コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

一番前に座る人

2017-06-30 06:18:37 | Weblog
大学の講義などで皆さんは
後ろの方に座るでしょうか?
それとも、最前列に座るでしょうか?

こんな話もあります。
ある一定の人数の人たちを、
自由に2列横隊に並ばせてソフトボールなどをやると、
必ずと言ってよいほどに、
前列に並んだ人が勝つようです。

その理由は、
前列に並んだ人のほうが、「やる気」があるからだといえます。

今日こそは
言われる前に報告書を終わらせようかな、
と思っているところへ、
「おい報告書はできたか?」
上司にせかされて、
突如としてやる気を失った経験がありませんか?

上司が
「私のためにこんなに言ってれている。ありがたいな」
と思える人間性があれば問題はありません。
しかし、
たいていの場合、
「上司はいつも状況を考えずに仕事を押し付ける」
と思ってしまいます。

自分から「やりたい」と思ったのと、
「やりなさい」とやらされるのとでは、
やる気や結果が全然違ってきます。
どうせやらなければならないことであれば、
できるだけ好きになって、
やる気を出したほうがよいのです。

成長する会社では、
講演会や勉強会を開くと、
必ずと言ってよいほどに、
開始時間のずいぶん前から来て、
一番前の真ん中の席をとります。
講師の話を熱心に聞き、
質問の時間には率先して質問をします。
勉強会が終わっても、
講師をつかまえて、
納得のいくまで質問をします。

一方、
ダメな会社は、
勉強会がはじまっても遅れてきたり、
質問もせず、
後ろのほうで話を聞いています。

ひどいときには、
担当者に連絡もせずに当日欠席することもあります。


わからないことに心を閉ざさない

2017-06-29 06:21:32 | Weblog
私たち人が知識として知っていることは、
世の中のしくみのほんのわずかです。

勉強すればするほど、
このことがわかるので、
さらに勉強しようという意欲がわきます。

逆に勉強をしない人は、
このことがわかりません。
また、
勉強好きではない人は、
自分の知らないこと、
わからないことを聞くと、
心を閉ざしてしまいます。

多くの人は、
知らないことやわからないことを、
わからないからという理由で
無意識的に拒否してしまいます。

もちろん、
わからないことをすぐに鵜呑みにしてしまうのでは、
本当であると結論付けるのも問題がありますので
疑って考えることも大切です。

しかし、
すぐに否定してしまっては、
成長はありません。

否定をするのではなく、
自分がわからないことや、
すぐには信じられないことであっても、
「あるいはそうかもしれないな」と
受け入れる柔軟な姿勢が大切です。

また、
既存の知識や常識に凝り固まってしまうことも、
成長の可能性を閉ざします。
常識で信じられていることが、
本当の真実でないこともあるのです。

結局、
人間が信じられることは、
自分が経験し、
体験したことだけなのです。

幼い頃に教科書で教わったことや、
テレビのニュースで報道されていることなどを、
100%の真実だと信じ込むのではなく、
「あるいはそうではないかもしれない」と疑う柔軟性も、
同様に必要なことです。


愛ある言葉を大切にする

2017-06-28 05:58:44 | Weblog
動物と人の大きな違いの一つに、
人だけは言葉を巧みに操れることです。
さらに、
文字を使えるは人だけでしょう。
したがってこれも人間の特性といえます。

しかし、
今の人は言葉をあまり大切に使っていないようです。
言葉の持つ力を侮り、
悪い言葉や否定的な言葉を平気で使っています。
言葉は諸刃の剣のように、
使いようによっては、
人を癒しもしますが、
傷つけもします。

否定的な事件ばかりを伝えるニュースや、
幼稚なバラエティ番組、
サスペンスドラマやホラー映画、
各種メディアからは視覚的、聴覚的、
そして言語的にも、
悪い環境のものが世界に広まっています。

今の情報化ストレス社会では、
そういった娯楽も多少は必要なのかもしれませんが、
娯楽のつもりで作成した番組が、
悪い言葉のせいで、
いっそうストレスを増やす原因になっています。

日本語では「言霊」という考え方があります。
昔の日本人は、
言葉には魂が宿っていると信じて、
大事に使ってきました。
また古神道や陰陽道などでは、
神への祈りや呪術にいたるまで、
言葉の力を十分に使ってきました。
現在でも、受験生は「落ちる」「すべる」という言葉を避けたり、
結婚式で「別れる」「切れる」は避けていますね。

言葉は、
まわりの人を元気づけ、
幸せにすることができ、
とても有効に使えるものです。

日本語はすばらしい言語です。
ある言語学者によると、
日本語は世界でも珍しい母音言語で、
主に右脳を使って話す言語なのだそうです。

右脳は主に直観力や芸術の分野などで使われる部分です。
日本人が争いを嫌い、
お人よしな国民性なのも、
この日本語が原因しているようです。

今の不安定な世界では、
平和な世界を新しく切り開いていくには、
ぴったりのすばらしい言語です。

日本語を愛し、
誇りに思って、
愛ある言葉を大切にしたいです。


ついている人とつきあう

2017-06-27 06:17:59 | Weblog
もし自分がついていないなあと感じるならば
ついている人とつきあうことです。

自分のまわりを見渡してみて、
つきのない人ばかりだったとしたら、
残念ながら自分自身もついていないだろうと思います。

ついていない人のそばにいて、
そこからつきをつけるのは並たいていのことではありません。
なるべくならば、
つきのないときには、
つきのない人たちとのかかわりは避けるほうがよいでしょう。

ではどうすればよいのかというと、
ついている人を探して、
なるべくその人のそばにいて、
その人のマネをしましょう。

ついている人は、
つきのない人とつきあってくれないのではないか、
と心配に思うかもしれませんが、
それは大丈夫です。

つきのある人は、
何事もプラス発想をするクセがついているので、
謙虚に接するかぎりはつきのない人に対しても、
他の人と同じように接してくれるはずです。

ついている人がだれかわからない場合には、
「あなたは自分のことをついていると思いますか?」
と尋ねてみましょう。

そこで「ついていると思う」と即答した人であれば、
その人はプラス発想のできる人なので、
たとえ今ついていなかったとしても、
後からつく人である可能性が高いのです。

自分自身も、
同様の質問をされた場合には、
「自分はついている」と、
すぐに言うクセをつけてください。

人の意識の力は現実を作り出しますから、
ついている、
と確信を持って思い込むことで、
本当についている人になれます。

もし、
まわりについている人が見つからない場合、
それでもつくコツは、
自分の長所に注目してみましょう。
長所とは自分の特性の中でもとくについている部分だといえます。
長所を伸ばす努力をしていると、
次第に短所は気にならなくなり、
自分に自信がついてツキがやってきます。

また、
なるべくどんなこともプラス発想をして、
感謝の心を持ち、
「ありがとうございます」という言葉を大切にすると、
つきがやってくるように思います。


良心に聞いてみる

2017-06-26 06:03:23 | Weblog
多くの場合、
物事がうまくいかないときや、
自分の考えに迷ったときは、
まわりの人や専門家に相談してみることです。

しかし世の中には、
専門家の分析やまわりの人からの一般論では
割り切れない問題も存在します。

今までにだれもやったことのないことをする場合や、
個人的に罪悪感や同情などの感情にしこりがある場合などは、
それにあたります。

そういう場合の解決方法は、
自分自身の中にしかありません。

コーチングでは、
答えはすべて自分の中にあると考えます。

人間には良心という特性があります。
これは人間にしかない特性なので、
人間の長所だといえます。

良心は人の成長段階によって、
感じることや考えることがそれぞれ違いますが、
良心の奥深くの根元では、
本来人はどんなこともわかっているようだ、
と考えられます。
ただその大いなる知恵の引き出し方が
わからないだけのようです。

ではどのように良心を引き出せばよいでしょうか?

それには、
何かに迷ったときには良心に問いかける
クセをつけることです。

胸に手をあてて、
自分のなすべきことを聞いてみるとよいでしょう。
大宇宙とつながっている良心は、
きっと自然に沿った本来とるべき行動を教えてくれる
と思います。

また、
良心は聞くだけでなく、
感情をコントロールする際にも力を発揮します。

もし、だれかの行った行為に、
非常に腹を立ててしまったときには、
胸に手をあててみてください。
そうすると、だんだん心が落ち着いてきます。

良心は自分が何のために生まれてきて、
どんな役割があるのかも知っているはずです。
胸がワクワクとときめくようなことがあれば、
それは良心からの、
メッセージでしょう。

ワクワクすることをやればやるほど、
自分にとってとても楽しいことだと思えるはずです。
ぜひワクワクを追求してみてください。


行動を変えると感情が気持ちは一変する

2017-06-23 06:31:54 | Weblog
行動を変えると感情が気持ちが一変します

「職場の環境が悪くて、やる気が出ない」
「あのダメ上司のもとでは、自分までもダメになる」
など、
自分が置かれている環境の悪口をいうだけでは、
先に進めません。

そんな不平不満を募らせる以前に、
「行動を変えてみる」ということです。

環境は変わらなくても、
自分の感情が一変する可能性があるからです。
同じ環境であっても、
自分が何をしているかによって、
まったくその感じ方が変わってきます。

たとえば、気温が35度もありました。
家で本を読書している人が感じるのは、
「こう暑くては、読書に集中できるわけがない」という思いでしよう。
一方で、サウナに毎日は言っている人は、
「この暑さが、たまらなく気持ちいい」
と感じるかもしれません。

気温の条件は同じでも、
読書するかサウナに入るかで、
不快とも思われ快とも感じられます。
職場環境にしても同様です。

今まで、
上からの命令に従ってきた仕事のやり方を変えて、
自分から企画提案をしていくよう仕事のやり方を
変えてみるのもいいでしょう。

とかく上司と対立してきたやり方をやめて、
とにかく上司からいわれた通りに仕事を進めてみる
という方法も面白いでしょう。

残業ばかりしているのをやめて、
朝早く出社して定時までに仕事を終わらせる
というワークスタイルを変えてみるのもいいでしょう。

場合によっては、
上司に相談して、
仕事そのものを変えてもらってもいいでしょう。

自分なりに色々なことを試してみて、
行動を変えてみることです。

そのうちに、
環境は何も変わらなくても、
その中で自分が快適に働いていける
「自分なりのスタイル」が見つかるはずです。

心の中の相談相手

2017-06-22 06:22:37 | Weblog
作家の大江健三郎さんから聞いた話ですが
作品創りに行き詰まったとき、
昔の恩師や作家仲間で、
心から尊敬する人たちのことを思い出し、
心の中で、
「こう質問したら、あの人はどう答えてくれるだろうか?」
「こんなとき、あの人ならどうするだろうか?」
と考えるそうです。

これは考えるだけでも、
効果があります。

それまで思い詰めていた気持ちが楽になったり、
「自分もやらなきゃ」と励まされるといいます。

今までとは違った視点、
異なった価値観から物事を考えると、
今まで心にのしかかっていた間題が
「たいしたことじゃない」と思えてくることがあります。

「あの人なら、どうするか」を想像してみることは、
つまり、
従来の自分の視点や価値観から離れて、
他人の個性を通して物事を見直してみるということです。

「あの人は何事につけても、楽観的なものの考え方をする。
今回のことを楽観的に考えてみると、
どのようなことが見えてくるのか?」

「ピンチはチャンスというのが、あの人の口ぐせだ。
今私が経験している窮地も、
もしかしたら今後のチャンスにつながっているかもしれない」

そんな考え働かせてみることで、
今まで意識していなかったことに気づくことも多いのです。

そんな「心の中の相談相手」をもっておくことは、
健全に生きていくためには大切になるでしょう。

「それがどうしたの?」と考える

2017-06-21 06:31:41 | Weblog
「それがどうしたの?」
以前フランスの大統領だったミッテラン氏が、
女性問題で新聞記者に追及を受けたときに発した言葉です。
フランス語でいうと「エ・アロール」です。

世の中にはいろいろな問題が起こりますが
時がたてば自然に解決されます

それは、「どうってこともない問題で、大騒ぎする必要はない」
ということを教えてくれます。

「小さなことで、くよくよ悩んだり、自分を責めることはない」
ということでしょう

上司に怒られても「それがどうしたの?」。
友人から「あなたって変?」と嫌味をいわれても、「それがどうしたの?」。
性格的な欠点をバカにされても「それがどうしたの?」。
もちろん、言葉にして相手に反論する必要はありません。

心の中で「それがどうしたの?」と、
思っていればいいのです。

叱られたり、
嫌味をいわれたり、
悪口をいわれたり、
怒鳴られたり、
非難されたり、
バカにされたり、
笑われたり……は、
いわば日常茶飯事です。

いちいち真剣に受け止めるのではなく、
「それがどうしたの?」と心の中でつぶやくのが
ベストの対処法です。

周りの人たちの言動で少し揺きぶられても、
あたふたするのではなく、
自分のペースを守って生きていくための知恵が、
この言葉に含まれています。


人の評価を気にしない

2017-06-20 06:58:42 | Weblog
人の評価を気にしないで、
やりたいことをとことんやる

そんなことをいつも考えています。

「人生に悔いはないが反省はある」
そんなことをいう人がいますが、
果たしてその人は、
ほんとうに後悔することはないのだろうか?
けっこう強がりでいっているようにも感じます。

後悔すること。
これは言い換えれば「過去を引きずっている」ことです。
「ああすればよかったのにそうできなかった」
「あれをやりたかったのにしなかった」
そんな思いを抱いてしまうのは、
力が足りなかったり、
判断が甘かったり、
リスクを怖がって一歩前に踏み出せなかったからです。

反対に力があったり、
判断が正確だったり、
リスクをいとわずやりたいことをやった人は、
後悔をあまりすることがないだろう。

「過去を振り返ると悔いの残ることばかりです。
どうすればいいんですか?」
そう悩んでいる人は、
まずこれからの人生、
やりたいなと思ったことは極力やるようにすることです。

たとえ人からおかしな目で見られそうなことでも気にせず、
多少の障害があってもそれを取り除く努力をし、
やりたいことをしっかり心に留めてやっていくことです。

悔いを残さないためには、
何かを決断するときには慌てることなく、
自分の正直な気持ちに照らし合わせて、
いま一度じっくり見つめてみることも重要です。
迷いは自分の真の心を見つめる絶好の機会です。

その上で
「たとえうまくいかなくても、
結果が出なくても、
自分の責任で選んだことだから後悔しない」
としっかりといい聞かせ、
実行することです。

また、
自分を等身大でとらえられる人は後悔が少ないものです。
等身大でいるには、
まず背伸びしないことです。
背伸びして何かをすれば、
失敗する確率は高くなります。
力がなければ、
強く求めてもそれがかなえられることはなかなかありません。
背伸びすることは結局、
後悔を増やす原因になります。

私もいままで
「悔いのない人生を生きてきた」つもりでした。
しかし、
歳をとると肉体が衰えて、
人間そうもいかなくなってきた。

歳をとると、
これまでできていたことが、
だんだんできなくなってくる。

そして最近、
そのせいで過去にとらわれている自分がいることに気づき
「あれっ?」と思うことがたびたびあります。
そんなことはこれまでありませんでした。

人はいずれ老い衰えます。
私も土に還るのもいずれあるでしょう。
人の世界において強かろうが弱かろうが、
最後はみな自然に還ります。

そして、
その日までに悔いのない生活を目指したい。


命とは人が叩かれる

2017-06-16 06:08:09 | Weblog
「命とは人が叩かれる」て
意味がわかりませんよね。

命という字を見てください。
そう
「人が叩かれる」と書きますね。

どうも
人はこの世に生まれてきて、
一度は試練を受けるようになっているようです。
しかし、
これは絶対乗り越えられる試練です。

神様というのは、
その人が乗り越えられる試練しか与えないからです。

例えば
体の調子が悪くなったり
病気になったりします。

これには意味があります。

病気になったというのは、
体に対して感謝することを怠っていたからです。
それを「気づかせる」のために、
どこかからだの具合が悪くなるのです。


そのことに気づき、
他の具合が悪くないところに
ひとつひとつ感謝することです。

必要な治療を受けながら、
感謝することです。

そうやって、
問題のないところに感謝して、
感謝して、
最後に、
病気になったところまで感謝できたとき、
その問題は消滅するようです。