今週末は『英検1級 全問題集』の最終回(07年度第3回)は最後のお楽しみ(?)としてやらずに、かわりに『7日間完成 英検1級 予想問題ドリル』を一回分やってみました。(リスニングはなし。この本は7回分の問題があるが、リスニングがあるのは最後の2回分のみ。)
最初の大問1が過去問題と比べて簡単なので、「調子いいじゃん!」と甘く見たのがいけなかった。
結果は
大問1 18/25 (印象ほど得点出来なかった。)
大問2 5/ 6
大問3 6/ 10
大問4 (一応書きましたが、英作文なので採点不能。)
英作文を除き、29/41(70.7%) でした。
(自分では)得意と思っている大問3の長文で、あっさり引っかけ問題で引っかかってしまいました!
アマゾンなどの風評では、この問題集は、本番の問題より、かなりやさしいようですので、あまりぱっとしない成績でした。(あと6回分ありますので、楽しんで(?)みます。
さて話は全く変わりますが、なぜ僕はこんなに「英検1級」や「TOEIC 950点」に特化して勉強しているのでしょうか?(自問です。)よく言えば傾向と対策、悪く言えばテクニックに走るのは邪道だという自覚はあります。
普通はTOEICや英検の勉強をして、会社などで英語力を客観的に認められ、海外駐在や英語を常時使う仕事に就くという夢を果たす、というのが順序でしょうが、僕の場合、ろくに英語も出来ないうちに、海外駐在に出され、天の邪鬼にも日本人が全くいない地域に住んだので、家賃の交渉も、電話を引くのもみんな英語、半年間はわけもわからず右往左往し、一分間に1000語も喋りまくり、自己主張しないと損だ、発言しないのは存在しないのと同じだ、と思っているネイティブとの仕事にもようやく馴れ、自分の考え方を伝えることにも少しは自信を持ち始めた駐在5年目に帰国を命じられたので、順序が逆です。今にして思えば、英検1級程の力があって駐在すれば、もう少し早くからネイティブと議論出来たのに、という後悔はあります。
一方、いきなり英語だけの実践の世界に入ったので、英検1級やTOEIC 950点程度の力では、ネイティブを相手に議論するには全然足りないということも経験で知っています。(両方とも達成していないので、偉そうなことをいうようですが。)
1つには僕は非常に怠け者なので、小学生の夏休みの宿題のように、何か期限が決まってやらなければならないことがないと、中々とりかかりません。英検1級やTOEICは試験日が決まっているので、宿題の締切と同じです。ましてやいつかも記事で書きましたが、日本では英語を使わなくても、特殊な職業の人以外は全く不自由なく生活出来ます。また僕の場合海外生活はすでにやってしまったので、なおさらなにか”締切”が必要です。
2つ目には、もともと英語というか、異文化と接触するのが好きなので、はやく試験対策的な英語から卒業して、自分のやりたいような英語をやりたい、というのがあります。英検1級、TOEICなら950点を超えれば、一応試験対策の英語からは卒業出来るとおもいます。(僕はTOEIC 990点でも950点でも現実の英語を使うシーンでは大差ないと思っており、満点には全くこだわりがなく、満点を何度も狙うのは意味がないと思いますが、950点以下ならやはり卒業は出来ないでしょう。)
あるいは厳しい見方をすれば、現実にネイティブと英語を交えるシーンでは、ネイティブの知的レベルにもよりますが、英検1級でもTOEIC 満点でも全く歯が立ちませんので、卒業というより、ようやく応用へのスタートラインに立つというところでしょうか?英検1級、TOEIC 満点というのが最終目標とするならば、本末転倒です。それはようやく運転免許をとったに過ぎず、これから山道、車庫入れなど練習しないと、乗りこなせません。生きた人間が使う言語とは、英検やTOEIC 試験ほど限定的なものではありません。TOEICのリスニングのように非常に明瞭なきれいな発音で話してくれるわけでもありません。
再び早くスタートラインに立つために、出来るだけ早く英検1級とTOEIC 950 点はクリアーしたいと思っています。寝転がってペーパーバックの自分の好きな歴史書か小説を読んだり、ネイティブとまた議論するために、”夏休みの宿題”は早く片づけたいと思います。そういう意味で、僭越ながら、このブログのカテゴリーの三毛猫みい子さんの取り組み方は好きなことをやられながら、英語の本質に迫っていて素晴らしいと思います。ただ、いい意味で試験対策的な学習だけではないため、試験のクリアーには多少時間を要しているのかもしれませんが。。試験をクリアーするかどうか自体はそれほどクルーシャルではありません。