函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

「こっから舞」という踊りは、凄過ぎる

2007年06月17日 09時33分33秒 | えいこう語る
リオのカーニバルに参加する子供たちのチームを紹介した、ドキュメンタリ-放送を見た。指導者の大人は、「少しぐらい間違ってもいい。君たちはファミリーなんだ」と繰り返し強調する。
打楽器だけの、それも壊れたのを修理しての粗末なものだが、子供たちの笑顔と身体から湧き上がってくるサンバのリズムが素晴らしい。沿道の大人達が踊りだし、カーニバルが次第に盛り上がってくる。
スペイン系移民や、アフリカから連れて来られた奴隷たちの子孫のエネルギーが爆発する。子供から老人まで、たぶん、犬や猫や馬や鳥達や魚たちまで、ありとあらゆる生き物たちが踊りだし、ブラジルが踊りだすのが、あのお祭りの素晴らしさだ。
それを見て、私の村の、あるおばあちゃんの名人芸『こっから舞』を思い出した。私はそれを3度拝見したことがあるが、今、80歳近いから、もう永遠に見ることは出来ないと思う。
1度目は、ある宴会で。噂には聞いていたが、頭の中が真っ白になった。
2度目は、下北半島に研修旅行で行った時。旅館の仲居さんたちも見物に来て、凄いわね~と、感動していた。
3度目は、お寺の新年会である。男性は住職と役員さんだけの数名で、あとは奥さんたちとおばあちゃんたちである。それに成人の娘さんが一人、健康祈願で参加していた。
カセットテープからお囃子が流れ、歓声と悲鳴が混ざり、本堂は騒然となる。
出たー!・・・ほっかぶりをし、どじょうすくいの格好と想像してください。
下半身には、ふんどしの様な布を下げている。口上にあわせて腰を振り踊り出す。時折ふんどしをめくると、ななんと?そこにはリアルすぎる「一物」が覗く。そのつど女たちの奇声が本堂を揺るがす。総代の一人としては、お寺の修復費の心配をしてしまうが、住職までが手を叩いて喜んでいる。
数日後、それを拝見してしまった、二十歳の娘さんにその時の感想を聞いたら「みんなが元気になって、お正月らしくて良かったよ」と返ってきた。
頼もしい限りの娘さんである。・・・立派な成人である!
青森県に三内丸山と言う縄文の遺跡がある。
巨大な集落跡が発見されたが、雪が降る前に保存のために埋め戻しを終えて、発掘に携わった人たち(作業員はほとんど主婦たち)の、納会がテレビで放映されていた。
夜になり酒も入っていたせいか、焚き火を囲んで主婦たちが踊りだしたのを見て、あっと!声が出た。
『こっから舞』の腰踊りなのである。
縄文時代は出産が生死を分ける難事である。土偶などは、死産した母子たちの再生を願い埋葬したものである。発掘に携わった主婦たちも、きっと縄文の母子たちの気持に共感して踊りだしたのだろう。胸にこみ上げるものを覚えた。
『こっから舞』とは、臍から下の踊りだとおばあちゃんから聞いた。
80歳近い年齢だから、ここではおばあちゃんと書いたが、実は今でもスク-ターに乗っている、元気なかあさんである。
周囲では、「下品な踊りだ」と揶揄する人もいるが、縄文舞踊としての価値はある。
リオで踊ったって、アフリカの大地で踊ったって、大地を揺るがすほどの喝采を浴びると僕は評価している。
母さんがいつかあの世に行ったら、お寺参りの席で、僕は母さんの芸術性を褒め称える挨拶をしようと思っている。


「日本国万歳」の意味を考える

2007年06月16日 14時42分21秒 | えいこう語る
社保事務所から来所するよう案内があって、履歴の確認で行ってきた。函館市は思ったほど混雑してなく、15分ほどで呼び出された。対応した男性はどう見ても退職している年齢だ。持参した書類を出すと、てきぱきと対応する。
こちらが質問してもいないのに、今回の問題はマスコミが誇張するほどのものでもないことや、名前の読み違えなどのわかり易い例をあげて説明する。
邪推かもしれないけど、退職したベテランに登場してもらい、急場をしのいでいると言う感じがした。もしかして社保庁の事だから、アルバイト料を大先輩には、時間あたり10人分ぐらい出していないだろうかと、ありもしない事を考えてしまう自分を戒めた。
でも三歩も歩いたら、それって本当かもしれないと、真剣に考えてしまう、疑い深い嫌な国民になっていた。
そうこうしていたら、朝鮮総連本部の売却に絡んでいたのが、元公安調査庁長官で、その仲介を取ったのが長官の知人で、元日弁連会長という話が飛び込んできて、自衛隊の情報収集事件がなぜか重なり合って、蕁麻疹が噴出しそうになる。
ここまで来ているのであれば、もしかして、公安が拉致の実行部隊で、人身売買で総連からお金を受け取り、自分の組織を維持し、そこには政治的指令がどこからか出されていると言う仕組みがあるのではないかと、またしてもでたらめな展開をどんどん考えてしまう。
バブル崩壊後、朝銀信組が破綻した処理に、1兆2千億円の公的資金が導入され、小泉氏が国民によく説明しないまま、いきなり二度訪朝したこと、拉致問題解決を応援する顔ぶれに、少々歴史問題をねじ曲げようとする、国家主義的な色合いの人たちがいること、などなど。
そして、極めつけは元公安長官の登場で、拉致問題は解決不可能と言う結論を、国民にアピールしたのではないだろうか?
もう私のでたらめも、でたらめにも程がありすぎてはいけないので、小説家の森村誠一氏に登場願い、一冊書いてもらわなければならないようです。・・・題は『戦争と拉致』?
もう一冊は、あの世に行かれる前に、世の中の全てをご存知の青木氏と野中氏の共著で、題は『日本国万歳』?(万歳はもちろんお手上げと言う意味です)
そうです。松岡氏も本当は、こんな謎かけをする、洒落っ気の或る人だったのかもしれませんね。




今年は石楠花がきれいだ

2007年06月15日 14時57分34秒 | えいこう語る
ここ数年間庭の手入れを怠っていたので、木々も随分大きくなった。
そのせいか今年は石楠花の、葉も花もきれいだ。きちんと手入れしていた時より、伸び伸びしているように見える。
庭の手入れが几帳面だった母が生きていたら、随分叱られるはずだが、仏間に飾られている写真は笑っているから、助かる。
仏間の写真は笑顔がいい。写真館で写した立派な写真だと、いつもご先祖様にしかられている様で、気が重くなる。
2年程前に亡くなったが、酒を飲むと暴れて、近所の家を訪ね歩く困ったオヤジがいた。普段は几帳面で、真面目に働いているのだが、奥さんが家を空けると大酒を飲み人様に迷惑をかける。しかし、最近こんなオヤジも皆無になった。近所が集まって酒盛りすると言うのも、田舎でもほとんどなくなってきている。テレビを見て家で飲んでいるのが一般的である。だから些細な事での罵りあいもなく「父さんやめなさいってば」と奥さんが後ろから羽交い絞めにする『殿中松の廊下』も最近は見たことも聞いたこともない。当然人間関係も希薄になっている。
そのオヤジは奥さんがいなくなると暴れるから、結局はただの寂しがりやなのだ。オヤジは或る有名な横綱と従兄弟だと話していた。姓も同じで出身地も同じだし、顔かたちも結構似ているから、本当らしい。自分の親戚に有名な横綱がいるのを単に自慢していたばかりでなく、俺も強いんだとそっちのほうを強調していた様に思った。
そのオヤジとは同じお寺の檀家なので、亡くなってまもなくオヤジの位牌箱を覗いたら、何の時に写したのか、満面笑顔で、しかもVサインをしている写真が飾られ、思わず吹き出してしまった。これでは生前オヤジが、皆さんに迷惑をかけたのも、全て帳消しになってしまう、いい顔だ。
オヤジの家には奥さんが一人で住んでいるが、今その庭には、菖蒲がきれいに咲いている。そう言えば、そのオヤジもよく花畑を手入れしていたのを思い出した。


日の出美術館

2007年06月14日 14時34分58秒 | えいこう語る
今朝3時半にトイレに起きると、カーテンを通して外が白み、夜の帳が三分の一ほど開ける気配がしていた。窓を開けると水平線の上に、幾重にも重なったなった雲の隙間は、日の出を待っているようにうっすらと赤みを帯びていた。
妻を起こさないよう静かに着替えていたが、昨夜から始めた隣町での、なんとか健康体操に参加したため、疲れきって少しぐらいの物音にはびくともしない寝姿である。
家から出てびっくりしたが、こんな早朝に電線の切り替え工事だといい、バケット型の作業車が仕事をしていた。「早朝からご苦労さんです」と素直に言葉が出る。
足跡が付いていない砂浜を歩くのはとても気持がいい。水平線の上空は刻一刻と赤い色が加わり、さあ神様がお出でましになると言う、完璧な舞台が設定されている。
夕べ遅く出た漁船が、真っ黒な煙を吐いて港に戻ってくる。そのエンジン音に負けじと、カモメたちが朝食を求めて泣き叫びながら乱舞している。
朝日の頭が水平線に見えると、完全に水平線から出るまでの時間は意外と早い。いく度となく朝日を拝んでいるが、天候状態や雲のかかり具合などからして、同じ光景は絶対にない。今日も日の出美術館は完璧な絵の展示で、私を迎えてくれ、心と身体にエネルギーを満充電してくれた。
こんな日は、きっと誰かに日の出の素晴らしさを語らずにいられない。
ちなみに我家のクレオパトラは、朝日の素晴らしさをいくら説明しても、あなたの説明で十分だし、寝ているほうが私はエネルギーが充電されると、今年も朝日を拝む気配はないようだ。



本当のことを知りたいものです

2007年06月11日 12時41分36秒 | えいこう語る
縄文時代の装飾品であるヒスイは、ほとんどが新潟県の糸魚川産で、その時代から交流が活発であったとされて来たが、九州の縄文時代後期の首飾りを分析したところ、7割が地元産のクロム白雲母片岩である事が新聞に出た。
日頃何事にも疑い深い僕にとって、デマシタ大統領といった興奮である。人を信用する事が社会人の基本的な態度であるが、疑う事から真実が発見されてくるのも社会人としての責任感だと思う。まずは考古学を揺るがしかねないこの記事に注目していきたい。このヒスイの解明から日本古代史や神話、そして天皇制度について、より正確な解明をして欲しいものだ。
以前考古学関係者から個人的に聞いた話だが、僕の中学時代(昭和30年後半)には、縄文時代が弥生時代より未開で野蛮な世界と教科書で教えられてきたが、それには天皇性の問題が絡んでいると言う事を聞いて、納得した事がある。
憲法改正問題が迫ってくるこの頃、学校教育の中で天皇制に関する事をきちんと教えてもらいたい。国家や日本人であることの存在を学ぶ時、避けて通れないのが天皇制だが、学校で教えないから曖昧な日本になっていると思う。日教組が率先して文部省に働きかけ『日本国天皇』と言う教科書を作ってみてはどうだろうか。日本が世界から信頼される国になる前提には、その事が絶対必要だと思うけど如何なものでしょうね。
それに中学生の修学旅行は絶対靖国神社を見学したほうがいいと思う。日本人がどんな民族か、歴史を学び取るには最高の生きた施設だと思う。まず校長先生始め教師の方も見学して欲しいですね。相手の懐に飛び込んでから討論するのもいいと思う。
僕が靖国を訪ねて思った事は、260万余の英霊たちは天皇の軍隊であり、総理大臣の参拝より天皇陛下の参拝を希望しているのではないかと思った事と、戦争は絶対にしてはならないと言う事でした。戦没者慰霊祭がおこなわれる日本武道館に陛下は来るけど、すぐ隣の靖国には来れないなんて、陛下も英霊達も心を痛めていると思いますね。
石(ヒスイ)の問題から天皇性のことそして教育の事まで、自分の思いだけを勝手に述べさせていただきましたが、僕が言いたいのは、本当の事を知りたいと言う事で、真実の追究こそが人間としての存在を証明できる一つの手段であると考えているからです。
わかったようなわからないような事を考えてしまうのは、社会保険庁の問題や、介護保険のコムスンの問題ばかりが報道されているせいかなと思っていたら、なぜかまるで関係ない、旧大蔵省の『ノーパンしゃぶしゃぶ』事件を思い出してしまいました・・・?混乱して来たのでこれで終わりにします。