みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #87

2017年06月12日 | コーヒーブレイク
この動画、とても面白い!

我々も皆、同じ超能力であるfaithを持っているのだが、なかなか上手くいかない。

Matt Sorger, "Future is Now!"

以下の動画や本も大変参考になる。

Dr. Aiko-Common Blocks to Unanswered Prayers

祈りの力










Better to Be Healed, #26

2017年06月12日 | 聖書研究・信仰
詩編103篇は、神の子らの間では良く知られた聖句だ。

私自身も好んでよく読んでいる。

ダビデは訴える。

「主を褒め称えよ、我が魂よ」

「私の中にあるものすべてよ、主の御名を褒め称えよ」

何ゆえに主を褒め称えるのか。

「主を褒め称えよ、我が魂よ」

「そして、すべての主の利得を忘れるな」

主の利得とは何か。

「誰があなたのすべての咎をお赦しになるのか」

「誰があなたのすべての病いを癒すのか」
(同103篇1~3節)

兄弟姉妹よ、病いが2つの要素と結ばれていることを知って欲しい。

前方は死、後方は罪。





Coffee Break, #86

2017年06月12日 | コーヒーブレイク
エペソ2章8節
あなたがたは、恵みのゆえに
信仰によって救われたのです
それは、自分自身から出たことではなく
神からの賜物です

これもSNSで回ってきた聖句だが、やはりエペソ書だ。

何かが引っかかってくるので、スーとやり過ごすことができない。

何故か。

個人的な理由なのか、或いは一般に聖書を理解する上で重要な何かなのか。

よく分からないが、素通りするなということだろう。

早速、始めてみたい。

まずは、頼りの英語訳。


For by grace are ye saved through faith
and that not of yourselves
it is the gift of God
(KJV)

原典に忠実に訳出されている。比較してみると、上の日本語訳に誤訳はなさそうだ。すると、引っかかった理由は内容の問題となる。

最初に気になるのが、「それは」とは何を指しているのかということ。

前文全体を受けると捉えるのがふつうか。

すると

「恵みのゆえに信仰によって救われた」ということが、自分から出たのではなく神からの賜物であるという文意になる。

「恵みのゆえに」は神からの賜物であることは言うまでもないことなので、「信仰によって救われた」ということが、自分から出たのではなく神からの賜物であるということになる。

要するに、これまでに何遍も出てきたことのくり返しだ。

信仰は我々が後天的にかつ独力で獲得したものではない。

それはキリストイエスの信仰(神からの賜物)であり、従って、我々が救われたのはキリストイエスの信仰(神からの賜物)を通してだ。

さらに言えば、主イエスとともに復活した時に、キリスト者に新しく与えられた超能力(faculty、Watchman Nee)の核である。