ココアのhappy palette

小さなしあわせさがして…

思い出は手に取るように…

2012年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

先週の日曜日のことです。

小、中学校と仲良しだった友人とコーヒータイム。

同級生の女子は、ほとんど、嫁いで、この街にはいません。

たまに、実家に帰られても、

なかなかゆっくりと、おしゃべりする時間ってなくて

10年振り以上だったような気がします。

     

               

Img_9007

駅前で、待ち合わせて、カフェ分福へ。

お店周りも可愛いし、店内もオシャレです。

ここで、コーヒーとパンケーキをシェアしました。

あまりにも、おしゃべりに花が咲き

すっかり、写真も取り忘れました(笑)

私って、こう見えて!?

子供の頃は、非常におとなしかったんです。

引っ込み思案だったし、恥ずかしがり屋でした。

でも、高校があまりに楽しくて、弾けちゃったみたいです。

そして、現在の仕事についてからは、いろいろ揉まれて

打たれ強くなり、少しくらいのことなら、へこたれなくなりました。

性格は、180度位、変わったかも。       

そんな話や…

       

                         

私は、結婚して、7年ほどは、埼玉の主人の実家の近所に住んでいました。

息子が幼稚園に、入園する頃、

主人の父から、私が一人娘だということを、心配して

東京の父母の元に、一緒に住んだらどうだ、みたいな話がでました。

私としては、埼玉に、子供繋がりで、たくさんのお友達がいたので

正直、東京に帰りたくなかったんです。

東京って、ご近所関係は、あまり立ち入らないっていうのが、鉄則で、

今になってみれば、それのほうが、ずっと楽だと思いますが

その当時は、おかずのやりとりや、子供を預けっこしたり

友達関係以外にも、ご近所さんでも、

そんないい関係があって、ひとりっ子の私としては、嬉しかったんですね。

人間関係もしっかり作ってきたところでの、東京行き。

私の母に、「そっちに住んでもいい?」って聞いたら

喜ぶどころか、「夫婦二人で、気楽にやっているのに

帰ってくるの~」みたいに言われました。

主人は、三男だし、東京の方が、通勤に楽みたいで

東京行きに、大賛成でした。

そんなこんなで、実家に帰りました。

当時家族6人の生活は、喧嘩もありましたが、楽しかったし、

父が亡くなって、母一人残しておくことも

できなかったと思うのでよかったのでしょう。

       

                    

そんな、お互いの積もる話を山ほどして

お店の方には、申し訳ないくらい長居しちゃいました。

年月の経つのは、早いもの。

私の中では、中学校時代だって、ついこのあいだ

手に取るように、思い出も出てくるのに…

あれから、うん十年、お互いに白いものが目立つお年頃に。

       

                 

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紅茶専門店、LUPICIAのギフトを頂きました。

今の季節にピッタリの、桜の紅茶、どんなお味が楽しみです。

Sちゃん、楽しい時間をありがとうございました。

コメント (36)
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