LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

IN PARIS (9)

2007-02-26 | ENCOUNTER
計8回に亘って私たち一行とアラン・ドロンさんとの遭遇記録を書き綴りましたが、
皆様どのような感想をお持ちになられましたでしょうか?

もしかしたら皆様の中には私の言葉足らずのせいで、
私たちがドロンさんと会ったことを単に自慢しているだけではないかと
不愉快に思われた方もいらっしゃるかもしれません。
そのような方にはここで率直にお詫びします。
申し訳ございませんでした。

私がここまで詳細に書いたのにはいくつかの理由があります。

一つには自分自身の記憶が薄れていく前に文章に書き残して、
自分の為にこの思い出を記録として永遠に残しておきたいから、というものがあります。
さらにはこの文章が同行したメンバーたちにとっても
将来この思い出をリアルに呼び起こす為のツールとしての役割を果たせるから、というのも事実です。

しかしそれらの理由以上に何よりも私が重視した理由は、
私たちが出遭った本物のアラン・ドロンさんの素晴らしい人間性を、
日本のあるいは世界中のドロン・ファンの皆様にお伝えする責務があると思ったからです。

以前にドロンさんと実際にお会いになったことがある
おばさん2号様たちから、オフ会の時やお電話でお聞きして、
ドロンさんご本人のお人柄については、ある程度イメージが出来上がっておりましたが、
今回本物のドロンさんに直接お目にかかって、
私の想像していた以上に誠実な彼の人柄に心の底から感銘を受けました。

これまでいろいろなメディアやネット上で
ドロンさんについて悪し様に書かれた記事を読んできましたが、
それらは全て嘘であったことが今回わかりました。
あるいはそのように書かざるを得ないのは、
何か無礼な振る舞いをきっとドロンさんに対して行ってしまい、
ドロンさんから手ひどいしっぺ返しを受けたからなのであろうということが推察できました。

地球の裏側の小さな島国から来た、
たった6人の業界関係者でも何でもない一般人の私たち、
どれだけサービスをしようと彼の仕事に何ら影響を及ぼすことのないこの私たちに対して、
ドロンさんは、全く私心のないピュアで友愛に満ちた人と人の交わりというものが
どういうものなのかということを身をもって教えてくださいました。

私が最も感銘を受けたのは、
何回も会って顔を覚えている人と、初めて来て名前も知らぬ人に対して
ドロンさんは誰も不愉快に感じることのないように公平に接し、
なおかつ皆それぞれが自分だけのドロンさんとの思い出を作る事ができるように、
一人づつきめ細かく応対していたことです。
誰一人として自分がネグレクトされたとは思わないのです。

そのような気遣いをこの伝説の世界の大スターが今目の前で私たちにして下さっている、
このこと自体が正に信じられない奇跡の光景でした。

これだけの事をファンに対して一点の曇りもなく行えるスターが
いったい世界中に他にいるだろうかと考えてしまいます。
日本国内でさえもいないのではないでしょうか。

決して自分が大スターであるというような驕り高ぶった素振りは見せず、
背の低い私たちに話すときは身をかがめて正面からまっすぐ目線を合わせてくれます。
そういう物腰一つ取ってみても、ドロンさんの誠実な人間性がにじみ出てきます。

さらにはボディガードのD様の素晴らしいお人柄も
ドロンさんの影響が及んでいるのがよくわかります。
またマリニー劇場のスタッフの皆さんも誠実で親切な方が多く、
ドロンさんが舞台公演でいつもマリニーを使う理由がよくわかりました。

ドロンさんという偉大なスターの周りにはいつも善意に満ち溢れた
たくさんのスタッフと共演者たちが影ながら支え、努力されているのがわかり、
このことも今回の旅行で実感できた大きな収穫です。

初めに申しましたが、今回私は一枚もドロンさんの写真を撮影していませんし、
サインひとつもらっておりません。
もう皆様にもその理由がおわかりいただけたかと思いますが、
私たちの目の前にドロンさんは「世界の大スター・アラン・ドロン」ではなく、
一人の人間、私たちファンの「永年の友人ドロンさん」として現れて下さいました。
ですのでサインや写真は必要なかったのです。

永遠に心に焼きついたドロンさんとの思い出を胸に
私はこれからの人生を強く歩んでいくことができます。

アラン・ドロンさん、本当にありがとうございました。
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IN PARIS (8)

2007-02-25 | ENCOUNTER
2月2日金曜日。

このたび大変お世話になったD様はじめ劇場スタッフの方々へのお礼に
私たちはシャンゼリゼ通りの菓子店で買ったマロングラッセを開演前に届けました。

そしてD様といつものようにロビーでお会いして、
今日も花束を届けに行く旨の了解を得た直後でした。

D様から私たちに
「あなたがたは明日が最後ですか?」と尋ねられました。
私たちが
「はい。残念ながらそうなのです。」
と答えたところ、
「じゃあ、明日お芝居が終わったらまたドロンさんに会いますか?」
とD様の方から仰って下さいました。

もちろん私たちは
「はい!ぜひお願いします。」
と答え、D様も
「オッケー。では明日お芝居が終わったらロビーで集合して下さい。」
と言われました。

初日に楽屋までお招きくださっただけでなく、
さらに最後の日にもう一度ドロンさんにお会いできるなどとは、
私たちは夢にも予想していませんでした。



2月3日土曜日。

今日は土曜日ということで、
お芝居は夕方4時半からの部と夜の8時半から部の計2回公演となります。

午後8時半からの部は既にソールドアウトになっており、
私たちは午後4時半からの公演の予約を取っていました。

3日目、4日目の席はいずれも2階席でしたが、
劇場全体がこじんまりとしているためか、
舞台から遠い印象は全くなく、
むしろ俳優さんたちの動きが立体的に観れるため、
1階席とはまた違った楽しみ方ができました。

そして4回目となる花束贈呈を終えた私たちは、
いよいよD様の誘導により2階へと向かいます。

今日のドロンさんは楽屋ではなく廊下で私たちを出迎えて下さいました。

初日の楽屋で私たちの前に現れたドロンさんは、
とても元気で余裕たっぷりだったのですが、
さすがに毎日舞台に立ち続け、しかもまだ2回目の公演をこの後に控えているとあって
今日のドロンさんはかなりくたびれたご様子で、
低いトーンの声で「フ~!」と言いながら、
映画で時折見せる「千鳥足」の歩き方で私たちの前に現れました。

そんな疲労困憊の状態でも私たちが今日が最後ということで、
わざわざ別れの挨拶にと出迎えてくださったドロンさん。
今回は女性陣一人ひとりに例の3点セットだけでなく、
もう1点(ご想像にお任せします。)のプレゼントをされていました。

そして私とはいつも通り力強い握手(本当に力が強いのです。)を交わし、
「あなたたちはいつ日本に帰るの?」
と尋ねます。私たちが
「明日の飛行機で発ちます。」
と答えると、
「明日なの?それじゃあもう1回今晩の公演が観れるんじゃない?」
と笑って答えてくださいます。
それに対して私がまじめに
「いえ、残念ながらチケットの予約が取れなくて・・・」
と言いかけますと、ドロンさんはそれを遮って、
「わかってる、わかってる、冗談だよ(笑)」
と言います。

私は目の前にいるへとへとのドロンさんに対して、
失礼ながらお年寄りの方をいたわるように、彼の腕の後ろから背中に手を回して、
「お疲れのご様子ですね?」と言いました。
それに対してドロンさんは笑顔で頷いてくださいます。

そのときドロンさんの背中に回した自分の右手の感触に驚きました。
ちょうど彼の左の肩甲骨の下の辺りに触れたのですが、
とてもがっしりとしていて、しかも外側に出っぱっているのです。
71歳になっても連日の舞台公演をこなす
あの超人的な体力の一端をこのとき窺い知ることが出来たように思います。

さていよいよお別れのときが来ました。
ドロンさんは初日の時と同じように一人ひとり丁寧に挨拶をして下さいます。

私は初日以来ドロンさんにいろいろとお世話になったことに対するお礼状を
午前中にホテルで書いて用意しておりましたので、それを胸ポケットから取り出して、
「このたびはいろいろとありがとうございました。
ここに私の感謝の気持ちを書き記しましたのでどうぞお受取り下さい。」
と言いました。
その間ドロンさんはまるで息子を見るように(実際ドロンさんは私の父と同い年です。)
身長170センチの私の視線の高さまでお顔を下げて、
下手な英語を緊張して詰まりながらしゃべっている私の顔を
じっと微笑みながら覗き込んで下さっていました。
そして私が話し終えると、にっこりともう一度微笑んでその手紙を受け取ってくださり、
よく映画で見せるように右目でゆっくりと大きくウィンクをして下さいました。


マリニーの外はいつもより時間が早い為か、まだ薄暗く、
次の公演のお客様が来るまでの間しばし安らぎの空間となります。
(添付の画像はそのとき撮影したものです。)

一生忘れることのない素晴らしい思い出をそれぞれが胸に秘め
私たちはここシアター・マリニーを後にしました。
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IN PARIS (7)

2007-02-24 | ENCOUNTER
(写真は上段が映画関連グッズ販売専門店「シネ・ドック」、
中段はベルモンドの『恐怖に襲われた街』に出てきた有名デパートの「ギャラリー・ラファイエット」
下段はシャンゼリゼ通りの超有名カフェ店「フーケ」、
ここの入り口にはドロンさん他、有名人たちの名前がモニュメントとして記されています。)


2月1日木曜日。

夕刻になって昨日同様マリニーに到着した私たちは、
まず昨日のお礼を言う為にドロンさんのボディガードのD様を探しに行きました。

ちょうどロビーにいらっしゃったD様に近づきますと、
今日もD様は笑顔で接して下さいます。

D様は私たちが「今日もドロンさんに会えませんか?」
とお願いに来たと勘違いされたようで、
「すみません。今日はドロンさんはとても疲れています。」
と、私たちの先回りをして言ってこられました。

そのようなつもりは毛頭ない私たちは、
「いえいえ、私たちは決してドロンさんのお邪魔をしたり
困らせたりするつもりはありません。
どうぞドロンさんによろしくお伝え下さい。」
と答えました。

それを聞いて安心したのかD様は、
「私の友人でドロンさんの友人でもある格闘家のジェローム・レバンナ選手をご存知ですか?
彼は昨年12月に日本に試合に行きました。」
と片言の英語で私たちに話しかけてこられました。

ここで私は昨年ドロンさんがレバンナ選手を映画のロケ地から送り出し、
K1の試合にぎりぎり出場することができた話を思い出しました。
そのエピソードを私のブログで紹介した所、アクセス数が急増し、
またいろいろなK1関連サイトでも採り上げられ
日本のK1ファンの方々からドロンさんに感謝の言葉が相次いだことをD様に話しました。
D様はとても喜んでくださり、
「ぜひドロンさんにもこのことをお伝え下さい。」
と私からお願いしましたところ、
「必ず伝えます。」
と仰ってくださいました。

そうこうするうちに舞台開演時間となります。
2回目となると幾分冷静に観察しながら観る事ができましたが、
少し気になったのが、ドロンさんの顔がとても紅潮していたことです。
連日の熱演で疲労が蓄積して発熱していたのではないかと若干心配になりました。

この日もエンディング後のカーテンコールで私たちは花束を渡すことができました。
しかし今回は反省すべき点がありました。
隣の席の人たちの前を通って通路に出ないといけないのですが、
あらかじめその人たちの了解が十分取れておらず、
「行儀の悪い日本人たち(ジャップ)」とお叱りを受けてしまったようでした。

終演後、私たちは昨日と同じレストランに夕食に行きます。
今日は昨日よりも店内は混雑しており、昨日と同じ席に案内されましたが、
幾分席と机の間隔を詰めて座らなければいけませんでした。

そして昨日同様メニューを見て注文も済ませた直後でした。

何とD様と共に来店されたドロンさんが、
昨日同様私たちの席に向かって素早く挨拶に来て下さったのです。
手前の座席の女性陣には一人づつ背後からキスをしたり、
向かいに座っていた私たちには
ドロンさんの方から身を乗り出して握手をして下さいました。

ここでも私は失敗を犯してしまいました。
握手して下さっているドロンさんに対して私は席に座ったままでした。
しかしよく考えると、テーブルと椅子の間隔が昨日よりも狭まっていたので、
すぐにその場に立つことは極めて困難だったのです。
その辺をドロンさんも立ち位置から見えたので、
自分から身を乗り出してくださったのではないかと今になってみれば感じます。

今日のドロンさんの私たちへの接し方は、
昨日の「お客様をおもてなしする」という雰囲気とは違って、
「君たち、今日も花束贈呈係になってくれてどうもありがとう。ご苦労さん。」
という、身内に対する「ねぎらい」という印象を私は持ちました。

私たちの席の隣には初老のフランス人のご夫婦が食事をされており、
私たちと同じく舞台を観ての帰りのようでしたが、
そのご婦人が私たちに挨拶してくださっている
ドロンさんの姿を見てかなりびっくりされました。
そしてドロンさんは彼女にも手を取ってキスをして挨拶をされました。

あっけに取られた様子で感激されているそのご婦人に
おばさん2号様が隣から「私たちは日本から来て舞台を4回観るのですよ。」と言うと
「4回も観るのですか!?」ともう一度びっくりされました。
きっとこの日は彼女にとっても忘れらない夜になったことと思います。


こうして2日目もドロンさんに会うことができた私たち一行は
3日目の開演前のロビーでD様からさらに嬉しい知らせを聞く事になりました。
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IN PARIS (6)

2007-02-20 | ENCOUNTER
劇的なドロンさんとの対面を果たすことが出来た私たちは、
その興奮冷めやらぬままシアター・マリニーの裏口から外に出ました。

1月31日も午後11時近くなり、私たちは近くで夕食を取る事にし、
そのままマリニーのすぐそばにあるレストランに入りました。

ここは3年前におばさん2号様たちがドロンさんと会食をした思い出のお店ということで、
お店の女性店長さんは何とおばさん2号様の顔を覚えていらっしゃいました。
その店長の誘導で隅の席に3人づつ向かい合わせで座った私たちは、
当時ドロンさんが食したというメニューを注文して、
食事を待ちます。

しばらくしてお料理が私たちの席に運ばれ、食べ始めた頃でした。

背後から“オオッー!”という大きな声で
薄紫のマフラーを首に巻いて、四角いサングラスを掛けたドロンさんが
他のフランス人のお客様たちには全く脇目も振らず、
私たちの座っている座席に近づいてこられたのです。

ちょうどボディーガードのD様を伴ってドロンさんもこのお店に食事に来られたのでした。

ドロンさんは手前に座っている女性陣には一人づつ肩に手を掛けて背後から挨拶し、
奥に座っている私含めた3人には右手を上げて、これまた一人づつ挨拶をして下さいます。
サングラスを掛けたままですが、にこやかに、
ジャック・ニコルソン似のスマイルが見事に決まっています。

そして近づいてきた女性の店員さんの頬にキスをしたドロンさんは
彼女の誘導で店の奥の席に向かいます。
ドロンさんの座った席の周りは他のお客様からは見れないよう、
席に着くとカーテンで仕切られました。

もしかしたらまたドロンさんがお店に来られるのではないかと
私たちが期待していたことは事実ですが、
よもや私たちの席に向かってわざわざドロンさんの方から近づいてきて下さるなどとは、
全く予想していなかったことですので、
またもや感謝感激の私たちでした。


しばらくして私はトイレに行く為に席を立ちました。
このお店のトイレは1階ではなく2階のフロアにあり、
そこに行くには店の奥にある螺旋階段を上っていかなければいけません。
私は店員さんの指示に従って、奥の階段の下まで行ったところ、
ちょうどその場所はドロンさんの座っている席の真向かいで、
ドロンさんの正面から約3メートルぐらいの距離に相対することになります。

奥の席でD様と何やらお話し中のドロンさんは、正面に私の姿を見つけると、
何と先ほどと同じような満面の笑みを浮かべて手を振って下さいました。
またまた感激の私はそのまま2階のトイレへ。

さて用をすませた私は(お食事中の方?はすみません。)
再び階段を下りて席に着かねばなりません。

私は悩みました。
このまま階段を下りて、またドロンさんの目の前を通るとき、
今一度ドロンさんに挨拶をすべきなのかどうか、と。
常識で考えたらそうすべきなのでしょうが、
きっとドロンさんはまた私に気を遣って挨拶をして下さることでしょう。
それはとても申し訳ないことです。

2階の廊下からたまたま1階の席にいるドロンさんが見えました。
私には当然気づいていないドロンさんは、
全くの無防備で美味しそうにお食事(パスタのようなもの)を
お口に運んでいらっしゃいます。

私は決めました。
このままお食事中のドロンさんのお邪魔をしないよう、
ドロンさんに余計な気遣いをさせぬよう、
すばやくドロンさんの目の前を立ち去ろうと。

とりあえず足早に階段を下りて、
黙礼だけして、下を向いたまま席に戻りかけた私は驚きました。
歩いていく私の姿をずっと目で追って下さっているドロンさんの姿が
私の左目の視界に映っているではありませんか!

ああ何ということでしょうか。
やはり私はそのときお食事中のドロンさんに気づかれてしまいました。

ドロンさんのお邪魔をしてしまったという申し訳なさと、
私に気付いて下さっているドロンさんに挨拶を怠った自分が悔しくてなりません。
しかし途中からドロンさんに顔を向けて挨拶するのは私自身の最初の意図に反します。
ですので私は自分の非礼を心の中で詫びながらそのまま席に着きました。

ドロンさんはいったいどう思っただろうかと、
残りの食事を取りながら頭の中はそのことでいっぱいになりました。
一人で悩んでいても仕方ないので、
この一連のやりとりを向かいの席のおばさん2号様にお話したところ、
こう仰ってくださいました。
「ドロンさんは全部わかってくれている。あの人はそういう人や。心配せんでもいい。」

この一言で全てが救われました。

しばらくしてドロンさんとD様はお食事を終えて、お店の外に足早に去っていかれました。
ドロンさんたちの後姿を見ながら私は感じました。
今度はドロンさんの方が、まだ食事をしている私たちの邪魔をしないよう
黙って立ち去ってくれたのだと。


こうやって1月31日の長い夜は終わりを告げました。
しかし私たちのドロンさんとの遭遇がまだあろうとは
このときは全く予想もしていませんでした。
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28 JANVIER 2007

2007-02-18 | TV APPEARANCES
ドロンさんとの遭遇記録の続きの前に
ドロンさんとミレイユさんが1月28日にフランスで出演した
テレビ番組の映像が観れます。
最新のドロンさんの勇姿をどうぞ!

Mireille Darc et Alain Delon invits du Journal de 20h - Mediaplayer
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『SUR LA ROUTE DE MADISON』

2007-02-16 | THE SOUNDTRACKS
『マディソン郡の橋』の舞台で使用された音楽の一部をご紹介します。

(写真右下の画像は“LE LION"からのものですが、
劇中キンケイドとフランチェスカの最後の別れのシーンに酷似しています。)

この舞台のオリジナル曲はちょうど舞台が始まる瞬間、
『橋』の絵が描かれた緞帳のバックにほんの数十秒流れますが、
これが大変メロディが印象的な名曲です。

それ以外は主に幕と幕の間にほんの数秒間、
それぞれのシチュエーションのイメージに合わせた既成曲が約10曲採用されています。

残念ながらサウンドトラック盤は劇場でも発売されていませんでしたので、
帰ってきてから調べ上げてようやく判明したのが以下の3曲です。

まずは
①チェット・ベイカーの“Embraceable You”(写真左上)より
1曲目“The Night We Called It a Day”
これはフランチェスカとキンケイドの最後の別れのシーンの前か後かに流れた、
この劇でも一番印象に残る曲で、
劇全体のテーマ曲として聞いてみても十分通じるムードを持っています。
ライブで聴いていて選曲者のセンスの良さが伝わってきました。

次はフランチェスカとキンケイドのラブ・シーンのバックに流れた曲。
②フランク・シナトラの“Where Are You”(写真右上)より
7曲目“Autumn Leaves(枯葉)”
このシャンソンの名曲の英語バージョンをクライマックスのシーンに持ってきたことで、
この劇が舞台はアメリカでもフランス人の手によるものだという
彼らのプライドのようなものを感じ取ることが出来ました。

またこのアルバムには①“The Night We Called It a Day”も収録されていますが、
豪華なオーケストレーションのアレンジが特徴的なシナトラ版ではなく、
敢えて小編成のバンド演奏のチェット・ベイカー版を採用していることも、
選曲者の粋なこだわりを実感できます。

最後は
③ステファン・グラッペリの“Afternoon in Paris”(写真左下)より
10曲目“Autumn Leaves(枯葉)”
シナトラのエモーショナルなボーカルによる『枯葉』の後を引き継ぐように
幕が下りた後に流れてくるアップテンポなリズムによるこの『枯葉』が、
その間に二人の愛が高まっていく様子を暗に示す効果をもたらします。

他にもまだまだ印象深い曲がたくさんあるのですが、
これから観に行かれる方でどの曲がどこで流れたと判別できた方は
ぜひこちらまでご一報いただけるとありがたいです。
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SUR LA ROUTE DE MADISON (4)

2007-02-12 | ON STAGE
ドロンさんとの遭遇記録はまだ続いていきますが、
いったんここで、一休みし、
舞台『マディソン郡の橋』を今回はご紹介します。

(少しネタバレを含みますので、これから舞台をご覧になる方はご注意下さい。)

基本的な設定は原作、映画と同じで舞台もアメリカです。
フランスに舞台を置き変える脚色は施されていませんでした。

ミレイユ・ダルク演ずるフランチェスカの住む家の中が舞台の大半を占めており、
(添付の画像は舞台のパンフレットからのもので、そのセットです。)
屋根つき橋で二人が愛を育むという場面は出てきません。
ただし幕間に下りてくる緞帳にあの屋根付き橋が描かれており、
劇中の日時をその上にスポットで浮かべて、物語の進行がわかるよう工夫されています。

セットはこのフランチェスカの家の中以外に、
キンケイドがフランチェスカに町から電話を掛けるシーン(ここで大きな仕掛けがあります。)、
キンケイドとフランチェスカが別れていく家の外側のシーン、(ブランコが重要な小道具)
そしてもう一度二人が再会するも、キンケイドが彼女の元をあきらめて去っていく
“ADEL'S PHARMACY”の店内でのシーン、
と4通りあります。

これらは全てアメリカの牧歌的な風情を観客に感じさせてくれる美しいデザインで、
そこに昼夜の区別を付ける様々な角度からの照明による効果を組み合わせることにより、
まるでエドワード・ホッパーの絵画の上を主人公たちが生きているような、
一種独特な空間美を創造することに成功しています。

また映画でも印象に残った音響効果ですが、
舞台でも開巻より耳に響いてくる虫の声や犬の鳴き声など
映画版を忠実に踏襲しようとしているのが感じ取られ好感を持ちました。

さらに重要なファクターとなる音楽ですが、
ここでも映画版と同じくアメリカのスタンダード・ナンバーが数多く使用されています。
イーストウッドの選曲によるものと思われる映画版での音楽は
主にジョニー・ハートマンとダイナ・ワシントンの黒人ブルース曲中心でしたが、
舞台版では統一感は保ちながらも選曲の幅はバライティーに富んでいました。

さて俳優たちの演技ですが、
意外に感じたのがミレイユ・ダルクの熱演です。
映画版でのメリルのしっとりとした演技に比べ、
情熱的で感情を爆発させる独自のヒロイン像を彼女なりに創造しているように感じました。
あっと驚くサプライズ演出もあり、そのときは場内も騒然とします。(ヒントはOZMA)
さすがに彼女も連日の熱演で疲れていたのでしょう。
私たちが3回目に鑑賞したときは、
キンケイドが去って彼女が嗚咽するシーンではゴホゴホと咳き込んでいらっしゃいました。

最後にドロンさんの演技について。

出で立ちは“LE LION"での彼に近いものでした。
首元に巻いた赤いバンダナが正にあの作品と同じもので、
舞台では重要な小道具として使われています。
また後ろの髪を長く見せる為、部分的に付け毛をしています。

どちらかと言うとミレイユさんの情熱的、攻撃的な演技に対して、
ドロンさんのそれは受身の立場で終始一貫しており、
私が好きな『聞く演技』を十分堪能することが出来ます。

(これより下線部までネタバレありますのでご注意下さい。)

とは言っても物語の押さえどころはやはりドロンさんの独壇場で、
映画版には出てこないキンケイドのフランチェスカへの遺書を自ら朗読するシーン、
あるいは亡くなってから亡霊として(と思われます。)、フランチェスカの家を訪れて
思い出の家の中をさ迷い歩くシーンなどはさすがにこちらの胸が熱くなります。

そして舞台のエンディングは「橋」が描かれた緞帳の前に現れる、
この作品全体のナレーター的な立場で登場するドロンさん自身(と思われます)。
上手から歩きながら登場したドロンさんは観客たちに語りかけながら、
この物語の終わりを告げて静かに下手へ去っていきます。

以上のように、これまでの二人の共演作品では観られなかった
ミレイユさんの動の演技とドロンさんの静の演技の対比が
今回の舞台の大きな特徴であったように感じます。

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最後に、これからパリに観に行かれるご予定の皆様へ。
失礼ながら、もし私たちのようにフランス語のヒアリングができない方は、
ぜひ前もって映画版をじっくりとご覧になって行かれるこをお薦めします。
そうするとセリフの内容も予測がついてより理解が深まることと思います。
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IN PARIS (5)

2007-02-11 | ENCOUNTER
(掲載画像は
http://tv.monsieurcinema.tiscali.fr/jsp/magazine/article.jspx?arId=28809
からの転載です。
本文にはドロンさんとミレイユさんがテレビ出演をドタキャンした理由が書かれています。
ちょうど当日のドロンさんに写真の表情が似ていましたのであえて転載いたします。)

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先客の応対を済ませたドロンさんがにこやかに入ってこられました。
ドロンさんの服装はデニムのシャツにジーンズであったように記憶します。

ドロンさんは女性陣には一人づつ例の3点セット(ハグ、握手、頬にキス)で挨拶されました。
そして男性の私に対しては、握手を交わした後、あの大きな手で私の肩に手を回し
“My Friend !"
と私の顔を覗き込んで仰ってくださいました。

ドロンさんが「友情」というものを何よりも大事にしていることを知っている私自身が、
当のそのドロンさんから(幾分の社交辞令はあるとしても)
「僕の友人」という言葉を投げかけてもらうことができるとは、
言葉では表現しきれない感動の瞬間でした。

ドロンさんはその後私たち6人に向かって
「君たちはフランス語は話せるの?」とフランス語で尋ねます。
私たちが「NO~」と答えると、
「それなのに4日間も舞台を観てくれるのかい?」
と笑いながらおどけてみせます。

そして鏡台の方に向かい、
「ほら皆様からのプレゼントとお手紙はここにこうやって置いているのですよ。
皆様、本当にありがとう。」
と丁寧に物腰低く私たちにお礼を今度は英語で述べてくださいました。

実は私は万一ドロンさんにお目にかかれる機会があればと思い、
このブログをトップページからプリントアウトした紙を3枚
スーツの胸ポケットにしのばせていました。

興奮状態の私に、横から妻が「あれをお見せしたら?」と合図があり、
我に返った私は意を決してドロンさんにその紙を差し出して
「ドロンさん、実は私はこのようなサイトを日本で運営しています。」
と英語で話しかけました。

ドロンさんはその紙を受け取ったものの薄暗い部屋なのでよく見えません。
そこでおばさん2号様がすかさずドロンさんに
「こっちの方が明るいですよ。見て下さい。」と鏡台の方に誘導してくださり、
ドロンさんも鏡台の引き出しから片目用の虫眼鏡(?)を取り出して
じっくりと観てくださいます。
それを観て「あー!僕が写ってるんだね。」と、とても嬉しそうな表情をされました。
「日本語ばかりで(すみません)」と横から私が詫びを入れます。

そうこうするうちにあっという間に時間は過ぎ、ドロンさんから皆にお別れの挨拶があり、
後ろ髪を引かれる思いで、楽屋を出ることになりました。
部屋を出る際もドロンさんは一人ひとり丁寧に応対してくださいます。

最後に部屋を出ることになった私に対してドロンさんは私の手を握りしめ、
「プレゼント、どうもありがとう!」と仰ってくださいました。
私は「どういたしまして。今日は本当にありがとうございました。」と答え、
そして一呼吸置いて
「あなたは私の人生における先生です。」
と最後に付け加えますと、
ドロンさんはそれを聞いてにっこりと微笑み、もう一度
「ありがとう。」
と言って下さいました。

そして部屋を出る際にもう一度振り向くと
何とドロンさんは少し首を傾げ笑顔で私の方を見ながら、
先ほど私が差し出したこのブログを印刷した紙(三つ折にしていました)を、
右手で自分の顔の高さまで掲げて、私に向かって左右に振って下さっているではありませんか!

“これまで43年間生きてきたのは正に今日この瞬間ドロンさんに出会う為であった・・・”
『マディソン郡の橋』でのキンケイドのセリフがそのまま当てはまるような思いが頭をよぎりました。

そうやって興奮冷めやらぬまま劇場の外に出た私たちでしたが、
この後再びまたドロンさんと巡り会うことになります。
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IN PARIS (4)

2007-02-11 | ENCOUNTER
スタッフ室から出た放心状態の私たちの前に、
「みなさん、よかったですね」という表情でD様が出迎えてくれました。
ドロンさんとの劇的な対面は正にD様の配慮によるもので、
私たちは彼に心からお礼の言葉を伝えました。

そしてD様は
「お芝居が終わったら座席から直接舞台の前まで歩いていって
ドロンさんたちに花束を渡してください。
そしてそれが済んだら皆さんはここにもう一度集合して下さい。」
と言われました。

いよいよ座席に付いて舞台が始まります。
劇場内は予想していた以上にこじんまりとしており、
予約した座席は中央より後方だったのですが、
真正面からドロンさんたちの演技をじっくりと堪能することが出来ました。

(この舞台についてのレビューはここではいったん省略し、
後日記載することとして、その先に進みます。)

エンディングの後、幕が下り、再び幕が上がると、
まずはミレイユさん、夫役の男優の方、最後にドロンさんの順で挨拶に出てこられます。
私たちはその間、隣の座席の方々にお詫びしながら舞台の前まで身をかがめて進み、
2回目のカーテンコールの際に、用意した花束を一人ひとりが
ドロンさんとミレイユさんに渡していきます。

ここで私たちは決してドロンさん一人にだけ花束を渡すようなことはせず、
共演のミレイユさんにも花束を渡すという配慮を敢えて行いました。
これは前回の舞台『ジェット・コースター』の時に、
同じようにおばさん2号さんたちがドロンさんに花束を渡そうとしたとき
共演の女優さんにも渡すよう舞台上からドロンさんが彼女らにこっそり目配せをしたのを
彼女らが覚えていたからです。

そして無事にカーテンコールも終了し、
私たちはD様の指示のあった場所に集合しました。
全員が来たことを確認したD様は私たちをさっきと同じようにスタッフ室に誘導して下さいます。

人間一人通るのがやっとの幅の細い階段を二階に上がっていくと
そこは出演者たちの楽屋が続いています。
ミレイユさんの楽屋を通り過ぎて、(一瞬彼女の姿が見えました。)
私たちが通された部屋はドロンさんがロミー・シュナイダーに捧げた特別な楽屋。
ちょうどパリマッチ誌で紹介されていた正にあの部屋です。(添付画像右端)

ドロンさんは隣の部屋でフランス人のお客様たちに先に応対しており、
私たちはその部屋でしばらく待機することに。

入り口の扉にはベルモンドとトランポリンでジャンプしている時の写真が貼られ、
部屋の壁にはロミー・シュナイダーの写真が所狭しと飾られています。
また低い棚の上にはロミーの写真集も立てかけられています。
前回の舞台時に着用していたZEGNAの黒シャツも数枚がハンガーに掛けて並べられています。
他にもいろいろなドロンさん関連のもの(オリジナルのCDなど)が置かれていて、
一見かなり雑然としているようにも見えますが、
よく観察すると物の配置に細かく工夫がなされているのが感じ取られ、
ドロンさんのインテリア・センスの良さをここで確認することができました。

しばらくするとD様から部屋を移動するように指示があり、
入っていった隣の部屋はドロンさん自身が使っているドロンさんの楽屋。
ドロンさんは先客をお見送りする為にその部屋を出ておられました。

大きな鏡の周りにはドロンさんや子供たちとの写真がこれまた所狭しと飾られ、
窓際にはソファ、隅にはロミーさんの衣装、ヴィスコンティのメガホンと
正にパリマッチ誌で紹介されていたあの部屋でした。(添付画像左上と左下2枚)

そしていよいよドロンさんが私たちのいる部屋に戻って来られました。
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IN PARIS (3)

2007-02-09 | ENCOUNTER
全くの偶然によってドロンさんのボディーガードのD様に外で出会い、
幸運にも“花束”の許可を得た私たちは再び午後7時すぎにシアター・マリニーに到着。

まずは例の“売れ残りチケット”を買ってくれる人がいないか、
劇場入り口の外で切符をかざして立っていましたが、
道行く人たちから全く反応がなく、今回はあきらめることに。

そしていよいよ劇場の係員に切符を見せてロビーの中へ。
(添付の画像はそのときのものです。)

ロビーの中は正面から見てクロークやバーが左右対称に配置されており、
座る席によって左と右のどちらかの入り口から入っていくのですが、
私たちの座席は中央の位置にあり、どちらからでも入ることが可能でした。

とりあえず開演までにはまだ時間が少しあったので、
正面玄関から向かって右側のバーで休憩することにした私たちは、
またもやバーの奥で携帯電話で打ち合わせをしているD様を偶然に発見。

カーテンコール時の花束贈呈の段取りを確認する為も兼ねて
改めてご挨拶に出向いた私たちを見たD様は、
たくさんの花束を抱えている私たちの姿を見て、
ご親切にも劇が終わるまで奥のスタッフの控え室に
これらの花束を置いておいたらどうかと提案して下さいました。

D様によって1階のスタッフ室に誘導された私たちは、
そこで少しの間待機することになりました。
スタッフ室にはこの舞台のポスターが何枚か置かれており、
「どうぞ持って帰ってください。」と言われ、
ありがたく持ち帰らせてもらうことに。

そんなことをしている間にD様が急にいなくなったので、
どこに行かれたのだろうかと思った私が
2階に上がっていく階段の下まで探しに行くと、
ちょうどD様が2階に上がる途中で、
私に気づいた彼は振り向きざま笑顔で手をかざして、
「ちょっと待ってて。」と合図を送られました。

こんな開演前の忙しいときに、私たちのようなものがお邪魔して
きっとややこしいことになっているのだろう、
あぁD様には申し訳ないことをしたなと反省していたその矢先でした。

2回から駆け下りてくる足音と共に、
スタッフに何やら問いかけている野太い聴きなれた声が聞こえてきたのです。
振り向いた私の目の前に現れた「その大きな人」を見て私は思わず叫びました。
「あっ!!!」
私の叫び声に驚いた「その人」は私に向かって私の声色を真似て
「アッ!!!」
と小さく叫び、と同時に人差し指を口に当てて
「シー」(静かに。)
と合図をされました。

そうです。

この「大きな人」こそ私が30数年間追い続けてきた
世界の大スター、アラン・ドロンさんでした。

驚いてあっけに取られている私に目配せをして
私たち一行が待機する部屋に入ってきたドロンさんは、
笑顔で一人ひとりに挨拶し、女性にはハグ、キス、握手の3点セット、
唯一の男性の私には力強い握手をして下さいました。

ドロンさんの出で立ちは、舞台前半のロバート・キンケイドの衣装のままで、
本番前の緊張の時間にもかかわらず
わざわざ私たちの為にスタッフ部屋まで下りてきて下さったのです。

あぁ何ということでしょう。
そんなドロンさんのサプライズな行動に感謝感激の私たちに向かって
ドロンさんはさらに驚くべきことを仰ってくださいました。
「今は時間がないから、後でね。」
と指を立ててその場を立ち去ったのです。

ドロンさんが去った後、放心状態の私たちは
とりあえず気を取り直して、花束を結局自分たちで抱えたまま
開演する舞台を観に座席に向かいました。
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IN PARIS (2)

2007-02-07 | ENCOUNTER
あらかじめ皆様にはお詫びしておかなければなりません。
今回の私のレポには生のドロンさんの写真は一切出てきません。
一枚も撮影していないからです。
ご期待されていた方々には誠に申し訳ございません。
せっかくの機会なのに「なぜ?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、
その理由はレポの中で申し上げたいと思います。

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今回のパリの舞台鑑賞スケジュールは
①1月31日(水)午後8時半
②2月1日(木)午後8時半
③2月2日(金)午後8時半
④2月3日(土)午後4時
の計4回のチケットを取りました。
席は①②が1階席(ORCHESTRE)、③④が2階席(CORBEILLE)です。

私たちのツアーの参加者は私含めて総勢6名。
そのうち昨日コメントくださった、おばさん2号様含め
前回のドロンさんの舞台『ジェット・コースター』を鑑賞して
生のドロンさんとお会いになった経験のある方が3名いらっしゃいました。

ですので今回も生のドロンさんにお会いできるのではないかと、
期待を持ってしまうわけですが、なかなかそう簡単には行きません。
「世界の大スター、アラン・ドロン」に直接会うのは
よほどの事がない限り不可能であることは
実際にお会いになった当のおばさん2号様ご自身が
一番よく理解していらっしゃいます。

そこで今回私たちは彼女の発案により「あること」を決行することにしました。
その「あること」とは、
“カーテンコールの際に全員で花束を舞台の下から毎日ドロンさんに手渡す”ということです。
そうすることで毎日ドロンさんを間近に見ることが出来るのがその一番の理由ですが、
せっかく日本からはるばるやって来たのだから、
ドロンさん、ミレイユさんに文字通り「花を添える」役割を果たして帰りたい、
そして日本にはまだまだドロンさんのファンがたくさんいることを
ドロンさんに対してはもちろんのこと、フランスの観客の方々にも伝えたい、
という想いも強くありました。

その為にはまず、劇場のスタッフの方々に事前に交渉しなければいけませんし、
何よりもドロンさんのボディガード兼付き人の“D様”の許可が絶対に必要でした。

1月31日の午後3時、私たちはシアター・マリニーに到着しました。
(添付の画像はそのときに撮影したものです。)

各自日本から持参したドロンさんとミレイユさんへの贈り物を
事前にお二人の楽屋に届けてもらうよう依頼しに、
まずはマリニーのスタッフのいる裏の入り口に向かいました。
応対に出てくださった女性のスタッフはとても感じがよく、
お二人へのプレゼントに対して丁重なお礼を言っていただきました。

話がそれますが、
今回のツアーをキャンセルされた方がいらっしゃいまして、
実はチケットが1日1枚計4枚余ってしまっていました。
この余分のチケットを払い戻ししてもらうことが出来るかどうか、
その女性のスタッフに尋ねましたが、
チケット売り場の係員に聞いてくれとのこと。

その足でチケット売り場にいき、窓口の男性に聞いてみると、
「払い戻しはできない。」とあっさり突っぱねられました。
それでもあきらめずに、「誰か欲しい人がいたら安価で譲りたい。」と言いますと、
「それはここではダメなので劇場の外でやってください。」と言われました。

このやりとりを見ていたチケット売り場に並んでいた上品そうなフランスの方たちに
いつの間にか私たちは囲まれ「どこの席か?」「ペアで座れるのか?」等、
矢継ぎ早に質問されました。
皆さんから「ペアだったらよかったのに残念」と断られ、
私たちもその場はあきらめていったんホテルへ引き上げることにしました。

そうやってすごすごと劇場を後にする私たちに「奇跡」が起こりました。

目の前にドロンさんのボディーガードのD様が歩いて来られたのです。
D様と以前面識のあったおばさん2号様がすかさず駆け寄り、
「私を覚えていますか?」と尋ねると、
D様は満面の笑みを浮かべて「Oui!」と答えてくださいました。
私たちがカーテンコールでドロンさんに花束をお渡ししたい旨丁重にお願いすると、
彼は躊躇なく快く了解して下さいました。

おばさん2号様の不屈の闘志?が見事に花咲いた瞬間でした。
そして私たちにはさらなる「奇跡」がこの日の晩に起こることになります。
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IN PARIS (1)

2007-02-05 | ENCOUNTER
そこに、「その人」はいました。

子供のときにテレビのCMで初めて見て以来30数年間、
「その人」は自分の人生における先生であり、
また自分の目標でもありました。

現実の世界に存在している人間でありながら、
お目にかかれるのはスクリーンやテレビ画面の上、もしくは写真など
常に平面の二次元の世界での存在にしかすぎなかった、
正に「その人」が、

立体的な、三次元の世界に生きている人間として
私の目の前に現れ、私の手を握ってくれています。

「その人」の名前は「アラン・ドロン」。

全てが夢のような現実が過ぎ去ったパリでの4日間は
正に私にとっての『マディソン郡の橋』の物語でありました。

数回に分けてアラン・ドロンさんとのひとときを
舞台の鑑賞記録も交えながら報告していきます。
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