函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館学講座 「路面電車の歩み」

2007年10月11日 06時23分19秒 | えいこう語る

明治30年 鉄道馬車が開始され、市民が湯の川温泉に行きやすくなった。
大正2年  電力会社の普及で、路面電車が登場する。馬糞が風で飛び洗濯物
       が干せないとの苦情もあった。伝染病で馬が死に、安定した運行が出来なかった。道路もそのころから舗装された
昭和9年  函館大火(街の7割近くが焼失)で、多くの車両が焼失。軌間
(1,372 mm)が同じである、東京都交通局から、中古電車を購入した。
  函館ドック(造船所)で、道産第1号の鋼鉄製の電車を作った。
昭和18年 戦時中での民間経営が困難になり、函館市の事業になった。
       戦争のために、レールを剥がしたりした。このことで国内の路面電車が廃止された所もあった。
昭和29年 北洋漁業が再開され、街に活気が戻り、利用客も増えた。
昭和39年 1日あたりの乗降客が、135,188人で3人乗務していた。
昭和42年 この辺りから、自家用車が急増したため、ワンマン化される。

私が電車で通学していたのは、昭和39年からである。とにかく込み合っていた。
その時の車掌さんに凄いオジサンがいた。座っている学生で、だらりと足を伸
ばしている者がいれば、邪魔だと言って、足を踏みつけた。今なら事件になり
そうだが、当時は、来たぞと言って、足を引っ込めたものだ。
今でも電車を見るたびに思い出す光景です。
函館の路面電車は、設立時に東京都交通局の指導を得て開通したので、軌間が
同じなため、都電の中古が何台も入ってきたそうです。
東京もオリンピックの終わった、昭和四十年代に、都心部の道路拡張がなされ
、都電が廃止になったのを覚えています。私が知っているのは、池袋の東口に
あった都電です。この都電が廃止されると同時に、池袋西武デパートが、パル
コと名前が変わったのも記憶しています。
講義終了後、講師の方に確認すると、そのころ何台かが函館に来たという話で、
今でも1台元気で走っているそうです。
平成13年には、北海道遺産に認定されています。経営が厳しいと思いますが、
高齢化時代の足として、活躍し続けてほしいものです。
テレビでよく見かけますが、外国で路面電車の走る国で、とても美しい街があ
ります。プラハです。
プラハの街は世界遺産に指定されているそうです。それで車の走行が禁止され、
市民は電車を利用するそうです。
北の大地北海道に、可能な考え方だと思うのですが、経営効率云々の夢の無い
現実論ではなく、100年後の街づくりを考えることも必要だと思いますね。