るるるさんが先週の講座(チョムラク渓谷4)に出てきた文
손 바가지를 만들어 계곡물을 마셔 보았다.
の訳について
テキストの訳は「手ですくって渓谷の水を飲んでみた」となっています。
私はどうしたかというと、韓国でパガジなら日本では「手柄杓」だろうと思ったんです。
ところが。
今回初めて知ったのですが、この「手柄杓」という言葉は辞書に載っていません^^;
と書いていらっしゃいました。 ⇒こちら
私だったら単に「両手ですくって」と訳して終わってるのですが、
「手柄杓(てびしゃく)」という言葉、いいですよね。
韓国語のパガジが生きてきますもの。
ところが、また悪いクセで、
「柄杓(ひしゃく)」と「杓子(しゃくし)はどう違うのだろうという疑問が湧いてきました。(苦笑
「柄杓」は、水をくみ取るためのもの。椀状の容器に長い柄が付いている。「杓」とも。
「杓子」は、汁や飯などをすくうのに用いるもの。
ということは、この場合「柄杓」の方が合ってますよね。
昔は、ご飯をよそうのも汁をよそうのも同じもので、「杓子」と言ったそうですが、
「じゃもじ」と「おたま」に分化したので、その二つを総称して「しゃくし」と言うようになったとのことです。
「柄杓(ひしゃく)という言葉が「瓢(ひさご)」から来ていることを知って、
日本も韓国も発想が同じだったんだな~と思いました^^
「しゃもじ」も昔は「杓子」だったんですね!
いろいろ使い分けるようになったから個別に名前が付いたんでしょうか。
しゃもじはどうして杓「文字」なのかとか・・・
杓子の世界も奥が深いです。(笑
だんだん、使われる言葉も減って行く傾向にあるのかな、なんて、年寄りとしては淋しくもなりますね(^^;)。文学においても同様だったら困るわぁ。
「しゃもじ」と「おたま」ですねぇ、今は(^^)。
「ひしゃく」から「しゃもじ」に脱線してしまいました。
しゃもじの「文字」は女房詞だそうです。
(婉曲を表す接尾語なんですって)
使い分けるようになってすぐのころは「飯杓子(めじゃくし)」
と言ったそうですが、結局「杓文字」になったんですね。
ホント、杓子の世界も深い。。
褒めていただいてうれしいです。
が、果たして両手だったのかは疑問の残るところです。
私にとってはパガジのイメージがたっぷりしていたので
「両手で」としたのですが・・・(苦笑
使われなくなる言葉、、、やっぱり寂しいですね。
風情もなくなっていくようで・・・。