函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

鳩山法相の死刑制度発言について

2007年10月20日 14時39分29秒 | えいこう語る
この問題について、もう一度自分なりに考えてみる事にしたい。
自分が法務大臣だとしたら、自分の承認で死刑を執行すると言うのは、もし冤罪だったらと考えると嫌だし、自分が人を殺す事になったという結果は、自分が死んでも天国にはいけないような気がする。絶対閻魔様が待っている。
つまり人は人を殺したくないのである。殺してはいけないのである。
でも死刑制度がある限り、それは職務としては避けられない。そこで、鳩山さんの死刑の自動化発言が出たと思う。法相の発言に不謹慎だと批判する人もいるが、これを機に、マスコミも亀田親子や、相撲騒動ばかり報じていないで、死刑制度の是非を国民の前で戦わせて欲しい。
光市母子殺人事件では、死刑廃止に賛成の私も、これだけは許せないので死刑しかないと考えた。しかし感情論に左右されて、本来の趣旨を曲げてはいけないと思うのだが、人間には喜怒哀楽の感情がある。やはり感情で判断してしまう。もし死刑制度がなかったとしたら、最高刑の無期懲役で済む筈である。
オウムの麻原は、当時誰もが死刑と思っていたはずだが、今どうなっているのか、誰もが話題にしなくなってしまった。もし無期懲役になったとしても、すでに過去の関係ない人であって、マスコミも数日間は取り上げるだろうけど、国民の感情は冷めてしまっているに違いない。被害者や遺族のこともさほど思い出しもしない様に思う。不謹慎な発言かもしれないが、次々問題が起き、次々忘れてしまわなければ、自分の心が病んでしまう、そんな世の中になってしまっている、からではないだろうか。
刑務官の人が首に縄をかけて執行のボタンを押すそうだが、刑務官だって嫌なはずだ。国民の中からあなたが執行者に選ばれましたと言われても絶対嫌だ。福田総理だって「僕は嫌いです」と言うはずだ。まさか天皇陛下にと言うわけにもいかないだろう。
つまり誰もが人を殺してはいけないと思っている。死刑も殺人なのだということを自覚しているからだ。
世界で死刑が廃止されているのは130ケ国で、存続は60ケ国だそうだ。韓国でも今年廃止された。世界は死刑制度廃止に向かっているようだ。
それは歓迎される事だと思うが、一つだけ世界基準の死刑制度があっても言いと思う。
それは戦争責任者の死刑制度である。
戦争は大勢の罪無き人を犠牲にするので、双方死刑という制度だけは制定したほうがいいと思う。国益のためにという人殺しは許されてはならない。
神が最も嫌うのは「聖戦」と言う言葉を乱用して、人殺しをすることだと思う。だから神の名において自らの命を絶ち、責任をとるべきである。それが一国のトップの職責である。
その制度があれば、日本の総理も憲法第九条を守り続けるはずだ。自分だけが死刑にされては損くさいからだ。
まるで滑稽な発想かもしれないが、戦争と言う人殺しにはそんな制度を適用しなければ、最後には、核爆弾使用という大惨事がやって来る。
フセインが死刑になったのに、ブッシュが死刑にならないのは、冷静に見て不公平だと思っているからです。