クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

ラーメンで蘇ったアメリカ人の人生!日本と日本食に魅せられて

2024年06月22日 | クールジャパンを考える
★これは私がユーチューブチャンネルに投稿した次の動画の後半部分の要約です。以下の動画でこの実話の全体をご覧ください。
 ⇒ 『ラーメンで蘇った彼の人生!日本と日本食に魅せられて』

ニューヨーク生まれのアイヴァン・オーキンは大学で日本語を学び、卒業の日本に移住します。そして日本人女性トミと結婚し、ニューヨークで料理人として働き始めます。ところがトミが急病にかかり、あっけなく亡くなったのです。2歳の息子とともに取り残された彼は、その後数年ものあいだ悲しみの中で暮らしました。妻を失った彼は、同時に妻を通しての日本とのかかわりを失ったことも、とても辛かったといいます。それでよく日本を訪れるようになりました。やがて、そんな中で出会った日本人女性マリに恋をし、出会って3か月後には結婚しました。彼女は小さな男の子をつれてニューヨークに移り住み、彼の家族は一機に4人となりました。

そしてある時、今度は家族4人で東京を訪れました。桜が満開の頃でした。美しくも儚く咲き散る桜の下で、「日本に戻る時が来た」とひらめいたそうです。40歳になった彼は、何か大きなことをしたい、それを日本でしたいのだと感じました。こうして家族と共に東京に戻った彼は、しばらくの間「主夫」として楽しく家事や子育てをして充実した生活を送っていたそうです。奥さんのマリがスタイリストとして家計を支えていました。しかし、やがて彼女の助言もあって、何か新しい取り組みを始める決心をするのです。さんざん話し合ったすえに、マリにラーメン屋をやったら、言われたそうです。彼は自信がなかったけど、「あなたの料理の腕なら何でもできる、無限の可能性がある」と言ってくれ、それに大いに勇気づけられたというのです。

2000年代半ばの東京で、乱立するラーメン屋を巡って研究しながら、東京にはラーメンを作っている白人がいないことを知り、これは面白い試みになると思ったそうです。そして実際に動き始めると、彼がこれまでに学んできたすべてが結びついたと感じました。日本文化や日本語の知識は、良い不動産業者を見つけたり、近所に友人を作ったり、従業員を指導したりするのにとても役立ちました。ニューヨークでの調理師として経験は、便利な厨房作りやよい食材選びにも生かせました。

自信を得た彼はマリに向って「俺は東京でいちばんのラーメン屋になる」と断言し、実際、店が2006年にオープンすると間もなく評判になり始めました。最初は、「変な外人」が始めた店という物珍しさで来る客も多かったようですが、やがて雑誌や新聞の記事となりテレビにも出演するほどになり、その結果、2-3時間待ちの列が出来るほどの店になったのです。その味は絶賛され、ラーメン職人の鉄人の一人と評され、文字通り「東京でいちばん」と言ってよいほどの人気店となったのです。その味は、彼の飽くなき追及心と努力の結果でした。普通のラーメン職人は、麺づくりは専門の麵業者にまかせます。しかし、彼は麺づくりから自分で行い、そこにも様々な工夫をこらしました。また、うまみの爆弾としてスープにロースト・トマトを加えることでやっと満足のいく味に達したといいます。これは日本のラーメン職人は思いつかない発想だそうです。

彼が寿司や天ぷらという伝統的な和食ではなくラーメンを選んだのは、日本食としてラーメンの歴史が比較的新しく、調理での守るべき型やきまりがなく、自由な試みが色々できるからでした。小さいころから彼は型にはまった教育が大嫌いでした。その意味で彼にとっては教科書が存在しないラーメン作りこそぴったりだったのです。逆に映画『ラーメンガール』は、伝統的な修行法という視点からラーメン作りの物語を構成しています。主人公のアビーは先生の作り方に忠実にラーメンを作ります。それでも師匠によしと言わせる味が出せません。決め手は魂が入っているか否か。がんこ親父の精神論、「入魂」論が物語の展開のかなめになっているのです。それに比べれば、アイヴァン・オーキンの様々な工夫や試行錯誤のなかにこそ、本物の職人魂が感じられます。

ともあれその頃、アイヴァン・オーキンは、自分の人生の頂点に達したと感じたようです。大好きな日本で、自分の意志で目標を達成し、自分の好きな仕事を日本語を使ってやっている。これ以上に素晴らしいことないという達成感を感じたのです。しかし彼には持ち前の冒険心、サムライ精神がありました。自分の人生の到達点からさらに一歩踏み出して新たにチャレンジする決心をし、繁盛する東京の店をたたみ、ニューヨークに立ち戻ったのです。一からやり直すために、そしてニューヨーカーのための新しいメニューを開発するために。それは2012年のことでした。

ニューヨークで彼は、努力と苦労を重ねて、ついにラーメン店をオープンしました。その店も、東京と同様に評判を呼び、大々的に宣伝されてニューヨーク・タイムズで二つ星を獲得しました。それは彼にとっては、想像すらできなかった素晴らしい成果でした。大人気の東京の店を惜しげもなく閉店し、そしてニューヨークでゼロからチャレンジして、再び大成功を収めたのです。
★これは私がユーチューブチャンネルに投稿した次の動画の後半部分の要約です。以下の動画でこの実話の全体をご覧ください。
 ⇒ 『ラーメンで蘇った彼の人生!日本と日本食に魅せられて』

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Zenという日本語がこれほど気... | トップ | フランス人は何を恐怖したの... »
最新の画像もっと見る

クールジャパンを考える」カテゴリの最新記事