マルキーズ紀行 ヒヴァオア2 アツオナ観光

2006年03月21日 | Weblog
3月7日のつづき。
初日はのんびり町の観光です。アツオナはヒヴァオアの中心。1900人いる島民のほとんどがここに住んでいます。

ご飯を食べた後、14時になったのでゴーギャン記念館へ。2003年に出来た新しい記念館です。
道の途中、座り込んでおしゃべりしている女性達をみて、ゴーギャンの絵を思い出しました。あの頃と本質はかわってないのかも。

記念館はオープン時間でしたが、閉まっていました。
ここもやはりポリネシア。ポリネシア時間が有効です。(ちなみにマルキーズとタヒチは30分の時差があります)
待ってみようかと言っていると、さっきの女性がやって来ました。

この人、記念館の職員さんだったんです。
私たちが来るのを見て、戻って来たんだそう。

記念館はベルギー人の歌手ジャック・ブレルの記念館も併設していました。(道理で記念館を探しても無いわけです)
入口で両方の料金を払って、まずはゴーギャンの記念館へ。記念館と言ってもゴーギャンの作品はありません。
全てコピー。でも奥に、ゴーギャンが住んでいた家(Maison de Jouir/喜びの家と名付けられていました)の複製が立っています。


これのミニチュアがタヒチ島のゴーギャン美術館に展示されているので見た事がある人もいると思います。

そもそも、ゴーギャンが亡くなってから家もなくなってしまって、長い事どこに彼の家が建っていたのか分からなくなっていました。後から、彼がアブサン(お酒)を窓から吊るして冷やしていたという井戸が発見され、そこから場所が分かったのだそう。古い家の間取り図のような絵にも井戸とお酒を吊るした竿がかかれていました。
上の写真の左下に井戸が見えます。


上から見るとこんな感じ。
日本なら網にスイカを入れて冷やしたりして(そして塩をかけて食べる!)。なんかのんびりしていていいなぁ~。
ビールやパナシェ(ビールとレモネードのカクテル)を冷やしておいて引き上げて飲むのもいいし。

......おっと、話しをもどして。
この家は中も見る事ができます。2階は展示場になっていて、ちょこっと絵が飾られていました。(もちろんコピー)
1階には等身大(?)のゴーギャンのマネキンがキャンバスの前に建っていて、ぎょっとさせられました(笑)

maison du jouirの後はジャック・ブレル記念館。
ベルギー出身の歌手ですがフランス人と間違える人がいる程フランスも有名で、ヒヴァオア島に移住していました。最期は肺ガンの治療の為ヨーロッパに戻り、そこで亡くなりましたが、お墓はヒヴァオアにあります。40代後半でこの世を去りました。
旦那もベストアルバムを持っていて、タヒチに来る前からマルキーズのお墓を見てみたいと言っていました。
車でよくCDを聞くので、私も何曲か知っています。マルキーズと言う題の曲もあります。

記念館は、これプレハブなんじゃないの?といった建物で、間違えたのではと引き返すところでした。
良ーく見ると看板がついていて、入口が少し開いていました。



中には彼の自家用機と映写機が展示されています。
ブレルは無料で島の人の為に自家用機を提供しました。病人を医者のいる島に運ぶのに使われたりもしました。
映写機は、娯楽の少ない島人の為に取り寄せたもので、無料で映画鑑賞会を開いていました。
ペンションのオーナー・ジョジョはその時映画を見た老人から島人の喜ぶ様子を聞いた事があるそうです。
テレビなどない時代、映画は島人のいい娯楽になっていました。


記念館を出て、今度は坂道をぐるぐる登って墓地へ。


あんなに雨が降っていたのにいきなり太陽がでて、汗だくになりながら坂道を上がります。
ゴーギャンとブレルは同じ墓地に埋葬されていました。

ゴーギャンのお墓。手前のプルメリアの花は私が供えました。

ジャック・ブレルの墓。ハイビスカスは誰かが供えたものです。

帰り道に民家の軒下に巨大なブタを発見。でもこれペットなんて可愛い代物じゃなくて、食糧なんだと思います......。


それから半透明のティアレの花も発見。

後で聞いた話だと強い雨に打たれ続けるとこうなるんだそう。へぇ。

この日の観光はこれでおしまい。
翌日はタフアタ島のミニヘイヴァを見に行くので、その準備をして、ご飯を食べて、10時前には寝ちゃいました。

ご飯は、人参とキャベツのコールスローと豚肉とオリーブの煮物。豚肉は地元産だそう。
でもあの豚ちゃんじゃないですよ。


つづく。