関東地方も今日(6月5日)梅雨入りしたようです。
”伝説のボクサー”の一人、モハメド・アリ氏が6月3日、アメリカ・アリゾナ州で亡くなりました。74歳でした。昨日はCNNもBBCもずっとそのニュースを流していました。
若い人は彼の現役時代を知らないと思いますが、それまで大男のケンカの殴り合いのようであったヘビー級のボクシングを”蝶のように舞い、蜂のように刺す”(Float Like a butterfly、sting like a bee)と呼ばれた、華麗なフットワークと鋭いジャブのテクニックで、ヘビー級ボクシングの世界を変えた人です。
1960年のローマ オリンピックでライトヘビー級の金メダル、プロに転向してからは1964年にヘビー級世界王者のソニー・リストンをKOし、ヘビー級世界チャンピオンになりますが、持ち前の大風呂敷の発言(俺は偉大だ、俺は世界の王様だ。次の試合ではOOラウンドであいつは必ずマットに這いつくばる。)などで、『ホラ吹きクレイ(イスラム教に改宗前の彼の名前はカシアス・クレイ)』などと呼ばれ、同時代の人たちからは、好悪両方の目で見られていました。その後、当時アメリカで沸き上がりつつあった公民権運動を強く支持し、またベトナム戦争への徴兵も拒否したことから、禁固5年と1万ドルの罰金刑を言い渡され、無敗であるにも関わらず、ヘビー級王者の資格も剥奪され、ボクシング選手としては致命的な3年以上のブランクを経て、合衆国最高裁で無罪となり、1971年ヘビー級王者のジョー・フレージャーに挑みますが、15ラウンドまで戦ったものの、判定負け。
その後、1974年にザイール共和国(現コンゴ共和国)の首都キンシャサで、ジョー・フレージャーに代わって世界チャンピオンになっていたジョージ・フォアマンと世紀のタイトルマッチを行います。このあたりから僕は現役時代の彼の映像をはっきり見た記憶があります。この試合は全世界に放映されました。
キンシャサの試合は、僕もテレビで見ましたが、全盛を過ぎたと思われていたアリが、以前の蝶のように舞うフットワークも使わず、ロープを背にして防戦一方のように見せかけ、フォアマンに打たせるだけ打たせておいて疲れさせ、8ラウンドに一発パンチでフォアマンをマットに沈めるという衝撃的なものでした。今でも『キンシャサの奇跡』として語り継がれています。
ただ、それだけですと、ただの名選手に終わったのですが、僕の記憶に鮮明に残っているのは、1996年のアトランタ・オリンピックで彼が聖火台の最終点火者に選ばれたことです。僕はオリンピック・フェチなので当時開会式もテレビの生放送で見ていましたが、聖火台への最終点火者は誰にも知らされていませんでした。ソウルオリンピックで3個の金メダルを取った名スイマーのジャネット・エバンスにトーチが手渡され、その次に手渡される最終点火者は誰かと世界が見守る中、引退後、パーキンソン病を患い(ボクサーとしてハードパンチを受け続けたのが発症の原因とされる)見た目にも身体が震えているモハメド・アリが登場し、聖火台に点火しました。
こう言っては何ですが、普通聖火台への最終点火者は、誰がみてもかつてオリンピックで活躍した、”優等生的・模範的”な、国民的ヒーローが選ばれますが、彼のような好悪の評判が分かれる、また波乱万丈の人生を送ってきた人、しかもパーキンソン病で点火もままならない人は選ばれないものです。当時の実況アナウンサーも驚いていましたが、僕も久しぶりに見るアリの姿に少なからず驚きました。
聞けば、かつてのオリンピックの金メダリストであるだけでなく、引退後の彼の社会的メッセージが評価されてのことだそうです。
また、ローマオリンピックで取った金メダルは、その直後に帰国して立ち寄ったレストランで、人種差別的な扱いを受けたため、川に捨てたということで、アトランタオリンピックで再度金メダルを授与されました。IOCも粋な計らいをするものだな、と当時の僕は思いました。
彼はその後も人種差別撤廃のメッセージを発し続け、晩年の2005年にはホワイトハウスに招かれ、アメリカの文民では最高の栄誉である、Presidential Medal of Freedom を受けました。
現代史を駆け抜けた一人の偉人が、また一人世を去りました。