LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

L'important c'est d'aimer

2009-03-31 | ROMY
このたびのドロンさんとの写真集の発売を記念しまして(?)
新しくロミー・シュナイダーのカテゴリーを作成しました。

ドロンさんについてほどの情報量は持ち合わせておりませんが、
折にふれて書いていければいいかなと思っております。

今回は先日のドロンさんのインタビューの中で、彼女の出演について異議を唱えられていた
アンジェイ・ズラウスキー監督作品"L'important c'est d'aimer"についての鑑賞記録です。

あまり彼女のバイオグラフィーに詳しくはないのですが、
この映画は恐らく前夫のハリー・マイエンが自殺するという痛ましい出来事の後に主演した作品と思われ、
ドロンさんがご指摘されたように彼女が見せるこの映画での表情には鬼気迫るものがあります。

ロミーはこの作品の中で二人の男性の間で揺れ動くヒロインを演じていますが、
ジャック・デュトロン演じる捨てられた男の方が絶望のうちに自ら命を絶ち、
その亡骸に面会する場面での彼女の迫真的な演技には思わず息を飲みます。

「チェイサー」でドロンさんとほんの少し共演したクラウス・キンスキーが
この作品でもその強烈な存在感を見せつけており、
レストランでからんできた二人の男を暴力でねじ伏せる場面は圧巻の迫力です。

クロード・ソーテ作品とは全く異なる、暗くて暴力的な映像が次から次に展開していきますが、
なぜかまた繰り返し見たくなる不思議な魅力を持つ一風変わった作品でもあります。

でもやはり彼女には「夕なぎ」のような美しい作品が断然お似合いです。
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My Collections (3)

2009-03-29 | ABOUT MY BLOG
私が中学3年生のころに神戸三宮のレコード店のカセット・テープ売り場で偶然に発見して購入し、
以降、アラン・ドロンさんの作品のサントラに傾倒するきっかけとなった
当時のキング・レコード SEVEN SEAS から発売されていた"ALAIN DELON SPECIAL"を今日はご紹介します。

添付画像の中段と下段にそのテープのA面とB面を掲載しましたが
改めて収録曲を下記に記しますと、

A面
1甘い囁き 
2ル・ジタン
3高校教師~明日は別の日
4ボルサリーノ2
5ビッグ・ガン
6地下室のメロディー
7帰らざる夜明け
8レッド・サン

B面
1太陽がいっぱい
2シシリアン
3ジェフ
4フリック・ストーリー
5ゾロ
6太陽はひとりぼっち
7若者のすべて
8さすらいの狼

となっております。
ご覧いただいてわかりますように、今では考えられないような非常に充実したラインナップです。
しかもこれらが全てオリジナル・サントラ盤というのも大きな魅力でした。
(厳密に言いますとB1の「太陽がいっぱい」のみニーノ・ロータ・グランド・オーケストラの演奏です。)
特に「ジェフ」と「さすらいの狼」は当時日本で流行っていた映画のセリフをオーバーダビングしたバージョンで
今でもCD化されていない音源として大変貴重なものでした。

このカセット・テープをもう何回聞いたことかわかりませんが、
もう再生するデッキも壊れ、唯一聞けていた車も買い替えてテープ再生機は付いておらず、
とうとう聴くこともできなくなりました。

またこのテープのオリジナルのジャケットは「フリック・ストーリー」のスチールが使われていましたが、
ボロボロになってしまったので捨ててしまっており、自分で手作りで差し替えています。
添付画像上段左の一番左下がその我流の差し替えジャケットで、これは「チェイサー」からのものです。

当時の私はFM放送を聞いてエアチェックすることに命をかけておりまして、
当然のことながらドロンさんの作品がかかるとなると1本のテープにこまめに録音していってました。
それらが添付画像の上段のその他のテープ群です。
それぞれのジャケットの写真は映画雑誌から切り抜いてノリで貼り付け、タイトルは手書きしています。
全くもってお恥ずかしい限りですが、シャレのひとつということでアップしてみました。
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Delon-Romy, ils se sont tant aimes

2009-03-28 | THE BOOKS
3月12日にフランスで発売されたアラン・ドロンさんとロミー・シュナイダーの最新写真集
"Delon-Romy, ils se sont tant aimes"(『ドロンとロミー、彼らは互いに愛し合った。』)です。
アマゾン・フランスで予約注文していたものがようやく先日到着しました。

ロミー・シュナイダーとの出会いから永遠の別れに至るまでの二人の軌跡が
ドロンさん本人のコメントも交えながら詳細に解説されています。
本のサイズはA4版で、ページ数にして約140ページ全てに
ほとんどこれまで観たことがない二人の写真が溢れんばかりに掲載されています。
1ページごとに異なるレイアウトも見事に洗練されていて、
これは正にドロンさんとロミー・シュナイダーについての決定版的な書籍です。
ドロンさん自身がこの出版を認めたことも十分にうなずける素晴らしい出来栄えです。

21世紀の今の時代にこのような美しい装丁の本が出版されることになって
天国にいるロミーさんもさぞかしお喜びのことと思います。
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AVEC ROMY (6)

2009-03-25 | AVEC ROMY
パリマッチ誌より
アラン・ドロンさんとロミー・シュナイダーの二人のスナップ写真です。

この写真の雰囲気のような都会に暮らす大人のカップルの
何気ない日常生活を描いた二人の共演作がぜひ観たかったです。
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AVEC ROMY ET MIREILLE

2009-03-22 | AVEC ROMY
『危険なささやき』のパリでのプレミア会場に登場した
アラン・ドロンさんとロミー・シュナイダー、そしてミレイユ・ダルクの写真です。

ロミーは息子のダヴィッドを事故で失った後の写真ですので、
こうやって彼女の表情を見ていますと誠に痛々しい限りです。
恐らくそんな傷心の彼女を少しでも励ますことができればと考えて
ミレイユと共に表舞台にロミーを招き入れたドロンさんでしたが、
残念ながらこの数ヶ月後に彼女は亡くなってしまいます。
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Delon se confie sur sa passion pour Romy

2009-03-21 | INTERVIEW
http://www.laprovence.com/articles/2009/03/12/754765-Au-programme-Alain-Delon-Je-regrette-de-ne-pas-avoir-epouse-Romy.php
 ↑
こちらのサイトにドロンさんの最新インタビューが掲載されています。

先のテレビ番組でも話題になっているロミー・シュナイダーとの写真集の出版に関連して、
ドロンさんのロミーに対する思いが語られています。
意外なことに公の場でこのようにロミーについて発言するのは今回が初めてだとのことで、
ファンの方々にとって非常に貴重なインタビューです。

今回は全文を翻訳しましたので下にお届けいたします。

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-あなたがこの本の出版に協力することになったのはなぜでしょうか?

アラン・ドロン(以下AD):ロミーとの話題は私にとって、非常に個人的なものであり、今でも痛みを伴うものだ。
しかし、私は、この本のアイデアがとても良く、内容もよくできていると感じたんだ。
私が信頼している作家Philippe Barbierがこの本の二人の作者のうちの一人だったのも理由のひとつだよ。
彼にはとても感謝している。

-なぜ、あなたとロミーとの関係が人々の伝説になったとお考えですか?

AD:私たち二人がそういう風にさせたのではないよ。
周りの人たちが私たちのことを伝説にしていったんだよ。
私たちはお互いに愛し合っていた、ただそれだけさ。
ロミーが20歳の時、私は23歳だった。
私の人生において初めての偉大な愛となった。

-あなたが彼女に出会ったとき、彼女はすでにスターでしたね?

AD:彼女はもう当時ヨーロッパの"ザ"スターだった。
ブリジット・バルドーに匹敵するくらいにね。
多くの人々にとってロミー・シュナイダーはオーストリアの愛すべき皇后陛下Sissiとして永遠に忘れられない存在だった。
私が彼女に初めて会ったとき彼女はすでにスターだったが、
妙なことに、私はすぐには彼女のことを好きにはならなかったんだ。
ちょうどパリでPierre Gaspard-Huit監督の『恋ひとすじに』の撮影準備の頃で、
私もこの映画に出演していたんだ。

-彼女は、乱暴な性格だったとか...

AD:彼女の本当の性格はとても活発で何事にも熱心で、なおかつとても敏感なものだった。
彼女はいつも気持ちに余裕のない状態だったので、時には粗暴だった。
ロミーはスターになった時、まだ子供だったんだ。
怒りっぽい子供のようだった。
彼女はまだ自分自身の栄光や、この仕事の困難さに対処する準備ができていなかったんだ。

-年齢を重ねていけば彼女はさらによくなっただろうと思いますか?

AD:私はそう思わない。想像もつかないけれども、私は70歳の彼女を見たいとは思わない。
私はむしろこのような形で彼女が逝ってしまってよかったと思っているよ。
彼女は美しい姿のままこの世から去って行った。
彼女は伝説になり、永遠に語り継がれていくのさ。

-なぜ、あなたは彼女がアンジェイ・ズラウスキー監督の"L'important c'est d'aimer"に出演することに反対したのですか?

AD:.なぜならこの作品に出演しているとき彼女は正に死にかけていたんだ。
彼女の現実の人生の悲劇が画面に表れてしまっている。
私たちは一緒に映画を撮ろうとしていたけれども、あの作品のようなものには絶対にしたくないと私は思ったよ。
彼女は、もはや仕事にしか生きる可能性を見い出せないでいた。
ロミーの心の傷は癒えることはもう決してなかったし、何かを恐れてアルコールに依存してしまっていた。
彼女の人生、すべてのプライベートな生活は失敗や不運に見舞われていってしまった。
彼女は息子の不幸な死からも回復できなかった。
彼女は悲しみに打ちのめされて死んでいったんだ。

-彼女と結婚しなかったことを後悔していますか?

AD:うん。しかし、もし結婚したとして、彼女の運命は変わっていたのだろうか?
だが私たちはスイスの古くて美しい街ルガノで婚約したのは事実だ。

-あなたはどうしてロミーの葬儀に行かなかったのですか?

AD:私は、自分自身の心の痛みと悲しみを見せることでパパラッチたちを満足させたくなかった。
実際には、私はその場にはいたんだが、ほとんど誰も私のことを見ていないはずだ。
私はロミーの遺体がまだ置かれていたアパートを訪問し、
クロード・ベリやアラン・テルジアンと一緒に、長い時間、彼女が眠るベッドサイドで過ごした。
私は棺の中で眠っているロミーの姿をどうしても永遠に残しておきたいという衝動に駆られて、
テルジアンと二人きりになったときに、3枚のポラロイド写真を撮ったんだ。
これらの写真はいつも私の財布の中と心の中に閉まってあるんだ。
今まで決して誰にも見せたことはないよ。

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Vivement Dimanche du 15 mars 2009

2009-03-18 | TV APPEARANCES
http://vivementdimanche.france2.fr/videointegrale/34695394-fr.php
      ↑
3月15日にアラン・ドロンさんがご出演されたフランスのテレビ番組
"Vivement Dimanche"の映像が、恐らく期間限定でアップされています。
ドロンさんの出演は2時間10分後ですのでそのあたりをクリックすれば観れます。

今月発売されたロミー・シュナイダーとの写真集に関するいきさつなどを話されているようですが、
その内容についてはよくわかりません。
どなたかおわかりの方はお知らせいただけるとありがたいです。

ドロンさん、少しウェイトがアップしているように見えます。
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POUR LA PEAU D'UN FLIC

2009-03-15 | Dossiers de Presse
『危険なささやき』のパンフレットです。

公開当時の日本はバブル経済前夜の状態ということで、
この作品を配給したのも当時勢いのあった不動産デベロッパー会社で、
畑違いの会社が映画配給事業に乗り出したブームの最初の頃だったように記憶します。
逆にいえば旧来の配給会社からはドロンさんの主演作品には
もう70年代のような興行的価値を見出すことはできない、
という厳しい判断が下されていたということの裏返しだったのかもしれません。

事情はどうあれ私たち観客にとってドロンさんの最新作が
リアルタイムで劇場で観れるという事実は大変歓迎すべきことで、
大学生だった私は授業とクラブの練習時間の空いた時間を利用して映画館に3回通いつめ、
最後に行った時は、もうこれで見納めだと、丸一日繰り返し観ておりました。

そんな思い出深いこの作品のパンフレットですが、
70年代のものと比べて、印刷の質、デザイン、などかなり洗練された内容で、
ドロンさん主演作として及第点以上の出来栄えになりました。

画像にはアップしませんでしたが、中央の見開きのページのあたりに、
それまでのドロンさんのフィルモグラフィーが4ページに亘って掲載されており、
当時の私はオレンジの蛍光ペンで観た作品をチェックしておりました。
こういう気質というものは何年経っても変わらないものだなと苦笑した次第です。
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EN BUENOS AIRES

2009-03-14 | THE BRILLIANT PHOTOS
これは恐らく1990年代前半の頃かと思われますが、
アラン・ドロンさんがブエノスアイレスを訪問した際に
取材陣やファンに取り囲まれている写真です。

ドロンさんにしては珍しく明るい色調のネクタイを着けておられます。
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LE CERCLE ROUGE

2009-03-08 | Dossiers de Presse
『仁義』の日本公開時のパンフレットです。

『リスボン特急』のそれと比べますと全体的な印象が少し荒削りで、
写真の配置やサイズにもう少し工夫が欲しかったなと感じます。

しかしながら掲載されている2つの解説文の内容は非常に充実しています。

その中でも「男らしい男の心情的連帯の典型 品田雄吉」の内容を今回はご紹介します。

ここではこの作品に登場する「男」たちの性質について、
アメリカのハードボイルド映画における登場人物の
口数の少なさや行動の迅速さを兼ね備えているものの
彼らにある欲望全肯定の傾向を否定し、
日本人の持つストイックさをそこに統合させることにより
メルビル自身の「男」のイメージをつくりあげようとしている、
と指摘しています。

またメルビルがギャング映画に執着するのは、
それが男の行動を純粋に追及しうるもっとも適切なジャンルだからに他ならない、
と書いています。

さらには“イブ・モンタンが射撃に心をうちこんで、アル中から立ち直り、
男同士の心意気に命を捨てる、というのも、
ひとつの技術が人生の“道”につながる日本的な発想を感じさせて面白い。”
という素晴らしい着眼点での指摘もあります。

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JOURS DE FRANCE NO,1369 AVRIL 1981 (3)

2009-03-08 | THE MAGAZINES
前回と同じ号より、
このときの写真のドロンさんとミレイユの表情はとてもいいものばかりですので、
もう一枚お届けします。
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JOURS DE FRANCE NO,1369 AVRIL 1981 (2)

2009-03-07 | THE MAGAZINES
前回ご紹介の"JOURS DE FRANCE"誌からのアラン・ドロンさんとミレイユ・ダルクのスナップ写真です。

掲載の写真は恐らく当時ドロンさんたちが住んでいたアパートメントでのものと思われます。
記事の内容は1年前の心臓手術の成功により復帰したミレイユのインタビューが中心で、
ドロンさんとの生活や香水の事業について語っているようです。
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JOURS DE FRANCE NO,1369 AVRIL 1981 (1)

2009-03-01 | THE MAGAZINES
"JOURS DE FRANCE"誌1981年4月号の表紙です。

「ミレイユの微笑み」と題された特集記事が掲載されています。
ちょうどこの1年前に心臓の大手術を行ったミレイユ・ダルクと、
彼女の回復に向けて献身的につくしてきたアラン・ドロンさんお二人の幸せそうな写真です。
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