コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

「計画」の変更

2021-11-30 07:21:04 | Weblog
昨日の「感動の計画」はできあがったでしょうか。
簡単なものなら五分もあればできます。
たとえば、
「1年後に自分はニューヨークでアパート住まいをして、
大学に聴講生として通う」、
そのために英会話スクールに通う、
資金をこうやって作る、
といったラフなものでいいのです。

ただし、
人生は思い通りに行かないのですから、
「計画」もその通りには進まないものです。
途中でいろいろと問題が起こって
変更が必要になるかもしれません。
そのときには、
臨機応変に対応すればいいのです。
中には、
計画通りに進まないことが
ストレスになる人もいます。
そういうときには、
「ゼロ思考」でゼロ地点に戻せばいいのです。

あまり「何歳までに」などと限定せず、
無理をしないことが「計画」の基本です。

場合によっては、
ほかの「計画」を間に挟んでもいいのです。
計画通りに進まないということは、
他に、
すぐに取りかからなければならないことができた、
ということですから、
そちらを先に解決する計画を立てればいいのです。

ただし、
自分の身が自由にならないとしても、
きちんと進めなければならないのが資金計画です。

当初の計画を延期したとしても、
改めて取りかかれる状態になったら資金がない、
というのではなにもできません。
いかに忙しくても、
資金だけは予定通り作らねばなりません。

計画を延期するうちに、
当初の計画とは別のことに関心が移ることもあります。

そのときには、
また別の計画を立てて、
資金はそちらに回せばいいのです。
「計画」は感動を得るために実行するのですから、
中身は何でもいいわけです。

いずれにしても、
自分が自由に動けるようになったときに
資金がまったくなければなにもできません。

「感動の計画」でもうひとつ大事なことがあります。
それは、
計画がうまく行きはじめて、
実現の見通しが立ったら、
次の計画を考えることです。
進行中の計画を踏まえて、
「次はパリに行こう」といった
漠然とした目標でいいので、
第二、第三の計画を立てます。
なぜなら、
最初の計画が実現して、
一通り感動を味わうと、
そのあと目的を失い
無気力状態になってしまうことがあるからです。

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人生の「感動計画」を立てる

2021-11-29 07:19:32 | Weblog
日々、
感動するのにもっとも手軽で健康的な方法があります。
それは、
毎日の朝日を拝むことです。
天気さえよければ、
昇る朝日は必ず感動をもたらします。
雲間から現れる朝日は、
絵画のようです。
毎日見ていても、
雲の形やかすみのたなびき方、
青空の色の深みや、
太陽光の温かさが違っていて、
つねに新鮮な気分になれます。
これで、
感動できるばかりでなく早起きもできるし、
一日の時間が有効に使えることもメリットです。

感動することは、
心に新しいエネルギーをもたらします。

朝日を見ていれば「やる気」も
ふつふつと湧いてくるはずです。

心の感動のアンテナを磨くことで、
他のことにも感動できるようになります。
たとえば木々の緑の移ろいや、
小鳥たちのしぐさ、
朝から働く人々への敬意、
これからの一日への思いなどなど。

感動は、
偶然にできるものではありません。
朝日を見ることひとつとっても、
日の出の時間を確かめて
タイミンングよく起きなければならないのです。

計画性が必要な証拠に、
正月に初日の出を拝もうと思っていて、
前夜夜更かしして
見損なった経験があるのではないでしょうか。
目覚まし時計をかけておかなければ、
まず、
見逃してしまいます。

感動の人生にしようと思ったら、
もう少し高度な計画が必要です。

さまざまな感動を得ている人、
たとえば、
登山をする人にしても、
起業する人にしても、
また、
子どもをたくさん育てている人にしても、
きちんとした計画がなければ
その結果としての感動は 得られないのです。

そこで、
一年後、
三年後の自分がなにをしているか、
計画をして準備をします。

もし、
会社勤めだとしても、
プライベートでなにかを仕掛けるのです。

それは、
パソコンスクールに通うことでもいいし、
英会話でもいいでしょう。

大学の講義などを受けるチャンスも増えて、
社会人にもさまざまな自分磨きの場が広がっています。
難関資格に挑戦するというのもひとつの選択です。

とにかく、
一年間のスケジュールを立てましょう。
自分に何ができるかわからない?
それなら、
まずカルチャースクールなどで行っている
適性テストを受けるといいでしょう。

きっと、
自分に合った、
感動できそうなことが見つかるはずです。
まずは計画を立てる、
それが感動の第一歩です。

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すべてを受け入れればラクになる

2021-11-26 07:38:05 | Weblog
やる気が出ないとか
落ち込みやすいという原因には、
人生が自分の思い通りにならないから、
どうすればいいかわからない、
というものもあります。

これこそ「広い視野」で見なければなりません。
いったい、
この世の中のどこに
「思い通りの人生」
を送っている人がいるでしょうか。
人生は思い通りにならないのが当たり前なのです。

思い通りにならないものを、
背伸びをしたり、
虚勢を張ったり、
無理なことをしてきたから、
やる気もなくなり、
落ち込みやすくなっているのではないでしょう。

思い通りにならないのだから、
なるがままに人生を過ごしてみたらどうでしょう。

こうでありたい、
という気持ちは机にしまっておいて、
このほうがよかった、
という思いはゴミ箱に、
こうしたいという気持ちは少し謙虚に、
「こうなればいいな」
くらいにしてみるのです。
すると、
それまでの
「こうでなければ」
という義務感が薄れて
心に違ったエネルギーが湧いてくるはずです。

だれかから責められていると感じても、
謝って済むのならさっそく謝りましょう。
なにも格好をつける必要もありません。
「こうでなければ」ではないからです。

だれかの提案があればさっそくやってみましょう。
失敗してもいいではありませんか。
どうせ思い通りには行かないのですから。

けれども決して無責任になるのではありません。
責任も自然に受け入れます。
責任逃れをする必要もありませんから。
なにも起こらなかったら、
のんびりしましょう。
あわてて、
次の企画を考えても、
いいものなど出てきません。
しばらく心を放牧しておけば、
これまでとは違ったものが湧き出してくるでしょう。

まわりの人が急かしたら、
適当に合わせましょう。
急いでいるふりをしてもいいし
「まあまあ、そうあわてずに」
と自分のペースに巻き込むこともできます。

かつてないような大失敗をしてしまったら、
これからはそれ以上の失敗がないだろうと、
秘かに喜びましょう。

もっと大きな失敗が起こるだろうか、
と心待ちにできるくらいになれば、
自然体の心のできあがりです。

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ほんとうに「大変な事態」なのかと考えてみる

2021-11-25 07:15:31 | Weblog
予定を聞くと、
決まって、
「ずっと忙しくて、
その日もはずせない仕事が入っているので・・・」
という会話になる人がいます。
確かに暇な人よりは忙しいのでしょうが、
仕事の予定が変更できないなどと
いうことはそうそうないものです。

たとえば、
結婚式に出席するとよく感じるのが、
「よくもまあ、
これだけ親戚一同集まったものだ。
まさに万障繰り合わせればなんとかなるものだな」
ということ。

つまり、
前もってきちんと連絡を取っていれば、
どんなに忙しい人でも
身近な人の大切な場には参加できるものなのです。

ということは、
ある集まりに
「仕事でいけない」ということは、
「そんな集まりに価値はない」
と言っているに等しいことになります。

その人なりに自分にとって
大切かどうか判断をするということでしょう。

ストレスを感じやすい人や落ち込みやすい人は、
「重大な仕事」や「家族の大問題」
に振り回されがちです。

日常の出来事を
「重要」であると位置づけるわけですが、
よく聞くと、
さほどの問題ではないことが多いのです。

多くの人が
「この仕事は必ず今日中にこなさねば」
と夜遅くまで働いたりしているのですが、
その必要がないこともよくあります。

一生懸命働いているように見えますが、
長時間働いて能率が落ちているので
さほど進捗もしません。
その日はやめてしまって、
翌日改めて取りかかったほうが
効率的なことが多いのです。

人生でも「大変な事態」だと過剰に考えて、
心配することがあります。

たとえば、
子どもが門限を守らなくなった、
などという「事態」です。
家族で話し合えばいいのですが
その時間が取れない、
とストレスになります。

けれども、
世の中を客観的に見回して、
広い視野から改めて自分を見たら、
そこにいるのは
ただの「心配症の親」に過ぎないかもしれません。

少なくとも、
すぐにだれかの生命に関わるとか、
二度と取り返しがつかない
といった「事態」でないことは明らかです。

よく考えたら、
「はずせない仕事」などないのですから、
前もって家族で話す日時を決めて、
ゆっくりリラックスして話し合えばいいだけなのです。

「この仕事は自分がいなければダメ」
というのもほとんどの場合思い過ごしです。
なぜなら、
その人が入社する前には、
その仕事はだれか他の人がやっていたからです。

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人生はどこから見るかで変わる

2021-11-24 07:29:31 | Weblog
学校で勉強していた頃に、
きっと
「広い視野と、いろいろな視点を持ちなさい」
と教えてくれる先生がいたと思います。

まさに、
勉強というものはそのためにあるわけで、
人生も同じことだと言えるでしょう。

子どもが
「数学なんか社会に出たら不必要だ」と言うとき、
「数学そのものじゃなくて、
世の中にはそういう視点があることを勉強するんですよ」
と教えるのも親の役目なのです。

ところが、
親も自分の人生を
「広い視野と、いろいろな視点」
で見ることを忘れがちです。
いつも怒りっぽい人は、
きっと自分はもっと正当に待遇されるべきだ、
と考えているのでしょうし、
落ち込みやすい人は、
きっと自分はなにをしても評価されない、
と考えているのでしょう。

どちらも客観的に自分を見ることを忘れています。
たとえば、
小さい子どもをヒステリックに叱るお母さんに、
そのようすをビデオに撮って見せると、
「私はこんなひどい叱り方をしていたのか」
と一様に驚きます。

友人に借りたお金を返さない人に、
借金を返さない人の話をすると
「ひどいやつがいるな」と憤慨し、
それはあなたですよ、
と言うとやはり驚きます。

自分がしていることを
客観的に見ることができないと、
人生のクオリティそのものが違ってくるのです。

なぜなら世の中には人に迷惑をかけても、
それすら自覚できず、
他人から後ろ指をさされて生きていく人がいるものです。

また、
落ち込みやすい人は、
「自分ほどついていない人間はいない」
と思いがちですが、
世の中には重い障害や病気を持って生まれながら、
必死に生きている子どもや、
自ら困難な役割を引き受けて
危険な仕事に励んでいる人々がいます。
それほどの困難でなくても、
だれでも心配や不安、
病気などのーつや二つは持っていて、
それでも人に対しては
明るく振る舞おうと努めているのです。

そういうケースが
自分の視野に入っていないために、
そういう人がいることをすっかり忘れて、
自分だけが「ついていない」と考えるのです。
そう指摘されればそのときは
思い直すのでしょうが、
すぐにまた自分の世界に戻っていきがちです。

「広い視野と、いろいろな視点」は、
つねに気にかけたいところです。

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自分を自分から解き放つ

2021-11-22 07:31:34 | Weblog
ストレスというのは、
いろいろな原因で襲いかかってきます。

本人には、
ストレスがどこか外部から
やってくるように感じられたり、
だれか他の人から持ち込まれるように思えますが、
じつは、
すべてはその人の心の中での出来事です。

ストレスをストレスと感じるのは
あくまで自分自身ですから、
それを解決できるのも自分なのです。

ストレスが溜まるという人のほとんどが、
自らストレスを再生産する傾向があります。

たとえば、
仕事を進める上で、
人一倍完壁を求めるとか、
周囲の人間にも一層の努力を求めるといったタイプ。

ところが人はけっして
自分の思い通りに動いてくれませんから、
なおさらストレスとなりやすいのです。
完壁主義だと、
仕事というものは求められたレベルを
こなせばいいのですが、
それをさらにレベルアップしようとするあまりに
ストレスとなってしまうのです。

家事においても、
たとえば、
結婚当初には、
洗濯物は洗って干して、
きちんと乾きさえすれば満足して、
うきうきしながら楽しんでできたのですが、
次第に完壁を求めるようになる場合があります。

そうなると、
シャツなどの襟も
ピシッと仕上がらなければならない、
ウールものは毛玉ひとつ許さない、
白い物はまっ白に、
色柄物をもつとくっきり、
という具合にエスカレートし、
少しでもうまくいかないとストレスになるというわけです。

こういう状態になると
ストレスがストレスを生みますから、
一度、
リセットするほうがいいのです。

ゼロにするというほどでなくても、
少しはリラックスさせるために、
「自分を自分の奴隷から解放する」のです。

自分の心だからといって
東縛しすぎてはいけないわけで、
ある日、
「今日は、なにもしなくていいよ」と解き放つのです。

または、
本当はやりたくてしかたがないのに
我慢していた趣味の作業などを、
なかば強制的でもいいのでやらせて、
いつもとはちがうことに没頭させます。

こうすることで、
それまでのストレスまみれの自分が
客観的に見えてきます。
解放されてはじめて、
自分は本当は別のことをやりたかったのだ、
と気づくのです。

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知らない街を歩く

2021-11-19 07:35:09 | Weblog
旅の恥は掻き捨て、
とばかりに羽根を伸ばせば、
日常のストレスなど吹き飛んでしまいます。

海や山、
渓谷、
川下りなど、
観光地のコースを回るだけでも
ずいぶんとストレスは消え去ります。

いい風景やいい空気、
面白い体験の感覚的刺激が
ストレスを粉々にするのです。

そういった本格的な旅行でなくても、
手軽に実行できるのが知らない街に行くこと。

これは、
なにも遠くの街でなくてもいいのです。
通勤途中の駅でも降りたことがない駅があります。
電車の窓から見ているだけでは、
その街の本当の魅力はわかりません。

思い切って、
まったく降りたことのない駅で降りてみて、
歩いたことのない街をあてもなくさまようわけです。
途中に適当な駅がなければ、
下車駅より少し遠い駅に遠征してもいいでしょう。

どこの駅前のスーパーも
地元のスーパーとは違った並べ方で面白いものだし、
昔ながらの商店街の
八百屋や果物屋、
乾物屋などをのぞくのも興味深いものです。
職人さんがなにか軒先で作っていたりもします。
古書店なども、
地元の店とは違う傾向があったりして愉快です。
意外に堅い哲学などの本がそろっていたり、
思いがけず探していた本を見つけたりできます。
公園などでも、
渡り鳥のカモが訪れる池があったり、
子どもたちが遊べる
立派なアスレチック施設があったり
といろいろな発見があります。

思わぬところに歴史的に貴重な旧家や記念館などの
施設があったりもします。

適当に散策したところで、
よさそうな店構えのそば屋やカレー屋に
入ってみるというのも非常に効果的。
それを食すのも
さらに感覚的な刺激になります。
どの街にも、
老舗っぽい古い店構えのそば屋やすし屋、
気の利いていそうなカレー屋などが一軒や二軒あるものです。

もし、
その店の人がひまそうなら、
この店や街の由来などを聞いてみるのも面白いものです。
テレビの「ぶらり旅」のリポーター気分です。

なにしろ、
その街の人は自分のことを知らない人たちばかりですから、
何も気を使うことがありません。
本当の旅行気分で歩いて食べて、
気分をスッキリさせることができるのです。

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ひたすら走る

2021-11-18 07:50:21 | Weblog
ふだんからスポーツを
よくやっている人はおわかりでしょうが、
体を動かしているときには、
仕事やトラブルなどの面倒なことは考えないものです。

よけいなことを考えながら
スポーツをやったら、
悪くするとケガをしかねません。
スポーツは集中することを心に強制するわけです。

そこで、
テニスでもサッカーでもいいのですが、
スポーツでストレスを解消することはお勧めです。
道具も場所もない、
という方は、
近くの公園などをひたすら走る、
または早足で歩くというのもいいでしょう。

ストレスの原因を解決するわけではないので、
仕事に戻ればまたストレスが襲ってくるのですが、
一度解消しておくと、
まったく違った気分で
ストレスの源に対応することができます。

もうひとつ単純ですが、
「ひたすら寝る」も効果的です。
たとえば、
家族とのケンカなどで経験があると思いますが、
お互いに興奮して意見が合わないまま
「もう寝る!」と寝てしまうと、
翌朝、ケロッとするのです。

これは、
もともと冷静に考えれば
大した問題ではなかったということで、
一晩で気分が変わってしまったわけです。
仕事でも行き詰まったときは、
お天気さえよければ
「ちょっと打ち合わせにいきます」といって、
公園などで昼寝をすると効果的です。
30分でも寝れば、
頭もスッキリしてストレスがどこかに行ってしまいます。

最後に「大声で笑う」というのも効果的です。
だまされたと思って、
大声を出せるところで
「ワーッハッハッハッハー」と笑ってみてください。
腹の底から、
なにかおかしいことを思い出して、
思いっきり笑うと、
自分がそれまでなににストレスを感じていたのかさえ
忘れてしまいます。

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思いっきり叫ぶ

2021-11-17 07:35:53 | Weblog
昔ながらのストレス解消法としては、
海や山に向かって思いっきり大声で叫ぶ
という方法があります。

そうそう海や山にも行けませんから、
手近なところでは
カラオケボックスで叫ぶという方法があります。
もちろんカラオケですから
ちゃんとした歌を唄うこともできますが、
唄わなくても 「課長の★◇◆☆!」とマイクで
がなるということができるわけです。

他にも「叫ぶ」方法はいろいろあります。
表現するというのも「心の叫び」で
ストレス解消になります。

私の友人には、
ストレスが溜まるたびに
長い手紙を書いて寄こす人がいます。
とくに返事を求めているのではなく、
「書く」という行為で
「叫ぶ」と同じように
ストレスを出しきることができるのです。

インターネットに自分のホームページを持って、
そこに一日の出来事を
毎日のように書き綴っている人は増えています。

これも、
だれかが読んでくれることを期待するというより、
「ホームページに書く」ということで、
出しきっているのです。

「書く」ということは、
記録にもなりますから、
あとから自分のストレスの歴史と
心の変遷をたどることもできて一石二鳥と言えるでしょう。

カウンセラーにかかるときにも、
そのホームページは貴重な観察資料になります。
なにかを「壊す」ということも、
「叫び」のひとつと言えそうです。

ストレス解消のためのグッズとして、
人の顔をしたゴムのおもちゃがあります。
思いっきり引き延ばしたり潰したりして、
その顔を変形させることができるというものです。

これは、
変形させても元にもどりますから、
何度でも「壊す」ことができるし、
なかなか効果があるようです。

外国のパブのようなところで、
ワイングラスを投げて「壊す」という店もあります。
投げるためのブースがあって、
危険がないようにされ、
みんな、
やはりなにか「叫び」ながら
ワイングラスをガッチャーンと投げつけるのです。
一度試してみたいものです。

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家族と話す

2021-11-16 07:33:22 | Weblog
ストレスは、「STRESS」と綴ります。
私はここから、
ストレス解消法として最初の
「S」はスポーツで、
「T」はトラベルで、
「R」はレクリエーションで、
「E」は イート食べることで、
最後の「SS」は、スリープとスマイルで
対応することをお勧めしています。

もちろんストレス解消法は
他にもいくつかにもあります。

いちばんのお勧めは、
「話すこと」で
いわゆる「グチ」などを
ストレス解消に使っている人もいますが、
「グチ」は「悪口」と表裏一体なので
注意が必要です。

人の「悪口」を言うことは
回り回って自分の利益にならない上に、
精神衛生上もあまりよくありません。

ストレスはもともと自分の中にありますから、
自分の心に対して 「悪口」言っているのと同じなのです。

きちんと話を聞いてくれて信用がおける友人がいれば、
その人に話してみてもいいのですが、
なかなかそういう人には恵まれないものです。

そういうとき、
家族を利用します。

連れ合いでも子どもでも親でもいいのですが、
相談に乗ることのできる人に話してみましょう。

意見を求める、
という形で聞けば、
きっとなにかいいアイデアを出してくれるでしょう。
というのも、
家族がストレスを感じていることは、
お互いを観察していればわかることなので、
家族は相談を持ちかける前に、
すでに「なにかストレスがあるのだな」
と気づいているものなのです。

そして、
家族の中にストレスがあると、
部屋の空気までピリピリしてきますから、
真剣に解消法を考えてくれるはずなのです。

家族ですから、
毎朝、
毎晩顔を合わせれば、
「ああ、今日はストレスがあまりなさそうだな」
ということもわかるようになります。

もし、
ストレスの原因に家族のだれかが関わっていたら、
ぜひ当人をまじえて家族で会議を開きましょう。
誕生日とか、
お墓参りなどにみんなが顔をそろえたときに
切り出してもいいでしょう。

子どもでも外に出ればさまざまなストレスがあります。
お互いの要望やァドバイスを交換することが、
家の中にあるストレスを解消する近道です。

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