LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

CHANSONS DE FILMS/FRANCOIS DE ROUBAIX

2010-01-30 | THE SOUNDTRACKS
昨年11月にユニバーサル・フランスより発売された
フランソワ・ド・ルーベ作品集"CHANSONS DE FILMS/FRANCOIS DE ROUBAIX"より
ボーカリストたちのインタビューが記載さたライナー・ノーツのうち
ドロンさん主演作『冒険者たち』の共演者ジョアンナ・シムカスのものをご紹介します。

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"当時、私はフランソワがどれほど多く映画音楽の世界に革命を引き起こしていたかわかっていませんでした。"

ロベール・アンリコ(監督)と私は1966年から1968年にかけてかなり親密な関係にありました。
その間私たちは3本の映画を撮りました。その3本とは『冒険者たち』、『若草の萌えるころ』そして『オー!』です。
私は映画界にはモデルとして入ってきました。
ですので私は自分自身の本職が女優であるとは認識していませんでしたし、
ましてや歌手などとは決して思っていませんでした!
しかし、ロベールは私のキャリアについて、他のアイデアがあり、私にアドバイスと励ましを与えてくれました。
彼にとって私は彼自身の作品だったのでしょう!
ある時点で、彼の頭の中に、私は歌手を志すべきだという考えが生まれたのです。
そうすれば私にはより多くの可能性が生まれるであろうと。
それで私はフランソワ・ドルーベに会うことになりました。
ロベールはフランソワのことをまるで自分の弟のように接していました。
そこで私は『冒険者たち』のメインテーマを元にした曲で歌のレッスンを受け始めました:
"あなたたちはは正に冒険者たちだね。失うものも得るものも何もないよ。" 
私たちはフランソワとデモを私の声とギター演奏だけで録音しましたが、発表されることもなくそれっきりでした。

その1年後、『若草の萌えるころ』の為に、アンリコはふたたび挑戦しました。:
今回彼は私の為に2つの曲の歌詞まで書いていたのです。
その時私はフランソワの真の姿を目の当たりにしました。
私が”Loin” と “Le Monde est fou”のボーカルを録音している間,彼は天使のような忍耐力を示してくれました。
私が歌詞を間違ったり、キーを外してしまっても、彼はとても穏やかに私を叱責しながら、
まるでヒマラヤの現地人登山ガイドのシェルパのように私を導いてくれたのです。
後にプロの歌手たちと仕事をするようになって、フランソワはとてもつらかったのではないかしらと感じます...
できあがった作品はとてもまともできっちりしています。それは曲たちがとても美しく詩的だからです...
しかし、より経験豊富なシンガーたちのより多くのテクニックにかかると
曲そのものが何か違った次元のものになってしまったように感じるのです。

実は私がこれらの曲を再び聞いたのがかなり最近のことなのです。私の娘たちのおかげです。
私は過去にしがみついて生きていません。
その当時、私は映画のスクリーンに映る自分の姿を観ることに耐えられませんでした。 :
『冒険者たち』でさえ、公開されてから一度も見ていませんでした。
私は夫のシドニー・ポワチエと一緒に、2006年のカンヌ映画祭で回顧上映されたときに初めて観たのです。
公開されて 40年も経ってからですよ!
そしてその時私はフランソワド・ルーベのインスピレーションの力に感じ入りました。
彼は何とモダンだったんだと。
彼と一緒に働いている間、私は彼のことを友人として接してきました。:
当時私はフランソワがどれほど多く映画音楽の世界に革命を引き起こしていたかわかっていませんでした。"

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読んでいますとジョアンナ・シムカスの謙虚な言葉に大変好感が持てますし、
同時にフランソワ・ドルーベという人の繊細なお人柄がこちらにも伝わってきます。
彼の書くスコアに漂うどこか人々の心を癒すような響きは、
正に彼自身の心の奥底から湧き出てきた泉のようなものであるように感じます。
ドロンさんの傑作『冒険者たち』に採用された奇跡的なスコアは映画史に永遠に刻まれていくことでしょう。
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JOURS DE FRANCE NO,1419 MARS 1982 (2)

2010-01-29 | THE MAGAZINES
前回ご紹介号の記事の写真です。

記事の中身につきましては以前作品のレビューに書いたドロンさんのインタビューと
ほぼ同じ主旨の内容のことが書かれています。
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JOURS DE FRANCE NO,1419 MARS 1982 (1)

2010-01-16 | THE MAGAZINES
『最後の標的』の特集記事が掲載された1982年の"JOURS DE FRANCE"5月号の表紙です。(左側)

よく観ますとドロンさんの髪の毛の分け目が反対ですし、
腕時計も右腕にはめていることから裏焼き写真が使われていることが分かります。

画像を反転しますと(右側)本来のドロンさんの姿が現れます。
ドヌーヴの顔もこちらの方が美しいですね。

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さて皆様にひとつ嬉しいニュースです。
今年に入ってTomo様のサイトが復活しました。
Tomo様、おかえりなさい。またよろしくお願い申し上げます。

UNKNOWN DATA OF ALAIN DELON
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FROM MY NEW SCRAP BOOK (61)

2010-01-16 | THE BRILLIANT PHOTOS
『最後の標的』からドロンさんのスチール写真です。
どの場面でのものかは定かではありません。

アシェット・コレクションズより。

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『LE CHOC』 (4)

2010-01-11 | THE SOUNDTRACKS
前回のライナー・ノーツ翻訳の後半です。(ただし『最後の標的』に関する部分のみです)

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1981年の終わり頃、『最後の標的』の編集作業中のロヴァン・ダヴィはこの作品に大いに幻滅を感じていた。:
"私は石のように沈んでいた。そこに幸いにも、フィリップ・サルドが私を救いにやってきてくれた。
いつものようにおしゃべりをしながら熱意をもってやってきてくれたんだ。
まるで音楽のスーパーマンのように彼は胸をはってこう言ったんだ。
「心配しないでいい。あなたの映画を救って見せる!」とね。”

作曲家も同じように彼らの最初のスクリーニングセッションを一緒にした直後のことを覚えている:
"私には非常に単純な野心があった。つまり私の立場はこうさ:
音楽によって『最後の標的』という作品を単なるテレビ映画にはさせないってね。
映画のテーマには特にこだわらない。:
劇的な場面においてスコアはその内容を深めるため、そこに特別なものを注入した。
こんな風なやり方で、私はロヴァンが受け入れ難い音楽を彼に受け入れさせねばならなかった。
他の言葉で言うと、何人かの素晴らしいソリストを一同に集めて、
ロックとジャズ・フュージョンとロマン主義の音楽の間でバランスのとれた型にはまらないスコアを認めさせるということだ。
私は近代的なドライブ感覚を持った精力的なものにしたかった。
メインテーマを聴いてみたまえ:
そこではLancelot du Lac (1974)の音楽からのモチーフを私は再び取り上げて、さらに発展させている。
ロックのリズムをバックに、ソリストは偉大なサックス奏者ウェイン・ショーターに演奏してもらったんだ。:

私は彼に砲撃するような音色でもってソプラノをプレイしてもらえないかと依頼したんだ。
民俗楽器からジャズ・ホーンへの予期せぬ置き換え...
その結果、他の楽器の音とは全く異なるサックスの音色が、
ドロンとカトリーヌ・ドヌーヴの叙情的なラブシーンと同じように暴力的でスリラー的な場面にもフィットする。

私にとって『最後の標的』の音楽は『夕なぎ』とCoup de torchon (1981)の音楽の最も直接的で偉大なブレンド作業と言える。:
ジャズロックのリズムセクションにはウエザー・リポートのミュージシャンたち、ロンドン交響楽団、
そしてソリストのウェイン・ショーターに参加してもらった..
これには巨大なリスクを伴うものだった。:
大衆を目的とした映画にこのようなオリジナルのサウンドを構築するのであるから。
それには誰の耳にもなじむ明確な曲が必要であり、しかも全く他では聞いたことのないものにする必要があった。"

後になっとみると、ロヴァン・ダヴィはこの荒海から救助してくれたことを思い出して感謝している。:
"彼の音楽において、フィリップは私と一緒に物語を語ってくれている。
彼は『最後の標的』という映画を本来あるべき位置に戻してくれたのだ。
そして私はロートネル作品との目に見えないつながりにも愛着を感じている。:
それは 5年前の『チェイサー』でのスタン・ゲッツとの関係だ。
我々はまたしてもドロン&サルドに相対している。
だが今度のサックス奏者は黒人のアメリカ人、ウェイン・ショーターだ。

そして、フィリップは、この映画の中にほとんど気づかない何か特別なものを新たに加えている。:
私の希望は映画界の根幹を揺るがすようなことを行って破壊することだった。
例えば、私はカトリーヌ・ドヌーブが演ずる役をブルターニュの七面鳥農家に働く女性にしたんだ!
もちろんそれはグロテスクなものであった。だがそれが私の望んだものであり、私はこの結果に満足しているよ。
フィリップはすぐさまそこに可能性を見てこう言ったよ、
"この音楽は君をはるか彼方の先に連れて行くことができるよ。
もっと拡大させるのさ...私は君の七面鳥農婦を女王にしてあげるさ!" 
彼は壮大な曲を追加した。
それはまるでヴェルサイユ宮殿の噴水のそばで演奏されるリュリのバロック作品のオーケストラとマンドリンの音色のようであった。
まず第一に、その音楽はシーンを救済している。
第二に、これはまさしく常識はずれなことだが、同時に天才的であり、これこそまさに我々がフィリップに期待するものなんだ!

それでも、私は『最後の標的』が好きだという人に未だに出会うことに驚いているんだ。
そういうときは私は彼らの感情を傷つけないようにこう答えるんだ。
"ごめんなさい。あの作品は私にとって最悪の映画だ!" ってね(笑)

しかし作曲家は監督とは少し異なる意見を持っている。:
"奇妙なことだが、『最後の標的』という作品は年月が経過するごとに熟成していっている。
それは伝説的なカップルの存在感にロヴァンの映画的な技法の信頼性が加わって強化された、
正に基本に忠実な映画作品だからだろう。
少なくとも当時ドロンが製作していた他のスリラー作品、
たとえば『ポーカー・フェイス』や『危険なささやき』にも十分匹敵する作品だよ。

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この作品が好きな私にとって最後のサルドの言葉は泣けます。

日本でこの作品がテレビ初放映された際に、
このサルドの音楽が全く別の三流の音楽に差し替えられてしまった事実を思い起こしますと、
このインタビューに書かれた、監督と作曲家との間の厚い友情を
土足で踏みにじる行為であったことがよくわかります。

それにしても1981年当時のウエザー・リポートのリズム・セクションと言えば
故ジャコ・パストリアスの名前を思い出さずにはいられません。
このアルバムにもし参加していたのであれば驚異的な事実です。

尚この作品については以前のこの記事をご参照ください。
LE CHOC 最後の標的 (1) (2) (3) (4)

またサントラについてはこちらです。
『LE CHOC』(1)(2)
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『LE CHOC』 (3)

2010-01-10 | THE SOUNDTRACKS
ご挨拶が大変遅くなりましたが皆様本年もよろしくお願い申し上げます。

今年の第1回目は、昨年11月にユニバーサルから発売された『最後の標的』サントラ盤のライナー・ノーツの翻訳です。
長いのでまだ前半しかできておりませんが取り急ぎご紹介します。

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"映画音楽という分野においてはフィリップ・サルドという作曲家ほど
監督に対して最善の話し方をする人物はいないであろう。"

"フィリップ・サルドにはこのような巨大な才能があるんだ:
彼と話していると自分は世界最高の監督で最も感性が鋭く知的なフィルムメーカーであるという気にさせてくれるんだ。
彼はその才能のおかげで、映画史の中でも最も美しいスコアを書くことができる。
率直に言って、これは最も心強いことさ。
なぜなら、映画監督というものは俳優たちも含めて、映画製作の過程において非常に多くの落とし穴を回避しなければならない:
時間と戦い、資金をやりくりしながら映画を終わらせていかねばならない...
それらのことにすっかりくたびれているときにサルドがやってくると、
まるで日焼け後にサンローションを塗ったかのように癒されるんだ。"

この言葉は、監督のロヴァン・ダヴィが1982年に初めてサルドと仕事を共にした作品『最後の標的』において
彼の重要な共犯者(=フィリップ・サルド)について表現したものである。
この映画を撮影するまでの10年間、彼らは友人同士であった。
それはちょうどサルドが初めてジョルジュ・ロートネル監督の作品(“La Valise”)に参加したときからである。
その作品でロヴァン・ダヴィは秘書兼アシスタント及び第2班の監督として働いていたのだ。

"ロートネル監督のスタッフたちとは"と、サルドが回想する。
"ロヴァンはまるで家族の友人のような役割を担っていたよ。;
私自身も、同じ役割を果たしていた。私たちはよく日曜日にヌイイで会っていたよ。
そこには監督のジョルジュと彼の妻のキャロラインが住む家があったんだ。
それはまるで家族の集まりのような感じだったよ。ジョルジュが中心となった緊密なサークルのようなものだった。
私たちはそこで生活や映画、新しいプロジェクトについて語り合っていた...
本当に恵まれた環境にいたよ:その集まりでは本当にお互いに熱く語り合ったんだ。
ロヴァンと私二人にとってそれは30代のシンボルだったよ。"

それから2年経ってロヴァン・ダヴィはジョルジュ・ロートネルの保護の元から離れて、
彼の最初の映画作品Ce cher Victor (1975)を監督する。
この作品は『女王陛下のダイナマイト』のベルナール・ジェラールが音楽を担当した残酷な喜劇であった。
そして1979年のドライで神経質なスリラーLa guerre des polices (1979)(警察戦争)が大ヒットして、
ダヴィに監督のオファーが相次ぐようになる。

"突然に、"とダヴィは回想する。"私は新しいスリラーの専門家として注目を集めることになったよ。
Leboviciからは私にメスリーヌの“L'Instinct de mort”を作るよう言ってきたし、
ムヌーシュキンは私に“Garde a vue”を依頼してきた...
だが私はすべてをことわっていた。
そんなとき (プロデューサの)アラン・サルドとアラン・テルジアンが別のプランを持ってやってきた:
"あなたはドロンと一緒に映画を撮ろう!"

私はドロンとは彼が『愛人関係』を撮っていたころに面識は会ったが、近寄りがたい人物だと感じていた。
しかし、プロデュサーたちは執拗にせまってきた。:
"ドロンとの仕事であなたは一段高いレベルに上がれるんだよ!"とね。
私は彼らの言葉を信じるしかない弱い立場に立たされていた..."

フィリップ・サルドはダヴィのこの気持ちを代弁する:
"率直に言って、この業界というのは怖い:
私はとても親切で慈悲深い心を持つロヴァンがドロンと一緒に働いている姿を想像することができなかった。
アラン・ドロンは映画界のモンスターであり、彼は監督たちを死ぬほど震え上がらせてきた。
ロートネルもそのうちの一人だったよ。
『最後の標的』について言うと、ドロンはカトリーヌ・ドヌーブと共演していたが、
ここだけの話だが、プロットはそれほど映画界を揺るがすほどのものではなく、また新しいものでもなかった。"

ロヴァン・ダヴィに公平を期すために、
彼がプロデューサーたちから渡された脚本(ジャン・パトリック・マンシェットの小説“La Position du tireur couche”を翻案としたもの)は、
おびただしいほどの譲歩によって毒を抜かれたものになってしまっていた。
"マンシェットは自由主義の小説家で、無政府主義者だが、彼の独創的なアイデアの一つ一つは、
ドロンの個性に適応させるために犠牲にしなければならなかった"とダヴィは主張する。
私は虚無的なスリラーという視点を持たなければならなかったし、
ちょうどこれまでドロンの伝説で構築されてきた人間味の無い作品の撮影に自分の身が置かれていることに気付かされた。
撮影はかなり劇的なものになった...
そして何度も私はそこから出ていこうとした。
プロデューサーたちに預かった鍵を返そうとしたんだ...
だがそのたびにドロンは私を戻してくれたんだ、しかも、素敵な言葉を添えて:
"頑張ってくれ、ロヴァン、我々には君が必要なんだ!"

我々は、とてもハイテンションな状態で撮影を終了させた。
私はメイン・タイトルの前のシーンのためにドロンとマラケシュにさえ撮影に出かけて行った。
そして私は、もう自分のものではないこのプロジェクトのためにこれ以上戦う気力は失せてしまった。"

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