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もののあわれとアニミズム:神話と日本人の心(5)

2013年11月10日 | 現代に生きる縄文
◆『神話と日本人の心

私は、この本を読み、日本神話の特徴が、その後に展開する日本文化の特徴にも深く関係するという点に注目し、そのいくつかを取上げて考えてきた。今回はまだ触れていなかった項目に簡単に触れたい。

②自国内よりも外国に基準を求める態度

古事記の成立は、712年。日本書紀は720年。この時代に日本人の国家意識が以前より強まり、大陸に対して日本という国の存在や基盤を示そうとする意図が強まった。国家の中心である天皇家の地位を明確にする意図も働いた。日本書紀の方が古事記よりそういう意図を強く打ち出しているのは確かだろう。そのためか日本書紀は、天地のはじめについても、最初から日本のこととして語るのではなく、中国の『三五歴紀』や『淮南子』の記述から借りた一般論から入り、「したがって」として日本のことを語り始めているという。

自国の神話さえも、他国のものを借りて一般論とし、それによって自国の話を強化しようとする姿勢は、神話としては珍しい発想だという。この事実は、国家成立の当初から自国の外に文明の規準を求めようとする姿勢があったということであり、日本人の辺境意識の根深さをうかがわせる。常に海外を意識しするこのパターンは現代の日本人にまで受け継がれているといえるが、一方で近年日本人にはそのような傾向から抜け出す動きも見える。これについては、

『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が

以下で詳しく語ったので、下の《関連記事》を参照されたい。

④人間がその「本性」としての自然に還ってゆく、自然との一体感という考え方
⑤日本人の美的感覚である「もののあわれ」の原型が認められる

これらは互いに深く関連しているのでいっしょに見ていこう。

人間は、自然の一部であると同時に反自然の傾向をも強くもっている。この矛盾にどのように折り合いをつけるかという問いとそれへの答えが、各神話にも読み取れる。旧約聖書においては、アダムとイヴが禁断の木の実を食べる話にこの問題が反映されている。彼らは木の実を食べたあと、自分たちの自然のままの姿を恥じて、いちじくの葉をあてがった。つまり反自然へと一歩踏み出したのである。神はこれに対し、「原罪」を負わせて楽園から追放する。ここでは、神・人・自然の分離が明確に表現されている。

日本神話では、神が人に何かを禁じるのではなく、「禁止」が神々の間で行われる。黄泉の国でイザナミはイザナギに、自分の姿を見ないようにと禁じたが、禁を破ってイザナギが見たのは、死体のおぞましい姿であった。ホヲリ(山幸彦)は、妻トヨタマビメの協力もあり、兄ホデリ(海幸彦)を屈服させた。その時、トヨタマビメは既にみごもっていた。ここでも妻は、出産する自分の姿を見ることを禁じたが、ホヲリは禁を破って、妻が本来の鮫の姿にたちかえっているところを見てしまう。その姿を見られたことを恥じた妻は、子を残して故郷に去る。このどちらにも共通しているのは、人間が結局「自然の一部」であることを知ったということだと著者は指摘する。

ここで注目すべきは、女性の本当の姿を見たときの男性の態度である。イザナギの場合は「見畏(みかしこ)見て」、ホオリでは「見驚き畏みて」と表現されている。つまりそこでは、いずれも本来の姿に接したときの「畏敬の念」が表現されている。畏敬の念は、宗教体験の基礎となる感情であり、神・人・自然が深いところで一体のものとしてとらえられていることを示している。

ところでイザナミは、禁を犯したイザナギに対して怒りに近い恨みをもってあとを追いかける。一方、ホヲリに禁を犯されたとトヨタマビメの場合はどうか。恨みの感情を抱くが、それでも恋しい心に耐えられず、妹のタマヨリビメに託して歌を贈る。ホヲリも歌を返し、互いに慕う気持ちが表現される中で、恨みは消えていく。これは、恨みが美的な形のなかに解消されていく「葛藤の美的解決」という方式といえよう。

このとき美の背後には深い悲しみの感情が流れており、これらを全体として日本人は「もののあわれ」と呼んだ。神話の世界にすでに「「あわれ」の原型が存在していたのだ。著者は、このような根源的な悲しみを「源悲」と呼ぶことを提案する。ユダヤ・キリスト教文化の根源に「原罪」がある。一方、人間と自然のつながりを切ることのない文化の根源には「源悲」があるというのだ。人間が自然と異なることを強調するときには「原罪」の自覚が求められ、人間がその「本性」として自然に還っていく、自然との一体感が大切にされるときには「源悲」の感情が働くという。

ここで、これまでこのブログで何回か語った私の主張を付け加えよう。「源悲」の感情は、おそらくアニミズム的な宗教をもつ文化にかなり共通するだろうことは著者も指摘するところである。とすれば、ヨーロッパでもキリスト教以前にあったケルト文化などにも共通するかもしれない。現に、アイルランドの昔話は日本のものと類似性が高いという。現代の日本で生み出される小説やマンガやアニメはどうだろうか。それらも、多かれ少なかれアニミズム的な要素や「源悲」の感情を引きずっているのではないだろうか。つまり人類のきわめて古い記憶の層が、日本の文学やポップカルチャーにも受け継がれているのではないか。そして、人類の古い記憶の層を断ち切ってしまった文化から見ると、それが不思議であると同時にきわめて魅力的なものとして映じるのかもしれない。

《関連図書》
中空構造日本の深層 (中公文庫)
母性社会日本の病理 (講談社プラスアルファ文庫)

《関連記事》
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