コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

自分の「コース」をつねに確認する

2017-01-31 06:11:49 | Weblog
長距離走に参加したことがあるでしょうか?
走り方に戦略があります。

以前に友人のヨットに乗せていただいたときのことですが
周囲の状況の変化でコースを変えることもあります。
風を読み、
前からの船の方向を読みます。
緊急事態でも
急停車できないのです。

ちょうど、
前方から、
こちらに向かって全速力で進んでくる船の明かりがあった。
このままでは衝突は避けられない。
「進路を変えろ!」
相手からすぐに答が返ってきた。
「そっちこそ変えろ!」
「合図を出したのはこちらが先だ。進路を変えるのはそっちだ」
「船の大きさはこっちが上だ。そっちこそコースを変えろ!」

先客がいるからといって、
自分の夢をあきらめることはありません。
しかしその前に、
自分がはたしてそのコースで満足なのかどうか、
本音をたしかめてください。

あらかじめ自分のコースを確認して
常に前を見る
行き先をしっかりとして
有利なポジションを確保することが
大切なことです。

負けるが勝ち

2017-01-30 06:28:46 | Weblog
「負けるが勝ち」という言葉がありますね

世の中には「勝つこと」に異様なまでの執念を燃やす人がいます。
出世競争、
討論会議、
夫婦ゲンカ、
人生は闘いだ……と、
いつも厳しい目をしています。

フリーマーケットでの、
主婦とやりとりを見ているとよくわかります。
「ねえ、もうちょっと安くならないの。この白菜」
「えっ、う~ん、わかりました。お母さんには負けました」
この「負ける」は「勝ち負け」の負けるだ。
「負けるが勝ち」という。
あえて「勝ち」を相手に譲り、
自分は「負け」を甘受するが、
それは長い月で見れば「大きな勝ち」につながるということです。

値引きをすれば、
儲けが減ります。
しかし「まける」ことによって、
「あそこのお店は気前がいいよ。お買い得よ」
という評判を呼んで繁盛するから、
かえって大きな儲けとなります。

「いや、びた一文負けません」とやれば、
「あんなケチなところではもう買わない」となり、
人は店の前を素通りするようになる。
これは「勝つが負ける」ということです。

商売の話にかぎらず、
ただひたすら勝ちたい勝ちたいと目をつり上げるばかりでは、
かえって痛い目に遭うことも多いものです。

ふうふういいながら
大きなエネルギーを消費し、
ようやく勝てたとしても、
その見返りは「たったこれだけ?」ということもあります。

長い人生の中には、「勝つこと」よりも、
むしろ「負けたほうがよい」という、
いわば裏技があるものです。
こちらはエネルギーもそれほど消費するわけでもなく、
後になって
「こんなにもらっていいの?」ということになります。

今ではほとんど聞きませんが
昔は、「まける」ことを
「勉強して!」といったものです。

「ねえ、もうちょっと勉強してよ、この白菜」
「えーっ、わかりました。勉強させてもらいます」
というやりとりになります。
「負ける勉強」をしてこそ、
いい結果に巡り着くということです。


劣等感が自分を強くする

2017-01-27 06:29:51 | Weblog
周囲を見渡すと、
人の話に耳を貸さない人かいます。

ある会合で、
新しいメンバーが参加してきました。
それで
「臨床心理士の資格をおもちだそうですが、
難しい資格なんでしょうね」
と話をもちかけました。

そのとき、
件の人物が横から割って入って
「臨床心理士の資格ですが!?
それなら私ももっているんです。
あれは国家試験でなく民間資格でで・・・・・」
と長々と話し出すのです。

私は臨床心理士のことを知りたいのではなく、
新しい人をみんなの輪に溶け込ませたいために
質問しているのです。
ところがそこがわからないのです。

このような人は周囲の状況がまったく見えないのでしょう。
このような人かいると困り者です。
きっと本当は、
自分に自信かないのだろうと思います。
常に自分の立場が脅かされているという、
幻想に取りつかれているのかもしれません。

ですから「俺も一流だぞ」「俺も知っているんだ」
ということを示さないと気が済まないのでしょう。
何らかの大きな劣等感を抱いているのかもしれません。

劣等感その投影(影)として、
「俺が俺が」とやってしまい、
どの集団からも嫌われてしまうことになります。
そしてなぜ自分が嫌われるかがわからないのです。
またこのことに本人が気づいていないことが多いようです。
自分に自信があれば、心を無にして他者の話を聴くことができます。

ですから
他者の話を謙虚に聞けない人にはコーチングはできません。
次のようなことをチェックしてみてください。

・常に部下より優位に立ちたい、
・優れていたいと強く思う
・部下が一言しゃべれば、三つ四つ言い返さないと気が済まない
・よく部下に自分の過去の自慢話をしたがる

思い当たれば改善してみましょう。


人生の責任は自分しか負えないから

2017-01-26 06:10:26 | Weblog
昨日お世話になった方の
お通夜に参加しました。

若くしてお亡くなりになってしまったのですが
そんな時にも思いました。

自分の人生は誰のものでもない。
自分自身のものである。
だから、誰のせいにもしない。
すべて自分の生み出した結果です。

人生をこう考えられれば
「もう、やるしかない」はずです。

「自分の運命は自分持ち」
どう考えようが自分の人生なのです。

自分の運命を受け入れることで、
自分の人生に全責任が持てる人間となれます。

「全責任を持つ」ということは
「当事者意識を持つ」と言い換えることができます。

これを身近な例で言えば、
炊事、洗濯、掃除、育児などもそうです。

自分の身の回りのことは、
何でも自分でやるのが原則です。
そして、
もし周りの人に手伝ってもらえたときには、
「ありがとう」と素直に感謝する。

これしかないのです。

世の中では
「掃除や洗濯は家族や妻に任せておけばいい」
「炊事や育児は女性の仕事だ」
だなんて、
いったい誰が決めたのでしょうか。
誰も決めてはいません。
そう思っている人は、
単に自分に都合のよい解釈をしているだけです。

掃除から洗濯、食事の準備を自分でやること、
自動車や電車に乗らないこと、
もしそれができないならば
感謝しかない。


「経験がない」は「新しい冒険の楽しみ」

2017-01-25 06:01:42 | Weblog
ブラス思考の辞書があるとすれば
「経験がない」=「新しい冒険の楽しみ」となると
書いてあるでしょう。

「こんなことは、今まで経験したことがない」
と言って逃げようとする人がいますが、
経験がないことを
逃げる口実にしてはいけません。

プロのスポーツ選手だって、
最初は初心者です。

ですから
怯えることはありません。
経験がなければ経験してみればいいだけです。
その勇気さえあればいいのだ。

そう言えば私のコーチングを始めた10年ほど前
もちろん初心者。

その時に「1日1時間でいいから本を読みなさい」
と言われ
今では本を書くようになりました。

夕方暗くなってから
LED照明を照らしながら
公園で素振りをやっている子どもがいますが
「僕はプロの野球選手だ」
そうつぷやきながら、
練習しています。
空中にボールを投げてバットを振って。
から振り。

その時
「僕はなんてすごい選手だ」
なんてこの少年の姿が、
プラス思考というものだと
感心しました。

経験がないということは、
裏返せば、
これからどんな新しい冒険が待ち受けているかわからないことです。

自己イメージを高める方法

2017-01-24 06:08:23 | Weblog
自己イメージという言葉がよく使われます。

この自己イメージの本質にあるのは、
これまで自分の力で物事を成し遂げてきた体験の数です。

高い自己イメージをもつ人は、
子どもの頃から数多くの成功体験や突破体験をしています。

こう考えると
子どものときからの生活はとても大切なことがわかります。

逆に自己イメージの低い人は、
成功体験・突破体験をあまり経験しておらず、
あっても圧倒的に量が少ないようです。

これには実は両親が大きく関係しています。
親が子どもを甘やかしすぎて、
満足な突破体験をさせず、
結局、自信が形成されない。
こうしたケースも多くあります。

ですから、
自己イメージを高めるには、
成功体験・突破体験の量と質を増やしていく以外に方法はありません。

小さな成功体験をコツコツと積み上げて、
自分の力で一生折れない、
大きな自信に育て上げていくことです。

高い自己イメージや自信は、
本人の力で困難を乗り越え、
何かを成し遂げたときに初めてつくられるものです。

本人の努力なくして、
自信の形成や自己イメージの向上はありません。
そして、自信のないところに成功はありません。
成功体験・突破体験こそが成功の源泉です。


忍耐力を鍛える

2017-01-23 05:42:38 | Weblog
忍耐力が必要だよなぁとよく思います。

自分自身もそうだし、
周囲も忍耐力が低くすぐにあきらめてしまう人がいます。

多くの人は、
周りからの反対や失敗、
ちょっとした不運に出遭うと、
すぐに何でもあきらめてしまいます。

スポーツで怪我をしたらもうやらない
テストの点数が悪かったからもう勉強しない・・・など
しかし、
忍耐力が前進するための原動力です。

この忍耐力の不足が、
大多数の人に共通する弱点です。

弱点というのは必ず克服することができます。
そのためにも、
思いに集中し、
その解明なイメージを心の奥底に刻み込むことです。
そして
「必ず達成できる」と確信することです。

忍耐することを習慣すれば、
たとえ失敗しても、
その失敗に保険をかけているように、
平気な顔をしています。
そのような人が、
どんなに失敗を重ねても、
最後には階段を上りきることができる人です。

体を鍛えるには
筋肉痛が伴います。
同じように
失敗というのは、
成功を生むために必ず痛みが伴います。

忍耐強い人ほど、
最後に失敗を勝利に転換できます。

忍耐力とは心の表れだから、
それを鍛えることは必ずできるはずです。

忍耐力は一つの習慣です。
この習慣を身につければ、
何があっても自分はくじけないという心構えが
形成されていくはずです。
また、
その心構えによって、
忍耐力はますます強められていきます。

忍耐力とは、
何もせずにじっと耐える力という意味ではなく、
耐えながら積極的に行動するという意味です。

それは、
自分が置かれた環境や状況に屈し、
受け入れるというのではなく、
自分の運命を切り拓いていく力強さなのだといえます。


人生は決断の連続

2017-01-19 06:16:25 | Weblog
もしも、
自分は不運な目にばかり遭っている、
自分は不幸だと思っているのなら、
その出来事は、
そう思う自分自身が引き寄せています。

昨日
車椅子アーティストで
手足のない佐野有美さんのお話を聞きながらも
そう思ったのですが、
手足がないから不幸ではない
結局は
不幸は自分自身が作りだしたものです。

昨日も書きましたが
目の前に大きく立ちはだかっている壁は、
自分自身を試しているだけなのです。
それを
ハンマーを持って立ち向かってくるのか、
それとも新たな可能性を見つけに方向転換するのか、
あるいはそのまま立ち止まってなす術もなく見守るだけなのか。
自分で決められます。

人生は決断の連続です。
また、
自分で決めたことに対して責任をとらなければなりません。
そのためにも覚悟を決めることです。
覚悟ができていなければ、
前に進むことはできません。
誰かが助けてくれることを期待しても
意味のないことです。

もし、
現状がいやなら自分で変えることです。
変える努力をする気がないのなら、
そのことで文句は言わないことです。


不幸や不運などには実体がない

2017-01-18 06:09:50 | Weblog
幸福も不幸も実は実体がありません。
それは人の心の中にのみ存在します。

もし、
今自分は不運な目にばかり遭っている、
自分は不幸だと思っているのなら、
その出来事は、
そう思う自分が
それを引き寄せているだけのことです。

本当は、
不幸ではないし、
運が悪いわけでもありません。

目の前に感じる壁は、
自分がどう考えるかを、
試しているだけなのです。

それをハンマーで打ち壊すのか、
新たな可能性を見つけに方向転換するのか、
あるいは
そのまま立ち止まってなす術もなく見守るだけなのか。
それを決めない限り、
不幸でも不運でもなんでもありません。

最終的には何も問題ではないのです。
問題はそのときその場では
大きな問題になるでしょう。

しかし、
長期的に考えれば、
奈落の底に突き落とすほどのことではありません。
つまり、
大した問題ではないのです。

最終的には何も問題ではない。

そう考えるとすべての出来事には
意味があるということがわかります。
自分は試されているだけだと考えることです。

もう済んでしまったことを
「なんで、どうして」と苦しむことより、
いつもポジティブに解決しましょう。

もしも今、
報われていないと感じているのなら、
それは自分が試されているのだと考えることです。
そう考えることによって、
出せるエネルギーは確実に変わってきます。


恐怖を取り去る

2017-01-17 06:21:43 | Weblog
物事の原因と結果があります。
「なぜそれが起こったのかという原因」がわかると、
恐怖心は心の中から少しずつ薄れていきます。

ですから、
この恐怖心を取り去ることができたら、
どんなこともチャレンジできます。

人から批判される恐怖、
貧困への恐怖、
愛を失う恐怖、
死の恐怖・・・

私たちは自分自身の中からさまざまな恐怖を生み出しています。
何かに恐れを抱いていると、
向こうから自分を見つけ、
危害を加えてくることになります。
恐怖には強い振動を発して、
それに相応する現象を引き寄せる力があるようです。

冷静に恐怖の正体を見つめ、
それは対応することが、
恐怖を克服する唯一の手段です。
恐怖は自分がつくり出しているものなのです。

では、
恐れることのない思考は、
どうすれば得られるのでしょうか?

その答えは、
「なぜ」という問いを発していくことです。
物事の原因がわかると、
恐れは心の中から少しずつ薄れていきます。
そして、
恐れさえ抱かなければ、
心は常に自由でいられるものです。
「なぜ」なのかを考える。
そうすれば、
すべての原因が自分の中にあることにあなたは気づきます。
そのような状況から自分を救えるのも、
自分しかいないことがわかるはずです。