函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

明るく強く正しく美しく

2018年10月13日 21時25分31秒 | えいこう語る

▼今日(13日)は私の母校,椴法華小学校の学芸会に町会長として出席してきた。全児童が21名だという。私が入学したのは昭和30年だ。1年生が3クラスで120名を超えていた。

▼こんな少子化の状態は、全国いたるところで目にする光景なのだろう。「地方消滅」という言葉が頭をよぎる。中学校に入った頃には前浜の漁が減少し、その頃から友人の父や母は本州方面への出稼ぎが多くなってきた。

▼間もなく開催される日本初のオリンピック残るため、首都圏周辺は公共授業が活発になり、労働力は地方から首都圏へと移動した。一極集中の始まりだ。その後、地方の人口は減少の坂を転げ落ちていった。

▼母校である小学や中学に出かけると、決まって過疎化の始まったあの頃の時代が蘇ってくるのだ。それから60年ほど過ぎたが、過疎化という大災害に対する対策の無力さだけが記憶に残る。

▼途中「ふるさと創生資金」1億円などというのが、各自治体にばらまかれたことがある。旧自治省の担当者に「今の地方自治体の能力では、使い道などアイディアが浮かぶ状態ではない」と、若さゆえの無謀な苦言を呈したこともあった。

▼我の村の1億円といえば、以前本州資本が大規模な観光開発を仕掛けてきて、その会社に土地を売ったが、会社が傾いたため使用してないその土地を買い戻したのだ。その土地も市町村合併で函館市の所有となった。そんな歴史を瞬時に思い出すのが、学校という学び舎なのかもしれない。

▼小人数ながらも、後輩たちのスクールバンドには感動した。数年前から、全道大会などで活躍する実力を備えていた。今年の春、5人が中学校に移ったので、パワーダウンを心配していたが、先輩の音楽に対する情熱は、確実に後輩たちに受け継がれていた。

▼劇「ハーメルンの笛吹き」は、グリム童話のネズミ退治の物語だ。笛吹き男に約束の報奨金を払わなかったので、町の子供たち全てを笛吹き男が連れ去ったという物語だ。

▼ネズミ年の私だが、なぜかネズミが川で大量死するこの話が、子供の頃から好きだった。大人になって知ったこの話には、子供たちが連れ去られたが、二人だけが残ったという結末も知った。笛の音が聞こえなかった耳の聞こえない子か、体が悪く動けない子供だったという。

▼戦時中の疎開政策を思い出した。子供を戦争から守るというのは建前で、実は兵隊を確保する政策だったという。その実態を証明するものとして、身体不自由の子供は、疎開から外されたという。

▼人間を人間と扱わなかった、戦争というものを想起させたのは、学校という建物がその事実を知っているからだ。子供たちが懸命に演じるその姿勢から、私はそんな不実な我が国の実態を、思い起こさせられたのだ。

▼アベ政権の新人文科大臣が「教育勅語」を学校でアレンジして使用してもいいと言い出した。子供たちを兵士予備軍に仕立てた学校教育が、かつてはこの場所にも存在した。校舎の建築様式は変われども、戦前と同じ場所に学校が建っているからだ。

▼周囲の山も海も変わりなく存在する。同じく体育館に飾られていた校歌の歌詞からも、その当時の風景が蘇る。子供たちの演奏や歌声、そして熱心な演劇も、周囲の自然は変わらずに見守ってきたに違いない。

▼「明るく強く正しく美しく」。私たちの小学時代もそんなキラキラした、小学生だった様な気がする。伝統を守り続けてきたのは、校舎という存在、そのものだったのではないだろうか。

▼やがて、少子高齢化が地域を消滅させるかもしれない。学校という砦を守るのが、私たち先輩に課せられた大きな使命ではないかと、21名の後輩たちの「先輩ガンバレ」の声援に押されて、母校を後にした。

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