みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#7 再臨 The Second Coming: Wrath and Rescue, NO.4

2024年08月29日 | 再臨

The Second Coming: Wrath and Rescue

8分00秒から14分00秒まで。

◇◇

私たちは罪の奴隷から解放され、罪は私たちを支配してはいないが、したくないことを行なうことのないように日々罪を殺さなければならない。

Rom 6:18  罪から解放されて、義の奴隷となったのです。 

Rom 6:14  というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。 

Rom 7:15  私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。 

Rom 8:13  もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

私たちは死から命へと移ってはいるが、死ぬであろう。

Joh 5:24  まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 

Heb 9:27  そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、 

私たちはキリストにあって新創造となったが、復活の体を待ち望んでいる。

2Co 5:17  だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 

Rom 8:23  そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。 

私たちはキリストの御顔において神の栄光を見たが、ぼんやりとガラスの中で見たのであって、キリストが現れると彼のようになっていく。そのままのキリストを見るからである。

2Co 4:6  「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。 

1Co 13:12  今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 

1Jn 3:2  愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。 

この世に来られた時、キリストは「栄光ある困惑」という動きを据えた。

旧約聖書の聖徒たちや預言者たちにとって、神の民のための救いと、主を拒否する人たちに対する裁きの将来の山々は、ひとつの山だけのように見えた。

それ故、彼らは、メシアがこの世に来られ、シナゴーグでイザヤ61章を引用した理由が分からなかった。

主の霊が私の上にあり、主の恵みの年と私たちの神の報復の日を宣言するであろう。

Isa 61:1  神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、 
Isa 61:2  主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、 

彼らは、イザヤ書を用いてイエスが言っていることが2000年の時を超えて起こるであろうことを知る由もなかった。

この間に、異邦人の時と呼ばれる世界の福音化がある。

Luk 21:24  人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。

しかしながら、それに加えて「栄光ある困惑」があるとイエスは言わなかった。

私たちが期待していたように事は運んでいないし、事態は悪くなっていると弟子たちが思い始めた時、私たちには痛々しく思えてきた。

彼らが期待していた勝利のようにではなくなってきた。

彼らがそう思い始めた時、主は彼らを残し離れるであろうことを彼らは知った。

そして、主が助け主として聖霊を送るであろうことを彼らは知った。

Joh 14:18  わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。 

Joh 15:26  わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。 

Joh 16:7  しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。 

「どれ位の間、あなたはここからいなくなるのですか」

「あなたが再臨して、王国を確立するのは何時ですか」

と、彼らは主に尋ねた。

彼らは狼狽し、そして私たちも困惑するのだが、それに対してイエスが言ったことは、「その日その時は誰も分からない。天の天使たちも子も知らない。ただ御父だけが知っている。」

Mat 24:36  ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

それ故、神なる人イエスは、人間としての性質上、ご自身の来臨の時を知らなかったと私は解釈しています。

彼の信者たちが「王国の樹立はもう間もなくですね」と主に尋ねることを(ルカ19章)十分に想定して、ひとつの例えを話された。

その例えはこう始まる、「ある高貴な人が遠くの国へと行った。そして、王位を受けて帰ってくるところたった。」

Luk 19:12  それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。 

遠くの国、近くの国ではない。

イエスはどれ程遠くの国か知らなかった。

これは大変重要な事実。

新約聖書を読む時、万物の終わりが近いという箇所を読む時、このことを常に覚えておく必要がある。

1Pe 4:7  万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。 

Rev 22:7  「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」 

Php 4:5  あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。 

Jas 5:8  あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。 
Jas 5:9  兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。 

まるで著者らがイエスの来臨の時を知っているかのように、これらの記述を読むと、私たちは誤読してしまう。

御子でさえその時を知らないと言っているにもかかわらず、その時を知っていると主張することは、単純に間違いだっただけでは済まされない。

これは罪である。

*SDAの主張がその例。実際にその預言は外れた。