ〇ミ〇ティに騙されている。
彼が唱えている黙示録の解釈は、イ〇ズ〇会の司祭マニエル・ラクンザが唱えたものと同じ。
このラクンザの説を広めたサイラス・スコフィールドは、イ〇ミ〇ティの支援を受けて、スコフィールド・バイブルを作り、「まもなく世界の終末が来る」という終末論を世界に広めた。
イ〇ズ〇会もイ〇ミ〇ティもタ○ムードユ〇ヤ人が作ったシオニズムの組織であり、エルサレムを中心とした世界政府建設を目指している。
イスラエルを建国したロ〇チャ〇ルドは、タ○ムードユ〇ヤ人のリーダー。
シオニストたちは、神殿が建設され、メシアがそこに立つと信じる。
このタ○ムードユ〇ヤ人の「メシア待望論」を、クリスチャンも受け入れて「再臨のメシア待望論」になった。
この間違った教えによって、クリスチャンは、偽メシアの国イスラエルを支援するようになった。
神殿建設まで支援している。
2.
聖書を正しく読まないと、このように敵を助けることになる。
このような終末論を唱えるディスペンセーション主義の教会を支援している人は、ルシファーの国を支援している。
タ○ムードユ〇ヤ教の神はルシファーである。
イエスを十字架につけた宗教の人々を支援するクリスチャン。
本当にクリスチャンなのだろうか。
3.
イエスは、「律法と預言者(旧約聖書)を成就するために来た」と言われた。
そして、十字架上で「成就した」と宣言され、息を引き取られた。
この「成就した」に当たるギリシャ語τετελεσταιは「終わらせる、完了する、成就する」を意味するτελεωの完了時制中態または受動態である。
ギリシャ語の完了時制は「過去の動作の結果に基づいた現在の状態を表す」(J・グレシャム・メイチェン、『新約聖書ギリシャ語原典入門』)ので、原語に忠実に訳せば、
成就され、今も成就されたままである
となる。
つまり、イエスは「律法と預言者」を成就し、今も成就したままであるということがここで言われている。
それゆえ、旧約聖書は、成就され、今もその状態が続いており、旧約聖書に「まだ成就していない預言がある」と考えてはならないのである。
イエスはご自身の体を「神殿」と呼ばれた。
イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。(ヨハネ2・19-21)
神殿は、イエスの体において成就している。
それゆえ、神殿再建を支援することは、イエスの復活を否定することに等しい。
ディスペンセーション主義の終末論は、イエスのメシア性と復活を否定するタルムードユダヤ教の教えであり、異端である。
旧約聖書が成就された今、エルサレムだけが聖地ではなく、全世界が聖地であり、神の国である。
その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)
全世界は十字架によって神と和解している。
エルサレムを中心とした世界政府など不要。
なぜならば、すでにキリストは世界の王だから。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28・18)
「いや、イエスが再臨されないと世界は千年王国にはならない」と言う人がいるかもしれない。
イエスは天におられるほうがよいのである。
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネ16・7)
イエスが昇天されないと、御霊は下らない。
御霊は、われわれを助けてくださるためにイエスによってわれわれのところに送られる。
伝道は御霊の励ましによって進展する。
こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。(使徒の働き9・31)
イエスはすでに昇天され「王座に着かれた」!!
しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」(ルカ22・69)
どうして、地上に戻って地上の王座に着く必要があるのだろうか。
イエスをメシアと見ず、その来臨を否定する人々は「メシアは地上の王座に着くべきだ」と言うだろう。
しかし、われわれクリスチャンは、イエスがすでに天の王座に着いていることを知っている。
なぜ天から地上に下らねばならないのだろうか。
すでに今の世界は「キリストの王国」であり、再び地上の王座につく必要はない。
カルヴァンは千年王国を「戦う教会の時代」と呼んだ。
千年王国を「完成された神の国」と見るから間違うのである。そんなことどこにも書いていない。
千年王国は福音が前進し、世界中に広まり、世界の諸国民がすべてイエスを王として礼拝するまで続く戦いの時代である。
ディスペンセーション主義によって、クリスチャンは、ユダヤ教のメシアを求めるように仕向けられている。