コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

失敗したのは仕方ない

2016-04-28 05:48:40 | Weblog
誰もが何かを始めるとき
精一杯やりますね。

でも人は完璧に処理することができないから
失敗をすることもあります。

例えば
そんな人を叱ったら、
ますます落ち込んで、
その次からは、
始める前に失敗したらどうしようかとばかり考えてしまいます。

その結果、
行動を足踏みしてしまいます。

ですから、
物事を行う時には
楽しいことを考えることです。

失敗することは仕方ありません。
次は次の方法をするだけのことです。

一番ダメなのは
やめてしまうことです。


手に入らないものは追いかけない

2016-04-27 05:49:02 | Weblog
手に入らないものはよく目立ちます。

人って「ないこと」は見つけやすいけど、
「あるもの」には、なかなか気づきにくいものです。

「自分には〇〇がないから、人生うまくいかない」
と人に語ったことはないですか?

〇〇には、人によって違うでしょうけど、
おおむね、才能、時間、資金、コネ、支援者、学歴、若さ、運、実力・・・
というような言葉が入るようです。

では、こう考えたらどうでしょう。
「自分にあったほうがいいものは、
もともと備わっているか、
獲得することもたやすい。
持っていないほうがいいものは、
与えられていないし、強く願っても手に入らない」と。

「なけりゃ困る」というものは、
思ったよりずっと少ないものです。

一人ひとりは、
もともと、みんな完全という考え方があります。
天(「創造主」「神さま」という言い方でもいいですよ)が、
私たち人間をつくったとしたら、
不完全につくるわけないじゃないですか。
天は失敗作はつくりません。
不完全に見えるけど、それで完全なのです。

「生きていくのに必要なものは、全部備わっている。
人はだれしも過不足のない世界に生きている」
と腹の底から理解できたとき、
他人と比較することがなくなって、
恐れが消えていきます。

そして、
本来の生き方が、
浮かび上がってくるのです。


足るを知る

2016-04-26 06:09:36 | Weblog
現代の飽食の時代に
「足るを知る」の言葉は
すでに取り残されたような感があります。

他人の活躍を耳にするたびに、
落ち込み大きなため息をつく必要もありません。

自分ができないことをその人がやってくれたわけですから、
自分の代わりに頑張ったその人に、
素直に「よくやってくれた」と拍手を送ればいいのです。
それぞれのフィールドで生きることを楽しめばいいことです。

ちなみに私たちが今、
現在に生まれてきて同時期の同じ空間に存在しているのにも、
意味があるのでしょう。

「木の葉一枚落ちるのも神は知っている」
という言葉もあります。

要はすべてのことが偶然ではなく必然なのです。

たとえば、
通勤電車で同じ車両に同時に乗る人も、
すべては必然だと考えることができます。

それに本人たちが気づいていないだけです。

私たちにできることは限られます。
限定されるけれども、
その範囲で全力を尽くせばいいのです。
その時に「身の丈を知る」「分相応」
という言葉を感じながら行動すると、
そこに品格が生まれます。
これがその人の意識を進化させる力です。

もっと言えば、「足るを知る」ことで
分離感に囚われている自分に気づくことができます。

雨露をしのげる部屋で寝起きができ、
毎日食べることができる、
そういった生きていく上での最低限の条件を満たした状態で、
あれをやりたい、
これをやりたいという願望を持っているわけですから、
それはなんて幸せなんでしょうか。

見る-する-得る

2016-04-25 06:11:07 | Weblog
何か行動を起こすときのことを考えてみましよう。

たとえば
「新しいものを開発した」
「仕事で成果が出た」
といった結果が出たときは、
必ず行動によってもたらされます。

「専門家に相談した」
「繰り返し挑戦した」といった行動です。

そして、
その行動は、
何らかのあなたの考え方(パラダイム)に基づいています。
「あの人に聞けばわかるはずだ」
「ニーズに合っているはずだ」
といった考え方のもとに何かをしたはずです。

これを7つの習慣では、
「See-Do-Get」
すなわち
「見る-する-得る」です。

商売でいうならば
「お客様のニーズを満たしている」
一「お客様に紹介する、営業活動をする」
一「売れる、売れない」という具合です。

これを逆のサイクルで考えてみると、
何かの結果を得たいと思うなら、
行動を起こすことが必要となり、
そしてその行動は考え方(パラダイム)が基本となり、
そこで得た結果があなたの考え方(パラダイム)に
大きな影響を与えます。

結果的に「商品が売れなかった」ことが、
「ニーズと合わない」
といった考え方を生むことになるわけです。

結果を変えようと思うならば、
行動を変えなければならず、
行動を変えるには、
見方・考え方(パラダイム)を変えなければならない
ということなのです。

信頼できる仲間や家族と過ごす

2016-04-22 05:56:11 | Weblog
仕事では、
プレッシャや理不尽な要請に対して、
冷静さを保ちつつ続けなくてはいけません。

自分の感情を押し殺し続けている状態で、
他人のふとした気の利かない一言に対して不満が出てくることもあります。

また、
外で溜め込んだ負の感情を背負ったまま家に帰り、
安らいでいる中で、
家事ができていないと、
いいかげんにせいという怒りの感情が吹き出してしまうこともあります。

しかし、
不機嫌な人と一に過ごしたい人はいません。
そういう不機嫌な気持ちは相手や仲間にも感染し、
結局自分に跳ね返ってきます。

そして、
そういう日常の積み重ねこそが人生ですから、
幸せな人生を送りたいならば、
「とにかく毎日を機嫌良く過ごす」ということを
実践したいです。

悪い感情(嫉妬、うらみ、不満、怒り、こび、へつらい等)に支配されず、
機嫌よく生きていくためにはどうすればよいか。

その方法の一つが
「信頼できる仲間や家族と過ごす」です。

人は一人では生きていけません。
だから、信頼できる仲間や自分の居場所がなければ、
他人に嫌われないようにしようという意識が高くなります。

しかし、
他人に合わせることは自分の感情を抑えることになるため、
表現できなかった喜怒哀楽の感情は不機嫌の元になってしまいます。

だから、
せめて信頼できる仲間や家族と過ごす時間を少しでも確保して、
感情を抑えないといけないような時間を
減らし心の状態を整えましょう。

逆に、そういう居場所があるから、
他での不機嫌になりそうな状況も切る抜けることができます。

幸せな人は
すべからず家庭を大切にしています。

静かな場所に身を置く

2016-04-21 06:11:37 | Weblog
世の中には
自分から知性というプライドを取り去ることができず、
偏見や先入観が、
人生の道に立ちはだかるのを許してしまっている人がいます。
そして、
物事がそうであること、
ないこと、
起こること、
起こらないことを理由づけしています。

さらに、
ほかの人にすべてを相談しながらも、
自分自身とは相談をしないために、
自らが持っている力の扉を叩けない人もいます。

多くは独りにならないこと、
いつも他人に囲まれていることに時間と労力を費やします。

私は、
「独りになること」によってのみ、
自分の内なる声を察知することを覚えられると思っています。

沈黙に入り、
完全な平静さを保つことが、
内なる導きの声を活性化するための絶対的な最善策です。

この沈黙の後には、
周囲の喧騒に関係なく
この声を活動させることが可能になります。
まずは、
完全に独りの状態にわが身を置かなくてはいけません。

しかし、
ほとんどの人が静かな場所での深遠な沈黙を知らないようです。

それでどうして、
絶え間なく私たちに働きかけ、
私たちに行き先を示し、
私たちの欲しているものを
獲得しようとしている自らの内なる声を聞くことができるでしょう。


すぐにやらなくてもいいことをカットする

2016-04-20 06:16:15 | Weblog
人は誰でも一日24時間が与えられています。
この24時間の積み重ね方が違うので、
一人ひとりの人生が違ってきます。

はた目に見て「あの人はうまくやっているな」という人は、
24時間をきちんきちんと使っているのではないでしょうか。

なぜそんなにうまく時間が使えるかというと、
人にもよりますがひとつには、
「やる気」を持って
ことにあたっていることが
共適していると思います。

なにごとも消極的に関わっていたら
能率が上がらないものですが、
「やる気」を持ってやれば、
些細な仕事でもきちんとできるものです。

なにかをするときに
「やる気」を持つためには、
まず、それが「今やるべきこと」であると
認識しなければなりません。
明日でも、
明後日でもいいことは、
集中してできないものです。

では、
どうすれば「やるべきこと」が見つかるでしょうか?

目の前には、
いろいろな物事があると思います。
会社の仕事、
地域の仕事、
家庭の仕事、
自分がやりたいこと、
またそのうちにやらねばならないことなど、
さまざまです。

そんな中から、
とりあえず手近な仕事から片づけようとすると、
やはり、
「やる気」が出なくてなかなか進まないものです。

ですから、
まず「すぐにやらなくてもいいこと」をどんどんカットしてみます。
たとえば、
机のまわりの掃除だとか、
手紙を書くことだとか。
すると、「やるべきこと」が浮かび上がってきます。

「いろいろなこと」の中に埋まっているときには、
さほど「やるべきこと」という自覚がなかったことでも、
まわりを整理すると、
際だって見えるのです。
「おお、これを先にやらなければ」と思えれば
もうしめたものです。


心のエネルギーを集中する

2016-04-19 05:43:33 | Weblog
有名なお話です。

1932年のワールドシリーズで、
ニューヨークヤンキースは世界一の座を賭けて
シカゴ・カブスと対戦していました。
「事件」は第三戦の五回表に起こります。
突然べーブルースが打席をはずし、
胸を張って右手の人差し指を外野席の方向に向けました。

そして打席に戻ると次の球を強打した。
打球は一直線に伸びて、
彼が先ほど指差した外野席に飛び込びました。

今も語り継がれている予告ホームランです。

この話から学ぶべき教訓がある。
もしべーブルースが打球を外野席に飛ばすつもりでいることを
観客にアピールするために外野席を指差したとしたら、
ボールがそこに飛ぶ確率が高まったことは間違いありません。

それに心のエネルギーを集中したからです。

彼は打球が外野席に飛んでいく様子を
心の中でイメージしていたのでしょう。

もちろん、
そうすることによって100%成功するという保証はありませんが、
成功の確率が高まったことは確かです。

ブロのスポーツ選手たちのあいだでは
イメージトレーニングの効果は、
昔から知られています。

彼らは十分な時間もかけて
自分の動作を心の中でイメージし、
その動作をよりスムーズに実行できるようにしていたのです。

チャンピオンは心の奥底にあるビジョンからつくられるのです。


きれいなものも汚いものも存在しない

2016-04-18 05:56:45 | Weblog
本当は、
生きているだけでとても幸せな存在であるはずなのに、
なぜなかなかそう思えないのでしょうか?

それは、
人間が思い込みに支配されやすい生き物だからといえるでしょう。

気がつかないうちに私たちの心には、
大きな先入観がかかっているのです。

人間のバイアスを指摘した、
江戸時代の曹洞宗僧侶、
良寛さんのエピソードがあります。

ある旅人が、
一晩泊めてもらえないかと良寛さんの寺をたずねてきました。

当時の旅は、
すべてが自分の足を使っての移動です。
歩き続けた旅人の足は、泥で汚れきっていますかち、
畳に上がる別にまず足を洗ってもちいます。

おけに水を満たし、
旅人が気持ちよさそうに足を洗っています。
歩き疲れて棒のようになった足に、
冷たい水が心地いいことでしょう。
それなのに、良寛さんは旅人をせかすのです。

「あの、もうそろそろおけを返してもらえませんか」
親切に接してくれていた良寛さんが、
突然そんなことをいうものですから、
旅人はびっくりします。
「いや、すみません。ひどく足が汚れているものだから。
おけは私がもとの場所に返しておきますが・・・」

すると良寛さんはこういいます。
「いやいや。あなた、お腹空いているでしょう。
早く食事の支度をして差し上げたいが、
そのおけで米をとがんといかんから」

「ええっ。足を洗ったおけで米をとぐのですか?」
あなたが旅人でも、
きっと、同じように驚くでしょう。
これが私たちにかかった大きな先入観なのです。

良寛さんは、
その旅人にやさしく諭します。
足が汚くて、
お米がきれいなものだというのは思い込みにすぎないと。

この世に、
きれいなものと汚いものという区別はなくて(不垢不浄)、
それは勝手に人間が自分の基準で色分けしているだけだと教えるのです。

さて、自分自身で色分けしている、
きれいなものと汚いもののはなんでしようか?

おそらく誰もが思うのは「お金」と「排池物」でしょう。


失敗を他人のせいにしない

2016-04-16 09:37:55 | Weblog
以前
アメリカの子どもが
「自分たちが肥満で苦しんでいるのはマクドナルドの責任だ」
として同社を告訴したことがあります。

子どもが「自分の肥満はマクドナルドのせいだ」と主張するとは、
いったいどういうことだろうか?
自己責任という考え方は、
もはやなくなってしまったのかもしれない。

なるほどそう考えれば、
アメリカの大半の人たちが肥満しているのもうなずけます。
自分が肥満している責任を自分でとらない人たちにとって、
白己責任で肥満を解消するなど思いもよらないにちがいない。
彼らはマクドナルドが
肥満を解消してくれるのをじっと待っているのだろうか?

自分が向上するためには、
自分の人生に責任を持たなければなりません。
他の人や環境のせいにしても問題は解決しません。
責任転嫁をしているかぎり、
自分は自分の問題を解決する能力がない人間であることを
認めているのと同じなのです。

不幸なことに、
自分が起こした問題を人のせいにするのが当たり前になっています。
たとえば、
タバコを吸いすぎて呼吸器病を思っている人は、
タバコ会社の責任にします。
飲酒運転で事故を起こした人は、
酒を用意したバーテンダーの責任にします。

はたしてこんなことでいいのだろうか?
自分の人生の責任は自分でとらなければならない。

本当の失敗者かどうかは、
自分の失敗を人のせいにするかどうかでわかります。