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縄文の女神

2014年09月06日 | 現代に生きる縄文
このブログでは、母性原理的な傾向の強い縄文文化が、現代日本の文化や社会にまで深い部分で影響をあたえているという立場から、これまでにもいろいろと書いてきた。とくに日本文化のユニークさ8項目との関連で触れてきた。カテゴリー「母性社会日本」の項などを参照いただきたい。

(2)文化を父性的な性格の強い文化と母性的な性格の強い文化とに分けるなら、日本は縄文時代から現代にいたるまでほぼ母性原理が優位にたつ社会と文化を存続させてきた。(文言は、前半部分を変更した)

このテーマに沿って検討してきたが、ただ、縄文文化が母性的な性格の強い文化であるとどうして言えるのかという点について、それほどしっかりとした論拠をもって語ってきたわけではない。縄文時代は文字が残っていないので、縄文人の心や信仰を探る材料は、土偶や土器などの遺物に頼るほかないからだ。

しかし最近、土器の精緻な分類だけにとどまらず、総合的な視野から縄文人の精神性に迫ろうとする考古学者の研究が見られるようになった。その一つが渡辺誠氏の『よみがえる縄文の女神』であり、大島直行氏の『月と蛇と縄文人―シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観』である。今回は、前者を取り上げてみたい。

著者は「弥生時代の米づくり文化を築く土台となった縄文文化には、自然との共生で培った高度な技術と多様な生活様式、そしてそれらを支える輪廻の思想、死と再生の祈りやいのちを尊ぶ女神信仰が確かに存在した」という立場から、その精神文化のエッセンスが記紀神話へと引き継がれていったと主張する。

この主張は、著者自身の研究や先行する研究者たちの業績からたどりついたものであり、以下がその要点である。

1)貝塚は、ミ捨て場ではなく、人も動物も再生して豊かな恵みをもたらすことを祈る、魂(たま)送りの場である。
2)土偶は、女性の出産能力に象徴される女神の霊力を宿す。その多くはあらかじめ壊すことを目的につくられ、新たな生命の復活とムラの甦りのために、意図的にバラバラにして葬られた。
3)埋甕(うめがめ)は、甕に入れた死産児を竪穴住居の入口下に埋葬し、いつもそこをまたいで通る母親の胎内に再生することを願った風習である。
4)人面・土偶装飾付土器は、女神の顔または身体を口縁部にもち、土器の本体は女神の身体を意味する。つまり自身を焼いて生み出された食べ物が新しい命であり、日本神話のイザナミやオオゲツヒメの姿を連想させる。

最後の4)については写真を見てほしい。これは「顔面把手付土器」とよばれる深鉢だが、この土器で調理された食物は、女神像の内部からの贈り物を意味しただろう。とすればこの土器は、その体内から貴重な食物を無限に生み出し続ける地母、つまり「母なる自然」そのものであり、縄文人の地母信仰の端的な表現と見ることができる。

さて大地を母とし、農耕を生殖活動と同じとみなす世界観は、農耕民の原始宗教には広く見られる。世界に広く出土する土偶も、豊饒な母なる大地をあらわす地母神である。それは多産、肥沃、豊穣をもたらす生命の根源でもある。地母神への信仰は、アニミズム的、多神教的世界観と一体をなす。また地母神信仰は蛇信仰とも深く結びついている。

一般的に言って、豊かな森の恵みや大地の豊饒性に根ざす世界では女神が信仰されるといえよう。メソポタミアの各地でも、起源が同一とみられる一連の地母神(イシュタル、イナンナなど)が信仰された。エジプトでは豊かなナイルの土壌をあらわす女神イシスが最も広く信仰され、ギリシアでは、地母神であり、大地の象徴であり、世界と神々の母であるガイアが君臨した。

しかし、紀元前1200年頃の大きな気候変動があり、北緯35度以南のイスラエルやその周辺は乾燥化した。その結果、35度以北のアナトリア(トルコ半島)やギリシアでは多神教や蛇信仰が残ったが、イスラエルなどでは大地の豊饒性に陰りが現れ、多神教に変わって一神教が誕生する契機となったという。(安田喜憲『蛇と十字架』1994年、人文書院)

これは、大地の豊饒性の低下の中で、信仰の中心が大地から天へと移動し、宗教の性格も母性的なものから父性的なものへと転換したことを意味する。父性的な宗教の典型がヤーウェを唯一神として信仰するユダヤ教である。やがてユダヤ教からキリスト教が生まれてヨーロッパ世界に広がり、さらに遅れて、先行する二つの一神教に刺激されながら西アジアでイスラム教というもう一つの一神教が成立するのである。

ところで日本列島は、世界的な気候変動にもかかわらず大地の豊饒性はそれほど変化しなかった。降水量に恵まれた風土は、森林の成育にとって好条件となり、温帯地域としはめずらしい程の豊かな森に恵まれた環境が維持された。それは豊かな「森の列島」であった。この好条件ゆえ、狩猟・漁撈・採集を中心にした縄文文化を高度に発達させながら長く存続させることができた。この豊かな森の中で、その恩恵をたっぷりと受けて育まれたのが縄文文化であった。縄文人の宗教的な世界も、豊かな自然に根差した母性的な性格を失わなかった。いや、ある意味で縄文人の宗教世界は、農耕民以上に母性的な性格をもっていたのではないかと推測できる。農耕には、自然に働きかけて変えようとする強力な意志が含まれるが、縄文人はありのままの自然に依存する傾向がより強いからである。

こうしていのちの宝庫である豊かな森は、縄文人によって様々な遺物に表現され、母なる自然への彼らの信仰を現代に伝えてくれるのである。旧大陸のほとんどの地域が農耕社会にはいり、イスラエルとその周辺地域から父性原理的な一神教が広がっていくなか、日本列島に住む人々は1万年の長きに渡って、豊饒な大地と森の恵み、豊かな海の幸に依存する高度な自然採集社会を営んだ。その宗教生活は、「母なる自然」を信じ祈る、きわめて母性的な色彩の濃いものであった。その独特の生活形態と自然観、自然との関係の仕方は、農耕社会以降の日本の歴史の4倍から5倍も長く保たれ続けたため、その後の日本人にとっては消し難い「文化の祖形」となったのである。

《参考図書》
森のこころと文明 (NHKライブラリー)
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)

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