LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

THE MAKING OF “D'URBAN CM 1976”

2017-09-03 | BEHIND THE SCENES
【画像リニューアルの為、2011年1月7日記事の再掲載】

1976年のダーバンCMのメイキング・エピソード記事より、今回はミレイユ・ダルクが出演した3作目について少しばかりの情報をご紹介します。

撮影されたのは3月1日から3日間、場所は全てニースを中心に行われました。
今回ご紹介するフィルムはニース近郊のアンティブにあった当時のドロンさんの別荘が舞台です。

フィルムは朝ベッドでまどろんでいるシーンから始まり、そのまどろみの中に回想シーンのように一人の女性が登場する、という設定です。
ミレイユ・ダルクは前年に同じレナウンの別のブランドのCMに出演しており、ダーバンの方では今回のみのゲスト出演となっています。

「フリック・ストーリー」と「ル・ジタン」の撮影の合間に無理にスケジュールを入れた前年とことなり、今回は「パリの灯は遠く」が完成した直後であったためドロンさん自身も時間的に余裕を持ってリラックスして撮影に臨みました。

主人公クラインを演じた直後のためか髪型はいつもより短めなのがわかります。

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MAKING OF “LE CERCLE ROUGE”(3)

2015-03-17 | BEHIND THE SCENES
【画像リニューアルの為、2006年2月の記事の再投稿】

クライテリオン盤『仁義』DVDの特典映像より。

昨日のメルヴィルのインタビューに続いてアラン・ドロンさんのインタビューをご紹介します。

撮影スタジオの中で付け髭を外し、やや緊張した面持ちで答えています。

----あなたはこの映画の撮影で『サムライ』の役柄を打破しようとしていますか?---

アラン・ドロン(以下AD)
“私は『サムライ』とこの作品との間に関連性は一切無いと考えます。
しかるになぜ私は『サムライ』の役柄を打破しないといけないのでしょうか?”

----『サムライ』を演じたことでこの『仁義』での演技がより難しくなったのではないかということです。-----

AD“この映画と『サムライ』は全くの別の作品です。
私自身がそこで異なる役柄を演じているのです。
いずれにせよ、私はメルヴィル監督の下にいればいつも安心していられます。
このことは非常に大事なことです。
私とメルヴィル監督との関係はそのようなものです。
セットの中での私たちのコミュニケーションは非常に強いものなので、彼と一緒にいると誰にも邪魔されず安心なのです。

----お二人は波長が合うのですね。----

はい。全く同じ波長ですね。
私はメルヴィルが何を欲し期待しているかが手に取るようにわかるのです。
そして私はその彼が期待するものを提供しています。

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『サムライ』で築かれたメルヴィル監督との信頼関係はこのドロンさんのインタビューを聞けば大変強いものだったことが理解できます。
その結果『仁義』はドロンさんとメルヴィルにとって生涯の代表作品のうちのひとつとなりました。
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MAKING OF “LE CERCLE ROUGE”(2)

2015-03-16 | BEHIND THE SCENES
【画像リニューアルの為、2006年2月の記事の再投稿】

クライテリオン盤『仁義』DVDの特典映像より。

撮影中の様子を取材したテレビ番組にてジャンピエール・メルヴィル監督と
アラン・ドロンさんのインタビューを観ることができます。

収録されているのは出所してきたドロンさん扮するコレットが
ビリヤード場を訪れるスタジオでのセット撮影の現場です。
ここでは演技を終えたドロンさんがそっと付け髭を外してスタッフに手渡す大変珍しい映像が観れます。

番組のインタビューにおけるメルヴィル監督の印象的な言葉をここにご紹介します。

“私は犯罪映画(英語ではポリス・スリラーと表記)を撮ることが
現代において唯一悲劇を表現することができる方法であると考えています。
主人公がいきなり人を殺してしまったり、あるいは突然殺されたりするのですから。

このように悲劇を撮りたいという私の情熱があるのも事実ですが、
一方でフランスで冒険活劇を撮るには犯罪映画を撮るのが最も適したやり方であるという現実的な事情も私が犯罪映画を撮る大きな理由です。

私たちフランス人はアメリカのような広大な土地を持ち合わせていません。
私たちは西部劇を持たない民族なのです。
ですから私たちは都会の風景の中に出来るだけたくさんの主人公たちを絡ませ合って、込み入ったアクションを展開することが必要になるのです。

それゆえに私はこの映画に出演してもらう俳優たちを選びました。
ドロン、ブールヴィル、モンタン、ジャンマリア・ボロンテ、そしてフランソワ・ペリエです。

『サムライ』では私は孤独な男についての物語を撮りました。
『仁義』は男たちの出会いと約束を描いた物語です。”
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MAKING OF “LE CERCLE ROUGE”

2015-03-12 | BEHIND THE SCENES
【画像リニューアルの為、2005年11月の記事の再投稿】

Cercle rouge, Le (1970)

フランス盤『仁義』DVDの特典映像の中に
撮影時の様子を取材した白黒フィルムが約10分間収録されています。

ジャン・ピエール・メルヴィル監督、アラン・ドロン、イヴ・モンタン、そしてアンドレ・ブールヴィルの順番にそれぞれのインタビューがありますが、
中でもドロンさん演ずる主人公が刑事たちに追いかけられるラスト・シーンの撮影の様子が大半を占めており、ドロンさんのファンには嬉しい映像です。

添付の画像のように、同じような走るシーンが計4回収められていますがドロンさんは顔を引きつらせながらも淡々とこなしています。
メルヴィル監督もキャメラの後ろでドロンさんと並走している映像もありますが、走り方がユーモラスで思わず笑ってしまいました。
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THE MAKING OF “D'URBAN CM 1980” (3)

2011-08-21 | BEHIND THE SCENES
1980年度ダーバンCM第3編です。
15歳の少女が社交界にデビューするのを44歳のドロンさんがエスコートしてお祝いのワルツを踊る、
という設定で、二人の踊りからくる「人生の味」を表現しようとしたものでした。

企画を聞いたドロンさんは「ワルツはまかしとけ」と言ったものの、
スタッフたちは「実際はやれないのではないか?」と半信半疑だったようです。
ところが実際の撮影になると「さすが天下の2枚目」らしく達者ぶりを見せてくれました。

ロケ場所はブローニュの森の中にある有名なレストラン・ホールの「プレカトラン」で、
この場所は翌年のCM「バー編」にも使われることになります。

さてこのCMには「いつも出てくる人」ジャック・ピシアス氏もエキストラで姿を見せています。
画像では最下段中央の写真に少し見えています。
ダーバンCMにまでご出演されていたとは嬉しい発見でした。

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THE MAKING OF “D'URBAN CM 1980” (2)

2011-08-16 | BEHIND THE SCENES
順番が逆になりましたが、こちらがフォーマル・ウェアでの1980年ダーバンCMの第1編で、
ロケ場所はパリのシャゼリゼ通りに面したビルの屋上“テラス・マティーニ”というところでした。

フォーマル・ウェアをテーマにしてはいますが、スタッフたちの狙いは「フォーマルの中のカジュアル」というもので、
堅苦しいイメージではなく、もっと日常的にフォーマル・ウェアを着こなしていくことを提案したものでした。
これからバブル経済の真っ只中に飛び込んでいこうとする当時の大人の人たちにとってはうってつけのテーマだったかもしれませんが、
まだ高校生だった私には正直言って入ることのできない世界だったように記憶しています。

ちなみに最近のドロンさんのフォーマルな場でのファッションはウィングシャツの上のボタンを外してノーネクタイという
誰も真似のできない独特な着こなしを披露していらっしゃいます。

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THE MAKING OF “D'URBAN CM 1980”

2011-08-16 | BEHIND THE SCENES


1980年のダーバンCMの第2編の舞台裏エピソードをご紹介します。

この年のCMではドロンさんはすべてフォーマル・ウェアの“フェストーネ”を身にまとい、
パーティーで起こるささやかなドラマを垣間見せることが共通のテーマとなっています。

パーティー会場で出会い気になっていた女性と帰りの出口のところで偶然に出くわします。
雨が降っている為すぐには帰れない二人、やがて女性にはパートナーの男性が迎えに現れ、
ドロンさんをちらっと見ながら帰っていく彼女を確認しながらドロンさんは一人で会場を後にします。、
きっと二度と巡り合うことがないであろうこの二人の間に起こった心のふれあいを
たったこれだけの映像で見せきる演出力とドロンさんの演技を堪能することができます。

撮影場所はおそらくブローニュの森に"1軒ぽつんとあるレストラン"で行われ、
当日は晴れていた為、雨を降らせる為に私設の消防団に頼んで消防車から雨を降らせてもらいました。

またCM開始以来10年目に当たる記念の年ということでロケ地には三船敏郎氏も陣中見舞いに訪れたようです。

この一連のCMの撮影前日にミレイユ・ダルクが心臓の大手術のために入院していたことをスタッフは後に知ることになります。
ドロンさんはスタッフに余計な心配をかけさせることのないよう、
撮影中も彼女への心配な気持ちを表に出さず納得がいくまで撮影に打ち込みました。
しかも今回ほど笑顔を見せたことはなかったそうです。
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THE MAKING OF “D'URBAN CM 1975” (3)

2010-12-18 | BEHIND THE SCENES
1975年のダーバンCM撮影レポの第3回目です。

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前回の老ドライバーと出会うスナックの中のシーンをその日のラストカットにして
ドロンさんは夜9時半発マルセイユ行きの飛行機に乗る為に急ぎ空港まで走りました。
こうして撮影の最終の日を南仏エキサンプロバンスに移すことになったスタッフ一同は、
もはや飛行機の便の無くなった深夜、自動車を連ねて南仏までの300キロの道を突っ走りました。

3本目のタイトルは「昼下がり」。
大人のあるひとときを射的場を舞台に設定して、ドロンさんのドライな面を強調した作品となっています。
前年までの作品のようにドロンさんの映画的な世界からはできる限り離れて
今年度は「人間アラン・ドロン」に焦点を絞りました。

射的場を舞台に単にアラン・ドロンが登場する、というだけでは
映画スター、アラン・ドロンの人気におぶさっているだけでマンネリズムに陥ってしまいます。
したがってこの「昼下がり」では射的場の標的と、ドロンさんの顔だけで処理するという狙いがありました。

撮影場所は、射的場のシーンがフランス映画発祥の地といわれるマルセイユ近郊のシオタ、
そしてワインのシーンがエクサンプロバンス、
シャワーのシーンがグルノーブルのスポーツセンターのシャワー場を使用しました。
ドロンさんは海水パンツを忘れてきましたが、気にせず裸のままプロとして撮影に臨みました。

2度のロケハンの時は全て南仏の溢れる陽の光があったのに、
ロケ現場に到着すると空一面の雲、さらにポツリポツリと雨が降り出しました。
そしてスタッフが思案しているその時にドロンさんからの電話が入ります。

「せっかく夏の日のテーマを南仏まで撮りに来たのにこの天気では当初の目的の画が撮れないだろうから、
パリに戻ってくれれば五日後から天気になり次第いつでも撮影の為に時間を作るよ。」

ドロンさんは次の日からパリで「フリック・ストーリー」の仕上げの仕事に入っていかなければならず、
スタッフたちの心中を察して親切に提案してくれたのでした。

「・・・しかし次の仕事(「ル・ジタン」)の為に多少ヒゲを伸ばさなければならないが、
カジュアル・ウェアーに僕のヒゲもまんざらではないと思うけど・・・」

そんなやり取りをしているうちに非常に不思議なことに一面の雲の一か所からぽっかり青空がのぞき、
見る見るうちにそれが広がってきました。

「晴れてきました・・・」
「よしそれならやろう。すぐ行くよ。」
ドロンさんが撮影現場に現れたのはそれからほんのわずかの時間でした。

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私はこの作品はリアルタイムで観た記憶がなく、
今回初めてユーチューブ映像で観たわけですが、その完成度の高さには本当に驚かされました。
映画でのドロンさんから離れる、というスタッフの言葉がありましたが、
映画以上に映画的なドロンさんの姿がわずか1分そこそこの時間の中に凝縮されています。

ドロンさんが提案してきたように『ル・ジタン』のヒゲ姿でこの作品が撮影されていれば、
また違った雰囲気になっていたことでしょう。
そうならなくて本当によかったと思うのは私だけでしょうか・・・。
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THE MAKING OF “D'URBAN CM 1975” (2)

2010-12-11 | BEHIND THE SCENES
かなり間が空いてしまいましたが、1975年のダーバンCM撮影レポの第2回目です。

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前回と同じくグルノーブルで撮った作品でタイトルは「夜明け」。
これは大自然をバックにした清々しさがいっぱいの作品でした。

場所はスイスの国境に近い夜明けのスナック。
ドロンさんと年老いた陸送の運転手が、二言三言、話を交わしながらモーニング・コーヒーを飲む。
ドロンさんとその運転手のつかの間の出会いとそして別れ。

この作品ではドロンさんが以前の愛車であったシトロエンSMを実際に運転しています。

また設定上は早朝になっていましたが、
早朝はその光の変化が激しすぎるため、夕刻の光量を利用することになりました。

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以前D'URBAN (16)でもご紹介したこのフィルムですが、やはり何度見てもいい作品です。
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THE MAKING OF “D'URBAN CM 1975” (1)

2010-07-27 | BEHIND THE SCENES
ダーバンのCMは1970年から1981年まで計11年間に亘って製作されたわけですが、
その中でも1975年はちょうどドロンさんの映画での人気絶頂の頃と重なることもあってか、
制作された3本のCMが3本とも他の年度と比べて最も内容が充実した作品群となっているように感じました。
40歳を目前にしたドロンさんの外見も、若さと中年の渋さがほどよくブレンドされており、
この年度をひとつの頂点と見てもいいのではないかと思います。
(もちろんそれ以前、以降の年度にも名作はいっぱいあるのですが。)

今回から3回に分けて1975年に放映された3本のCM製作の裏話を
当時の映画雑誌「スクリーン」と「ロードショー」の2誌の記事から抜粋してご紹介していきたいと思います。
舞台裏のエピソードを披露しているのは当時の制作に携わったスタッフの方々です。

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1975年4月12日
フランス、グルノーブルのホテルにて、

それまで約10日間、フランスのスタッフたちと合流してロケハンを重ねてきた日本のスタッフたちは、
明日の撮影開始を控え深夜のカフェでコーヒーを飲んでいた。
そこに背後から「ボンジュール」とにこやかに現れたドロンさん。
直前に新作「フリック・ストーリー」の撮影を終えたばかりで、
黒いコートに白いマフラーという出で立ちの彼は、明日からの撮影の簡単な挨拶のあと
スタッフと同じ濃いコーヒーを飲んで深夜のグルノーブルの街の中に愛車シトロエンで消えていった。

1975年4月13日夜
グルノーブルのスポーツセンターにて、

撮影するCMのタイトルは「リングサイド」、
テーマは男が持つ「力」、その「力」を再確認する、ということがモチーフとなっている。

撮影場所のスタジアムでは前日の12日に世界ミドル級のタイトル・マッチが
コロンビアのバルディスとフランスのコーエンとの間で行われることになっていた。
そしてその満員の観客が去った後の汚れきったリングサイドの生の状況を使って臨場感を出すはずであった。
ところが現実にはコーエンが関節炎の故障のため試合は中止され、
スタジアムの「汚し」の作業はスタッフたちの手作業となってしまった。

「せっかくセッティングしたスタジアムも結局あなた達撮影スタッフの為に作ったようなものさ・・・」
プロモーターのカズヌーブル氏の嘆き言葉である。

夜のスタジアムに立ちこもる紫煙を作り、まき散らされた新聞紙の中にドロンさんが立つ。
ダーバンのモジュラーに身を包んだ彼がリングサイドのビームの中に浮かび上がってくる。
ドロンさんの気持ちの用意ができたとき住田カメラマンの準備した2台のカメラが動き始める。
そしてドロンさん専属のスチール・カメラマンのジャン・ピエール・ボノーが操る
モーター・ドライブのスチール・カメラも動き始める。

リングの上の男達の死闘を想起し、見上げているドロンさんの視線をじっと見据えていると
彼の眼球のまわりがうっすらと涙でにじんでいるのであった。

スタジアムの掃除人夫の声にふと我にかえりリングサイドを離れる彼に、
残飯を漁りに来た野良犬がセッティングされ、その犬に一瞥し、煙草に火をつけ、
その一服を吸ってコートをはおり歩き始めるのであった。

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このフィルムは以前ご紹介しましたYouTube - ALAIN DELON in D'URBAN Part2
後半6分47秒後から始まります。

ダーバンCMの制作スタッフが考える企画は
ドロンさんの一人の人間としての魅力を画面に展開させながらも、
同時にドロンさんがそれまで出演してきた映画作品のイメージに忠実でもあります。
今回のこのフィルムにもボクシングというテーマが取扱われ実に効果的でした。

文中にも出てきましたが、ドロンさんはこのとき「フリック・ストーリー」の撮影を終え、
次回作の「ル・ジタン」にとりかかる直前であったというこで、
ロジェ・ボルニッシュ刑事の髪型のまま撮影に臨んでいるのがよくわかります。
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MAKING OF “1 CHANCE SUR 2”(13)

2006-11-01 | BEHIND THE SCENES
『ハーフ・ア・チャンス』メイキング映像より。

今回は映画の終盤、アラン・ドロンとベルモンド、パラディの3人が
ニューヨークに向けて出発するパリの空港のロビーでの場面です。

エスカレーターを上りながら例によってベルモンドはシナリオにない言葉を
セリフの最後にドロンに向かってこぶしを握り締めて投げかけたようで、
ドロンは笑いを我慢しきれず吹き出してしまいます。
実際の映画の中では最後のこの一瞬の部分はカットされています。

これはロケ撮影だったようでドロンの後方に多数の見物人がいるのが分かります。
ここに居合わせた人たちはきっと驚いたことでしょう。羨ましいです。
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MAKING OF “1 CHANCE SUR 2”(12)

2006-10-31 | BEHIND THE SCENES
『ハーフ・ア・チャンス』メイキング映像より。

今回はアラン・ドロンとジャンポール・ベルモンドが
ロシアン・マフィアの兵器倉庫を急襲する場面の撮影です。

マフィアの一味の二人の頭に手榴弾を縛り付けて、
少しでも動いたら辺り全てを木っ端微塵にさせるという、
けっこう残虐な手段を使う主人公たちですが、
二人は終始笑いっぱなしでギャグに徹します。

先ごろパリマッチ誌で健康回復の姿を発表したベルモンドが
ここでも得意のコメディ演技全開でドロンを引っ張っています。
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MAKING OF “1 CHANCE SUR 2”(11)

2006-04-16 | BEHIND THE SCENES
『ハーフ・ア・チャンス』メイキング映像より。

今回は日本盤にも収められていますが、
ヴァネッサ・ヴァラディに連れられてマクドナルドに食事に来た
アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドのおかしなやりとりの撮影風景です。

あらかじめ決められたシナリオはなかったのか、
二人にアドリブの演技をその場でルコント監督は求めます。
その要求に答えるように、ベルモンドがその味にうんざりしながらも
満面の笑みを浮かべて美味そうにジュースのコップを掲げる演技を見せると
その絶妙な間の芝居にドロンや監督、他のスタッフが大笑いします。

映画の本編には収められていない、ここでしか観れない楽しい映像です。
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MAKING OF “1 CHANCE SUR 2”(10)

2005-12-29 | BEHIND THE SCENES
『ハーフ・ア・チャンス』メイキング映像より。

これは日本盤にも収録されていますが、
映画の中で二人が初めて顔を合わせる場面の撮影現場です。

この撮影はクランクイン後一番最初に行われたようで
ルコント監督の説明によると、
現場での二人の緊張感がそのまま映画の中での二人の主人公のぎこちなさに通じる
との意図があったとのことでした。

冒頭出会ってから二人がいきなり殴りあう、という設定は
正に『ボルサリーノ』の再現といえます。
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MAKING OF “1 CHANCE SUR 2”(9)

2005-11-19 | BEHIND THE SCENES
『ハーフ・ア・チャンス』メイキング映像より。

パラディがやむなく盗んでしまった車がきっかけとなって
ロシアン・マフィアからの攻撃を受けたドロンとベルモンドが
相手方の顧問弁護士に組織の内情を白状させようと急襲する場面です。

撮影の途中、プロデューサーのクリスチャン・フェシュネールや
パトリス・ルコント監督と談笑するドロンの姿が見れます。
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