函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

闇市を彷彿させる食品加工業界

2007年10月27日 09時23分17秒 | えいこう語る
偽装牛肉ミンチ事件のミートホープ、比内地鶏、白い恋人、赤福、等々、この先何が出てくるのか、食への信頼が揺らいでいる。
朝4時に目覚め、随分前に読んだ、直木賞作家立原正秋の「夢は枯野を」を読み返した。
内容を簡単に言えば、作庭家の主人公とハム加工会社社長の奥さんとの、不倫物語であるが、直木賞作家の筆にかかると、上質な文芸作品に出来上がっている。
昭和52年の作品であるが、その中にこのような描写があった。
「工場では作業が始まっていた。豚の枝肉を解体して骨を抜きとっていた。昔は東京と横浜の食肉市場から丸のままの豚が入ってきたが、今は枝肉になって運び込まれてきた。肉の半分以上が台湾からの輸入肉で、冷凍して送られてくるのを使用していた。ソーセージ用は雑肉が多く、羊と兎が主だった。犬肉をハムやソーセージに使っているハム会社もあるという話を聞いていたが、志田は犬だけは使わなかった。機械が便利になってくるにつれ、肉までがなんの肉でもよい、という風潮になっていた。犬の肉をハムに混ぜてわるいということはなかった。馬肉は堂々と使われていた。」
私は犬の肉は食した事が無いが、私の周囲では、60歳以上の人がほとんど食した経験があると話している。「赤犬が美味い」と、酒を飲むたびに聞かされた。
ミートホープの社長67歳は、北海道の奥深い山村で生まれた。
年齢から察すると、犬や兎、熊や鹿、蝮なども食べた経験があると思う。それに食べ物を大切にする時代に育っている。
中学校を終え食肉業界に入った時は、たぶん様々な肉を混ぜて使っていたのが、当たり前であった時代だと推測される。
食べられるものはなんでも食べると言う、闇市スタイルがこの業界には以前残っていたに違いない。
社長自ら肉のブレンドに熱心で、加工する機械も発明し農水大臣賞を受賞したと言う。無一文から年商30億円に這い上がった、根っからの職人である。
社員の慰安旅行は、全員を海外旅行に連れて行ったという。
戦後の食糧難、貧乏からの脱出、死に物狂いで働き、家族を守り経済成長の荒波を乗り越えて来たに違いない。
この社長は、自分を振り返ることなく、戦後社会の闇を引き摺ったまま生きてきたようだ。この業界の問題は歴史的な経緯に中に、農水官僚と政治が絡む問題でもあるような気がする。
小説の中でハム工場の社長が「肉挽機で細かく妻の肉を挽き、そこに調味料と香辛料をたっぷり入れて練り上げソーセージに仕上げたら・・・。」と想像する場面がある。
新聞では兎の肉が混入としか報道されていないが、報道してはならないものもあったのではないかと、疑心暗鬼に陥ってしまう。