ELEVEN HOUSE

バイクはカワサキ▽キャンピング・カーはライトエースバン▽クルマはメルセデスCクラス▽旧車はローバーミニ▽鉄道はローカル線

2018.2 すごいよ、諏訪湖全凍の御神渡り(おみわたり)

2018-02-19 16:09:58 | キャンピングカーの部屋
 金曜日の出勤のクルマの中で、ラジオから5年ぶりの諏訪湖の御神渡りの話題が耳に入ってきました。超自然現象でめったに見られない氷の道・・・次はいつ見られるか分からない氷の道・・・「見てみたい」と思いました。
<2月16日>
 7時過ぎに仕事から帰り、晩ごはんを食べながら妻にその話をしました。そして、見に行くことに決定。1週間の仕事疲れと、職場から約100kmの距離を走り終えた疲れで少々ヘロヘロ気味にはなっていましたが、超自然現象を見てみたい気持ちの方が強く、8時半くらいに小型キャンカーのシュピーレンに乗って家を出ました。


 東海環状道~中央道を走り、途中の駒ヶ岳SAで朝食のパンを調達し、11時少し前に諏訪湖畔の赤砂碕公園駐車場に到着しました。でも、湖を見ても凍っているようには見えませんでした。駐車場には車中泊らしいクルマが1台もいません。とけちゃった?


 下諏訪町のHPを見ると朝7時の御神渡りのきれいな写真が載っていました。暗くてよく見えなかっただけ?
 朝になれば分かります。
 FFヒーター(クルマ用ファンヒーター)でぬくぬくのホテル「シュピーレン」。ベッドルームになった室内は快適です。翌朝を楽しみにして気持ちよく寝ちゃいました。




<2月17日>


すご過ぎる~。

 朝起きて湖畔に向かって歩いていて目に飛び込んできたのが諏訪湖の向こうに見える富士山、そして湖面の氷上に見える一筋の線。いきなり諏訪湖の御神渡りに大感動でした。

 日の出前の御神渡り。遠く富士山が見え、徐々に明るくなる様は神々しくも感じられました。伝説では諏訪大社に向かう神様が歩いた道とか・・・。本当にそう思えるような神秘的な光景。

 諏訪湖の御神渡りは5年ぶりとのことで、めったに見られるものではありません。様々な条件が重なって初めてできる自然現象です。国内では北海道の塘路湖と屈斜路湖とここ長野の諏訪湖だけとか。


御神渡りができるには・・・

 まず、日本地図でも湖と分かるくらいの広い湖でなければなりません。最低気温が-10℃前後の日が10日くらい続くとほぼ湖が全面凍結するそうです。北海道ではこの条件は楽にクリアできそうですが、諏訪地方では10日連続となるとめったにないようです。そして、全面凍結したところで急激な気温の低下がなければなりません。物質は温めれば体積が増すし、冷やせば縮みます。広~い湖です。氷が縮んだことで亀裂ができます。これが御神渡りの基になります。亀裂による隙間もすぐに凍ってしまいます。そこで気温が高くならなければなりません。すると膨張によって亀裂が塞がります。その時に隙間の氷が盛り上がり、氷の道ができます。これが御神渡りです。だから、何年に一度というような規則性がないのです。
 
 チェックしておいた絶景ポイントに行くと、朝早くからアマチュアカメラマンが湖岸に沿ってカメラを構えていました。




おおお~

 目の前に、本当に手の届くところに御神渡り。近くで見ると、氷でかい!


 思わず、近くの氷と遠くの富士山をパチリ。
 しばらくして日が昇ってきました。湖の周りの木々が少しずつ少しずつオレンジ色に染まってきました。朝日に照らされた御神渡り。美しすぎます。しっかり目に焼き付けておきました。


 シュピーレンを公園の駐車場から湖岸の駐車場に移動させました。いつでもどこでもレストランになるシュピーレンはとても便利で、しかも楽しい!


 せっかくですから、御神渡りを眺めながらの朝食にしました。パンとスープがこの日のメニューです。車内でお湯を沸かします。パンもおいしいし、温かいスープもおいしい。冬期五輪の羽生選手の素晴らしい滑りのニュースを観ながら食後のコーヒー・・・。外を見ればちらつく雪と美しい諏訪湖に光る一筋の神の道。






 もう一度外に出て、御神渡りを見てみました。すると、だんだん雪が激しくなってきました。温泉でも入ってのんびりして・・・と思っていましたが、


信州の雪はヤバイ

 帰りの中央道が心配になったので、速攻で帰ってきました。
 あまりの神秘さに、今なお感動が冷めません。

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2018.2 鉄旅⑩ 東京八王子から埼玉縦断群馬高崎へ ~JR八高線一人旅~

2018-02-13 12:10:00 | ローカル鉄道の部屋
後期定期試験も終わってちょっと一段落。久しぶりにローカル鉄道の旅を楽しんできました。
まずは、これまでのバック・ナンバーです。


⑨埼玉・秩父鉄道
⑧山梨~静岡・JR身延線
⑦静岡・伊豆急行線
⑥千葉・小湊鐵道
⑤福井・えちぜん鉄道三国芦原線
④東京・JR青梅線
③神奈川~静岡・JR御殿場線
②神奈川・箱根登山鉄道
①千葉・銚子電鉄


 2月8日(金)夜、八王子の東横インでピョンチャン五輪の開会式を見ていました。なぜ八王子かって?鉄分補給です。僕の鉄分補給は鉄旅です。翌日はハチ公・・・JR八高線で八王子から群馬県の高崎まで途中下車しながらぶらぶらと歩いてみることにしました。愛知と岐阜を行ったり来たりしている僕にとっては、埼玉を縦断して群馬へというのは超非日常のことなのです。
 それにしても冬季オリンピックに出場する選手はきれいな人が多いなあ。きっと、道を極めた人だからきれいに見えるんだろうなあ。スピードを極めたスポーツカーが美しいのと同じだね、きっと。
美しいと言えば、今日の新幹線から見た富士山。めずらしくはっきりくっきりで、息を飲む美しさでした。


 八王子には、東海道線東神奈川から横浜線で終点駅までということは、JR横浜線を制覇!なんだけど、途中下車してないからカウントせず。町田や相模原など、横浜線途中下車の鉄旅もおもしろいかもしれません。
 そしてもう一つ。普通列車の旅は、先月他界した弟の趣味でした。弟の分も歩いてみようと思っています。
 一度、弟と一緒に鉄旅をしたかった・・・。

 2月9日朝、八高線途中下車の旅のスタートはJR八王子駅。



ここから高麗川(こまがわ)までは川越線と共用区間なので本数は多い。8時38分発の川越行きでまずは「拝島」で下車。

横田基地を見に行った。
 国道まで歩くと、フェンス越しに何かの工場のような建物が並んでいるのが見えた。僕は、戦闘機や戦車、装甲車などがずらっと並んでいるのを想像してたのでちょっと拍子抜けした。外観はトヨタの工場と似たようなもの。基地の前の通りもアメリカ村みたいになっているかと思ったら看板に英語表示が加わっただけで、僕の想像が大き過ぎたみたい。アーミーグッズの店が建ち並んでいるかと思ってた。でも、基地の入口まで行ったことに価値あり、ということで駅に戻ることにした。




 そこで、やっちまった。ずいぶん歩いたから、拝島駅より次の福生駅の方が近いだろうと思い、ウォークナビを福生駅に設定した。すると、25分と出た。すでにそれくらいは歩いている。戻るより、先に進もうと、福生駅に向かった。


 まだ途中下車1つ目なのにずいぶん歩いた。福生駅に着くと、八高線のホームがない。地図で確かめると、僕が行かなければいけなかったのは東福生駅だった。僕は、青梅線の2駅分を歩いてしまったのだった。体力を温存しながら旅しなくてはならないのに、無駄に体力を使ってしまった。
 これから東福生まで歩く気にもなれず、青梅線東京行きで拝島駅に戻った。
 気を取り直して・・・次の下車駅は「高麗川」駅。




 高麗神社という有名な神社があるらしい。約2kmの道をひたすら歩いた。拝島で道を間違えてずいぶん歩いたから行こうかどうしようか少し迷ったけど、次の列車まで1時間以上もある。だから、歩いて行くしかなかった。
 広い駐車場にはハーレー軍団もいた。ヘンなトーテムポールのようなものと立派な鳥居が見える。鳥居をくぐり参道を行くと、でんと構えた神殿があった。なかなか見応えのある神社だ。そして、少し歩いてその先に行くと、昔の高麗家住居があり、1600年頃の家が保存されていた。










 神社に戻り、お守りを見ていると、「道中安全」のお守りがあった。500円で買い、ディバッグの肩紐のDリングに結んだ。これで道中の安全は保証されたようなものだ。


 高麗川駅に戻り、次に下車したのは「毛呂(もろ)」駅だ。




 ここには鎌倉時代のやぶさめ神事が行われている「出雲伊波比神社」がある。1kmほど歩いて鳥居まで来ると、参道は急な坂道で神殿が見えない。すでに13000歩以上歩いていて「これはやめとこうかなあ。まだ行きたい所もあるし」。20000歩が限度と思ってるので「入口まで来た」ということにして、お昼ごはんを食べることにした。




 鳥居を少し過ぎた所に「まるや」という昔ながらの食堂があった。お薦めは豚玉毛丼。「ぶったまげどん」と読むそうで、丼物の好きな僕は迷わずそれを注文した。無愛想な老夫婦二人できりもりしているようで、土曜日のお昼なのに客は僕一人。スマホでウォークナビを使ったのでバッテリーが27%になっていた。あまりにも心細いので、コンセントを使わせてもらうよう頼んだら「いいよ、使って」と言われ、助かった。豚玉毛丼は、豚玉と玉子に「毛呂」の「毛」を加えたもので、これがなかなか美味。味噌汁と漬物と煮物がついてたったの650円。安くてうまくて、かなりお得。昭和の雰囲気も懐かしくてよかった。神社のことを尋ねたら「すぐ行けますよ。」とのこと。駅まで15分、列車の時刻まで35分。行ってみるか。






 やっぱり坂道はきつかった。きつかったけど、やぶさめっぽい感じはすごくした。やめなくてよかった。が、毛呂駅に戻ったのが発車2分前。遅れたら次の列車まで1時間半近くのロスになるところだった。




「足、いてえ」
 小川町に行けば「おがわ温泉」がある。次の下車駅は「小川町駅」に決めた。




 駅から歩くこと10分余り。「おがわ温泉花和楽」はなんとも立派な建物だった。


1080円払ったらタオルとバスタオルのセットをくれた。僕、旅に出る時はいつも持ち歩いているのに。


 軽いつるつる度のお湯が気持ちいい。露天風呂は熱かったので、ぬる好きの僕はすぐに内湯に戻り、痛む左足のももの外側をしっかりさすった。
 最後は終点「高崎駅」。本当にレールがぷっつりと途切れている。これを見るとゴールインを実感する。




 帰りの新幹線「とき」と「のぞみ」の切符を買い、土産物の店をぶらぶらした。




 こうして、僕の10回目の鉄旅を終えた。




 やっぱり、知らない土地を歩くのはおもしろいものだと思う。たまにはこうして鉄分補給をしなくちゃ。
 それにしても久しぶりにいっぱい歩いた。新幹線名古屋駅から地下鉄に乗り換える長い階段、丸の内駅の鶴舞線への乗り換え通路、そして極めつけは最後の降車駅浄心駅の登り階段。本気でつらいと思った。しかし、スマホに目をやると「新記録」の表示。なんと23000歩超!。普段が3000~4000歩なので、1週間分を一日で歩いたようなもの。足の痛みさえも勲章に思えてきた。


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2018.2 シュピーレンのヘッドライトが片目!

2018-02-06 17:09:40 | キャンピングカーの部屋
 先週木曜日の帰り道、信号待ちで前車に映る僕の運転するシュピーレン(ベース車両;ライトエースバン)のライトが片方しか反射していないように見えた。名神高速を走っていても、インターから出てからも、照度は十分だけど、反射する光は片方だけ。どうやら本当に片目っぽい。
 家に着いて見てみると、左のヘッドライトが切れていた。
 僕のクルマのライトはメーカーオプションのHID。標準装備のハロゲンH4はもとより上級車種のLEDよりもさらに明るいライトで、実に6万円くらいもした。遠距離通勤で夜間の高速走行が多い生活なので、安全安心にはケチれない。だから、片方が切れても十分な照度があり、走行に不足が感じられなかったわけだ。


 しかし・・・マズイ

 たしか、HIDは2個セットで交換って聞いたような聞かなかったような・・・。それにオプションで6万円もしたライト・・・いったいいくらかかるんだろう。

 翌金曜日の帰り、岐阜の同型車タウンエースを扱っているカローラ店に行ってみた。


 「これ、HIDですね~。お取り寄せになります。」

 ・・・えーっ、それじゃあ今日の帰りも片目になっちゃうじゃんか。・・・無きゃしょうがないし。・・・そもそもライトエースにHIDを選ぶ人なんてそうもいないだろうし・・・。
 そうだ、ここに来る途中にイエローハットがあったはず。豊田でもイエローハットにお世話になってるし。
 で、イエローハット岐阜芥見店に行ってみた。

「ありますよ。だいたい2万円くらいで取り付けが5千円くらい。時間がかかるけど、大丈夫ですか。ハロゲンのH4なら4千円くらいで、すぐできるけど。」


 ・・・取り替え複雑そうだし、片目だけ標準のH4では・・・。

 待つこと2時間。バルブの銘柄は僕の好きなPIAA。料金は痛い2万5千円ほど。片目でも明るいHIDライトだから照度はバッチリ。




 HIDは明るさは抜群だけど、寿命は他のより短いとは聞いていたけど、運が悪いなあ。東南アジア製のトラックベースの安いバンだし、着いていたHIDバルブなんて見たことも聞いたこともない銘柄だったし。
 土曜日はこの2週間の雪泥でコーティングされてるくらいめっちゃ汚れたシュピーレンをきれいに洗って、雪泥と運の悪さをしっかりと拭き取りました。

 久しぶりのきれいなシュピーレンになりました。


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2018.1 雪・・・

2018-01-31 18:11:07 | クルマの部屋
 昨日まで、このブログを開くと暗~い記事。ずっといるはずの弟の他界で、悲しみからなかなか抜け出せずにいますが、これでは自分のブログを見る度に生前の弟を思い出してしまい気持ちが落ち込んでしまいます。そんな暗い記事が目に飛び込んでくるのですから、当然ブログ・ランキングもどんどん下がるわなあ~。写真もピンぼけだし。

 ということで・・・とにかくさぶいわ。先週なんて、温暖な豊田でも雪が積もったもん。ちょっとだけだったけど。ところが・・・。

 やっぱ違うわ、冬の豊田と岐阜では。

 先週の水曜日。いつものように岐阜県各務原の職場で仕事をしていました。2時頃に雪が降り始めたかと思ったら3時には外はすっかり雪景色。




 3時10分から会議だったけど、会議が終わった6時頃には、夜空の下は真っ白になってました。
 同僚の先生から「先生遠いから、早く帰ったら」と声をかけてもらったりもしましたが、学年末でまだちょっとやることが残っていたのと、クルマが4WDという安心感で、7時過ぎまで仕事をしていました。
 岐阜ってすごいね、夕方だけで約6cmの積雪。
 名神高速はもちろん渋滞、東海環状は当然チェーン規制・・・で、迷わず東海環状道コースを選びました。
 4WDにミシュランXアイス!
 鬼に金棒です。
すいすい走って家に到着しました。豊田は所々にうっすらと白くなっている程度でした。
 問題は翌日の朝です。翌日が後期の定期試験の初日でした。遅れるわけにはいかないので、いつもより1時間以上早く家を出ました。名神高速は小牧から通行止めになっていたので、東海環状道を使って職場に向かいました。岐阜各務原ICを降りてからが渋滞気味でしたが、ちゃんと時間には間に合いました。
 大変だったのがその翌日の金曜日でした。積もった雪が凍結して所々道路がツルッツルになっていました。スタッドレスでも滑りながら走るクルマもありました。そんなときも、4WDにミシュランはまったく滑りません。足を下ろすと滑るのに、なんか不思議。心強いです!
 今週も寒い日が続いています。僕の大学でもインフルエンザで休む人がちらほら。うがいと手洗いを欠かさず、体調を壊さないように気をつけましょう。

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2018.1 弟の死 ~これまでの人生で一番の悲しみ~

2018-01-17 23:41:15 | いろいろ思う部屋
 悲しくて悲しくて、次から次へと涙が込み上げてくる。弟は離れて暮らしていても、ずっとずっと僕の後ろにいつづけるものと信じていた。ところが・・・。
 先週金曜日12日の夜、知多に住む二つ年下の弟が天国行きのキップを持って旅立って行った。たった二人の兄弟。子供の頃の思い出の中にはいつも僕の隣に弟がいた。歳が近く、いつも一緒に遊んだり、地域の活動に参加したり、そして、両親と家族4人で楽しく過ごした子どもの頃の思い出。
 悲しくて涙が込み上げてくる原因は、弟が亡くなったことはもちろんだが、実は弟の最後の電話に出られなかったことだった。
 弟は去年の夏くらいから体調を崩し、秋口からは入退院を繰り返していた。正月3日に再び入院。そして、病状が急変し意識がほとんどなくなってしまったのが11日の木曜日だった。そのまま意識がはっきりすることなく翌金曜日に旅立ってしまったのだった。
 遠距離通勤をしている僕は仕事の関係で月曜日まで病院に行くことができず、電話で奥さんにそのことを伝えておいた。奥さんの話では、弟は薄らいだ意識の中で、月曜日に兄の僕に会うことをすごく楽しみにしていたとのことだった。しかし、月曜日を迎えることなく、旅立ってしまった。
 意識が薄れる前日の夜9時10分、僕のスマホに着信があった。11時過ぎに着信履歴で知った僕は、入院中の弟に電話をかけ直すこともできず。とりあえず励ましのメールを送っておいた。「月曜日に行くから」と。・・・結局、弟はそのメールを見ることなく死んでしまったのだった。
 弟は兄の僕をすごく頼りにしていた。会う度に、そして、子どもの頃も、それをすごく感じていた。最後の電話で、僕に何を伝えようとしたのか。それが「さようなら」だったら・・・。年賀状の弱々しい文字の「元気でね」だったら・・・。それとも「ありがとう」・・・。
 僕は、まだまだ弟は大丈夫と思っていた。そう信じていた。まさか、すぐに逝ってしまうなんて思ってもみなかった。
 なぜ仕事をほっぽって知多まで行ってあげられなかったのか。ちゃんと電話に気づいてあげていたら。悔やんでも悔やみきれない。
 大好きな弟が、最後に言いたかったことを聞いてあげられなかったことが悔しくて悔しくて。金曜日の夜、病院に駆け付け、動くことのない弟に、何度も何度も心の中で「ごめんね」「ごめんね」を繰り返して言った。
 さようなら、弘道。
 ごめんな、弘道。



 日曜日の夜にお通夜、月曜日にお葬式が営まれた。まだ逝く歳に達してないはずの弟。深い悲しみの中で弟の葬儀が終わった。
 終わって初めて気づいたのは弟の存在の大きさだった。僕には弟の弘道がいる。それがどれだけ心の支えになっていたことか。高齢の両親に何かあって困った時、呼べばどんなに忙しくても知多からすっ飛んで来てくれた。僕よりずっとずっと優しい心の持ち主だったと思う。葬儀では、子供の頃によく一緒に遊んだいとこたちが「弘道はほんとにかわいいヤツだった」と涙を流してくれた。
 金曜日の夜に息をひきとってから葬儀、初七日が終わるまでの3日間、奥さんと娘さんは深い悲しみと戦いながら精力的に動いていた。これから始まる母娘二人だけの家族。僕以上に悲しみは大きかったと思う。弟の奥さんは、それでも喪主として悲しみをこらえて頑張り抜いたのだと思うと僕も心が痛む。そして我が子を失った母。愛する夫とかわいい次男をわずか2年足らずの間に失った今、母はどんな気持ちで葬儀の時を迎えたのだろう。



 僕が出られなかった弟・弘道からの最後の電話。意識がなくなる直前に、僕に何かを伝えようと、最後の力をふりしぼってかけた電話。僕は弘道が何を伝えようとしたのか、金曜日からずっと考え続けていた。
そして、出た答。
「(残された家族)二人のことを頼む。」だったのではないか。
 今は、何よりも家族を大切に思っていた弘道のことだから絶対にそうだと確信している。
 何もしてあげられないかもしれないけど、僕にとって弘道がそうだったように、二人にとって少なくとも心の支えにはなってあげられるようになることが、弘道への感謝の気持ちだと思う。

 最後になりましたが、弟・弘道が生前大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。



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