LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

NOTRE HISTOIRE 真夜中のミラージュ

2012-03-10 | THE 80'S CINEMA
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この企画には誰もが驚かされた。
アランドロン、男らしいフランスの英雄の紋章 を持つ彼はこれまでの因習を打破するために、
ベルトラン・ブリエ監督に白紙の委任状を与えたのだ。
これは興奮の旅になりそうである。
さらに大胆な女優ナタリー・バイが彼からのチケットを受け取ったのだ。

アラン・ドロンは拳銃を手にした数々の映画作品において一般大衆から高く評価された勝利者である。
一方のベルトラン・ブリエ監督は『バルスーズ』を皮切りに、『Buffet Froid(料理は冷たくして)』、
『Beau Père(義父)』や『ハンカチのご用意を』のような少し生意気で挑発的、破壊的な作品を発表し続けている作家であった。

予期せざる出会い

お互いに先験的であったため、出会う運命にはなかったはずであったフランス映画界の2つの巨大な山、
アランドロンとベルトラン・ブリエ監督が一緒に映画を撮る!
このニュースを聞いた時、初めは何かの冗談ではないかと思った、とプレミア誌は書いている。

彼ら二人は、1983年の時点で互いに知り合いではいたが、アラン•ドロンは刑事役ばかり演じることから脱却しようとしており、そのリスクを取ることに躊躇はなかった。
フォルカーシュレンドルフ監督作品『スワンの恋』で同性愛者のシャリュルス男爵を演じたことは決して軽率な判断からではなかった。
このドイツ人の監督との間で見解の相違が生じたり、興行成績が惨敗し、"ろくでもない代物"と批判されようと、彼はうんざりしていなかった。

"初めて彼に会いに行ったとき、「これから一緒に映画を作りましょう。」と挨拶程度の話しをするだけだと思っていて、
まだ何も具体的に彼に提案できるような企画は準備していなかったんだ。"とベルトラン・ブリエ監督は言う。
“だが会った途端一気に彼は私に尋ねてきたんだ。
「あなたのスケジュールはどうなっていますか?」とね。
私は自分の日程を彼に伝えて「あなたのスケジュールは空いていますか?」と尋ね返したんだ。
すると彼は自分の日程をくわしく説明した。
で、私は「それならOK」と言い、その場ですぐに映画製作の契約を結んだんだ。
何と常識はずれな契約だろう。
しかもその時にドロンから出された出演条件はたったひとつだけだった。
共演女優にナタリー・バイかイザベル・アジャーニをキャスティングすること。
それで私はすぐにナタリー・バイに連絡を取った。
そのとき彼女はフリーで、すぐさま契約してくれたんだ。
まだ何も映画のテーマが決まっていないにも関わらず、ただアラン・ドロンと共演するということを聞いただけでだよ。“

ナタリー・バイは告白する。

"私は自分の役がどんな人物かを知る前にこの仕事を引き受けました。
ベルトラン・ブリエ監督と一緒に仕事ができるまたとない機会だと思ったので彼を信頼したのです。
ジャン・リュック・ゴダール監督の『ゴダールの探偵』に出演した時も私は本能的に決断しました。"

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L'initiative, au départ, épate et intrigue:
Alain Delon, l'emblème du héros viril français, qui donne carte blanche à l'iconoclaste et grinçant Bertrand Blier pour le bousculer.
Le voyage promet d'être agité.
Téméraire, Nathalie Baye prend son ticket.

AIain Delon est la figure même du vengeur marmoréen, revolver au poing, qui triomphe dans des productions carrées, plébiscitées par le grand public.
Bertrand Blier, quant â lui, est l'incarnation d'un cinéma culotté, dérangeant, provocateur dont la formule a été inaugurêe par Les Valseuses puis éprouvée avec des films comme Buffet Froid, Beau Père ou Préparez vos mouchoirs.

UNE RENCONTRE INATTENDUE

A priori, donc, ces deux montagnes du septième art français sont vouées à ne jamais se rencontrer.
"Alain Delon va tourner dans le prochain film de Bertrand Blier! La nouvelle ressemblait à un gag" écrit même Première .

C'est oublier que lorsque les deux hommes font connaissance, courant 1983, Alain Delon semble désireux de sortir du carcan policier et enclin à mettre sa réputation en danger.
Ne vient-il pas de camper l'homosexuel baron Charlus dans l'adaptation de Un amour de Swann que Volker Schlôndorff a témérairement entrepris?
Les dissensions avec le réalisateur allemand et la déception quant au résultat final - qualifié de " truc bâtard “ n'ont pas dégoûté la star des itinéraires bis du box-office.

" Quand je l'ai rencontré pour la première fois, c'était pour discuter du principe de faire un film ensemble.
Je n'avais aucun sujet à lui proposer” raconte Bertrand Blier.
"D'emblée, il m'a demandé "quelles sont vos dates ?".
Je lui ai répliqué "quand êtes vous libre ?".
Il a fourni la précision. j'ai dit ok et nous avons signé un contrat.
Un contrat de fou qui a débouché sur un film fou.
La seule exigence de Delon était que sa partenaire soit Nathalie Baye ou Isabelle Adjani.
J'ai contacté la première, elle était lîbre à la date prévue, elle a signé aussitôt.
Sans connaitre le sujet (forcément. il n'existait pas encore !) sur la seule perspective de tourner avec Delon ".

Nathalie Baye confinne:
"J'ai accepté le rôle avant même d'avoir lu le scénario définitif car lorsqu'on a la chance de tourner avec Blier on lui fait confiance les yeux fermés.
Comme avec Jean-Luc Godard que je vais retrouver pour Détective. Moi, je fonctionne à l'instinct “.

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アラン・ドロンさんが1984年に主演した日本未公開作『真夜中のミラージュ』について仏盤DVDのライナーノーツから一部抜粋しました。

前々から監督のベルトラン・ブリエを評価していたドロンさんが彼と出演契約を結んだ経緯がドラマチックですね。

自動車販売会社をパリで経営する主人公ロベール・アブランシュ、
彼は妻との悪化した関係を精算すべく全財産をスイスの銀行から引き出した帰りの列車の車中で
突然現れたひとりの見知らぬ女性ドナシエンヌと一度きりの約束で関係を持つことになる。
その彼女の魅力に虜になってしまったロベールは彼女を追いかけて途中下車、
彼女の家に居座り続け、周りの人間を巻き込んだ騒動に発展していく。
そんなロベールに嫌気が差して家を出て行ったドナシエンヌの行方を追いかけ
雪の降りしきる田舎の村の学校にたどり着いたロベールはそこで教師をしている新たなドナシエンヌに遭遇する。
天使のようなドナシエンヌに癒されてすべての悩み事から開放されたかに思えたロベールだったが...

あらすじを書きますとこんな感じですが、
映像表現を駆使して物語を語るといった映画の持つ表現力はこの作品ではあまり重視されておらず、
登場人物たちが次から次に繰り出す台詞の洪水の中から物語が浮き上がってくる作品で、
この映画の原題"NOTRE HISTOIRE"(=私たちの物語)というのは、まさにその「語り」が重要なファクターであることを暗示しています。
そういう意味では日本の古典落語のような作品と私は感じています。
ただし必ず最後にオチを付けて笑いをとる上方落語ではなく、オチのない江戸落語の人情噺しに近いものでしょうか。
したがって字幕なしでは当然わけがわからない作品ですが、字幕を読んでいても進行を追いかけるのに精一杯といったことになります。

日本ではビデオ発売しかされておらず、CSなどでも放映される機会は皆無の作品ですが、いずれ日本でもDVD化されることを強く期待する作品のひとつです。
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3 hommes à abattre ポーカー・フェイス

2011-10-01 | THE 80'S CINEMA
1980年、アラン・ドロンさんが主演して本国フランスで大ヒットしたサスペンスアクション映画『3 hommes à abattre』(=『殺すべき3人の男』)をご紹介します。
この映画は当時日本未公開で後にビデオ発売されましたが、そのときの邦題が『ポーカー・フェイス』
主人公の職業(?)がプロのポーカーのプレイヤーだったことと、
どのような危機に直面しても顔色ひとつ変えずにそれを克服していく主人公の姿をひっかけたものとしてなかなか洒落ています。

この当時のドロンさん主演作品は『ブーメランのように』『友よ静かに死ね』『パリの灯は遠く』『アルマゲドン(未)』『プレステージ』
といずれもヒット作とはいえないものが続き、『チェイサー』で持ち直したものの、
その後の『ナイト・ヒート』『エアポート’80』『テヘラン』(ゲスト出演)はいまいちパッとせず、
さらに次の『未知の戦場』の興行的な失敗によってドロンさん本人にとって難しい局面に立たされていたようです。

そういった状況下において製作された本作は久しぶりのサスペンスアクション映画への主演ということで
ある意味ドロンさんにとっての原点回帰的な作品となっており、
しかも70年代が終わり80年代にさしかかった時代の雰囲気を盛り込んだようなドロンさんの新しい役柄は
大衆から指示を得てフランス本国では彼の主演作としては久々の大ヒット作となりました。

映画の前半部分、恋人のいるアパートにポーカーの試合を終えて早朝に帰ってきた主人公がコーヒーを作る場面や、
その恋人を連れて母の経営するリゾートホテルに行き彼女を母に紹介するシーンなどは
それまでの作品では見られなかった飾り気のないドロンさん自身のリラックスした側面を垣間見ることができます。
ただそんな中にも恋人から父親のことについて聞かれた主人公がうつむきながら「恋人と出て行ったよ」とつぶやく場面は
ドロンさん自身の幼少の経歴を知っているファンにとって見逃せないシーンであることも付け加えなければいけません。

以下フランス版DVDのライナーノーツから解説文の翻訳をお届けします。

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アラン・ドロンというスターが輝きを増す犯罪サスペンス映画への彼の復帰は、彼のファンを大いに喜ばせた。
この作品は最初は獲物の立場であった主人公がやがてハンターに変貌するといったサスペンスとアクション満載の物語である。
そして彼の昔からの仲間でそれまで7本もの作品でコンビを組んできたジャック・ドレイ監督によって全てが慎重に指揮されていった。

"大衆は自分たちが想像できないような私には映画の中で出会いたくはないんだよ。
私はもはやこれ以上彼らを失望させてはいけないんだ。"

1976年の作品『パリの灯は遠く』の興行的な失敗に幻滅したドロンはまるでそうすることが宿命であるかのようにこう告白した。

"一部の人々は、私はロージーの映画には出るべきではなかったと言うんだ。
だがあの作品は、違った次元の世界の映画作品だ。
だから私はあの作品のことを後悔はしていない。
ただし現実的な問題として『パリの灯は遠く』を撮ったことによって多額の資金を失った。
そのことは私にとっては本当に深刻な問題なんだ。
私はこの新しい映画の中で社会に敵対する男、ジャングルの中にさまようオオカミのような孤独なヒーローの役柄に帰ってきたんだ。"

確かに今までよく見てきた映画のストーリーに観客は酔わされるものの、ただそのボトルは異なってはいた。
レインコートとソフト帽とはもうおさらば、
ジャンピエールメルビルの作品群(『サムライ』、『仁義』、『リスボン特急』)ではもうおなじみのスタイルだったが。
70年代の服装とちがって、より俳優自身の普段着に近い装いを見せてくれる。
それはまるで彼の友人で成功したライバル、ジャンポールベルモンドが
『警部』『パリ警視J』『プロフェッショナル』などの作品で同じような役を演じて勝利者となったのと同じようだ。
しかも彼と同じく革のジャケット、戦闘服、スポーツウエア、ジーンズやパンツ、ジャケット、シャツや首の周りのチェーンを装っている。
そして拳銃を持つ姿も自然にフィットしている。

Pour son retour au polar, pour le plus grand plaisir de ses fans, Alain Delon mise sur des valeurs sûres :
une solide histoire de proie qui devient rapidement le chasseur, du suspense ainsi que de l'action.
Le tout est savamment orchestré par son vieux complice, Jacques Deray avec lequel il tourne pour la septième fois.

« Les gens ne veulent pas me voir autrement qu'ils ne m'imaginent.
Il ne faut pas les décevoir sinon ils ne viendront plus »
déclare un Delon que l'échec commercial de Monsieur Klein en 1976 a décidément laissé plus fataliste que désabusé.

« Certains prétendent que je n'aurais pas dû faire le film de Losey.
Qu'il s'agit d'un autre cinéma.
En vérité, je ne le regrette pas.
Au contraire, le vrai problème, ça n'est pas de tourner un film comme Monsieur Klein mais que ce film perde de l'argent.
Mon nouveau film est un retour à ce personnage de héros un peu solitaire en marge de tout, des hommes et de la société, une sorte de loup plongé dans une jungle hostile. »

L'ivresse du polar demeure mais le flacon change :
adieu l'imper et le feutre mou qui signent l'inscription de Delon dans l'univers morose et hiératique de Jean-Pierre Melville (Le Samouraï, Le Cercle rouge, Un flic).
Place à une garde-robe très seventies, proche de celle que l'acteur porte dans la vraie vie et qui est aussi devenue la panoplie à succès de son rival et ami,
Jean-Paul Belmondo qui triomphe dans des rôles similaires avec Flic ou Voyou, Le Marginal ou Le Professionnel :
blouson en cuir, veste de combat, jeans ou pantalon sportswear, veste, chemise et chaîne autour du cou. Avec le revolver vengeur comme appendice naturel.


*Ces textes sont de "ALAIN DELON COLLECTION" par Hachette*
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CINEMA (4)

2006-06-24 | THE 80'S CINEMA
第4話『母よ・・・』

この最終回は、それまでの3回のエピソードに比べると、
登場人物たち(特にヒロインのルル)の心理描写が不十分なこともあって、
かなり強引かつ唐突に物語が展開していき、
私としてはいささか不満の残る結末となってしまいました。

それでもいくつかのシーンは過去のアラン・ドロン出演作品や
アラン・ドロン本人との関連性が見え隠れし
ファンとして見応えのあるエピソードであることも確かです。
以下にそれらを列挙します。

別れた(あるいは捨てた)前の恋人カロリーヌが新しい婚約者とクラブで踊っている所を
マンダが近くに座ってじっと見て、彼女がそれに気づく場面は、
あの『高校教師』でのクラブのシーンを思い出させてくれます。

「俳優は好きでなったんじゃない。
他にできることがなかったからやっているんだ。
仕事は好きだ。コメディ以外はね。
業界の人間は皆好かん。人の生き血を吸う奴らばっかりだ」
と、マンダが恋人ルルに涙を流しながら告白するシーンは、
まるでドロンが自分の心情を吐露しているかのようで、このドラマのハイライトです。

ルルと共に警察で尋問を受けた際、
担当の刑事が「ジェーン・フォンダとの共演作がよかった」と言い、
それに対してマンダが「あのとき彼女は妊娠中で撮影は大変だったのですよ。」
と答えるシーンは明らかに『危険がいっぱい』のことを言っています。

映画「ベルリンのピアノ」撮影用トレーラーの中で、
自分が演ずる亡き父親の写真を観ながら、
鏡の前で被った帽子のつばを2,3回なでる仕草は、
あの『サムライ』や『ボルサリーノ』でのドロンが一瞬蘇ったようでした。

「この作品は実生活でのあなたそのままの姿なのではないでしょうか?」
もしこのような質問が一般の映画記者からドロン本人に向けられたとしたら、
きっと彼は平然とこう言ってのけると思います。
「いいや、僕はあくまでシナリオで書かれた人物を、そのまま演じたに過ぎない。
確かに一部似たところはあるけれども、実際の僕はこんな人間ではない。」と。

しかし彼がどんなにうそぶいてみても、
この作品には明らかにドロンが本人を「演じている」としか思えないような場面に数多く出くわし、
そういう意味ではドロンのコアなファンの人たちと
アラン・ドロンとの間において暗黙の了解の上で成り立っている作品と言えます。

最後にこのドラマには映画作品に匹敵するような見事なサウンドトラックを聴くことができます。
詳細はこちらです。(以前の投稿文を加筆しました。)
『CINEMA』
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CINEMA (3)

2006-06-21 | THE 80'S CINEMA
第3話『マルグリットの失踪』

この第3話は新『ベルリンのピアノ』の撮影開始までの過程が丁寧に描かれ、
映画製作の内幕物としての興味も兼ね備えた、大変見ごたえあるエピソードです。

以前マンダ自らがチネチッタスタジオまで行って
執筆を頼んだものの断られてしまったイタリアの大物脚本家ボルザノが
わざわざ新『ベルリンのピアノ』の脚本の一部を書いてきてフランスまで来てくれているのに、
マンダはその場でそれを読もうともせず
素っ気無い態度で軽くあしらってボルザノが怒って帰ってしまいます。
しかしその事にマンダ自身が理解できず、自分の不徳に気づかないというエピソードは、
常に前しか見ていないマンダ(=ドロン)ならいかにもやりそうなことだなと思ってしまいました。

そして終盤には全4話中最も私が感動したシーンが登場します。

それはガンを患った先輩俳優アンリをマンダが見舞う病院の一室でのシーンです。
マンダ親子にとってかけがえのない理解者であり、
マンダにとっても人生の師といえるアンリが余命いくばくもないことを聞かされたマンダは、
悲しみを胸に秘め、笑顔でアンリと接します。

アンリは昔のマンダの両親の事について、まるで彼への遺言のように話します。
そしてマンダが永年抱いていた自分の出生についての疑念を払拭させる為
アンリは最後に力強くマンダに言い聞かせます。
「君のお父さんは、本当に君のお父さんなんだよ。」と。

アラン・ドロンはその少年期に両親の離婚の影響を強く受け、
その生い立ちには常に孤独というものが宿ってきたことは有名ですが、
そのことを理解してこのシーンのドロンの演技を見ていると、
切なさと感動で胸がいっぱいになってしまいます。
そこに写っているのはマンダではなく正にアラン・ドロンその人自身なのでした。

またこのシーンはアラン・ドロンが実際に見舞ってきた、
ジャン・ギャバンやヴィスコンティ、ポール・ムーリスなどなど
故人となった先輩俳優、恩師の監督たちへのドロンの敬愛の念も画面から熱く伝わってきました。
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CINEMA (2)

2006-06-20 | THE 80'S CINEMA
第2話『ヴァレンヌ街』

この回は映画リメイクに向けて主人公マンダ(フランス語ではモンダと聴こえます。)
の悪戦苦闘ぶりが坦々と描かれていきます。

その苦悩するマンダを支えているのが恋人カロリーヌですが、
彼女はマンダ親子を陥れた張本人である映画『ベルリンのピアノ』製作者の娘であるという、
ここのところが物語上やや説得力に欠ける部分です。

マンダは恋人カロリーヌへの婚約のプレゼントを買いに街中に一人出かけます。
マンダが一人で歩くのを望遠でじっくり捉えたシーンは、
ドロンの「ただ歩くだけの演技」をたっぷりと見せてくれます。
(これはまるでダーバンのCMのような映像です。)
その後ぶらりと立ち寄った店で店員からいきなりサインを求めらてもにこやかに対応する姿は
マンダではなく、まるで素顔のドロンがそこにいるかのような錯覚を覚えます。

新『ベルリンのピアノ』のシナリオ執筆をフランスの映画人ではなく
イタリア人の大物脚本家ボルザノにわざわざ依頼に行くくだりは、
ドロンのキャリアにイタリアという国の存在が欠かせなかった事を
暗に示しているように感じます。

中盤、アメリカのプロデューサーたちに新作の資金援助を依頼する大事な商談にも、
自分の条件を曲げることなく強気に交渉し、
あげくのはては喧嘩同然の物別れになるハチャメチャ振りは
アメリカ映画に対するドロンの姿勢を伺わせるものであり、
フランスの視聴者はここで拍手喝さいしたことでしょう。

この作品のスタッフは
撮影のジャン・ジャック・タルベ、
装置のクロード・ルノワール
衣装のMarie-Françoise Perochon
など、ドロン作品ゆかりのスタッフたちが再結集されている反面、
監督、音楽、音響、など他の部門は新しい世代の人たちによって構成されており、
現場は大変活気に満ちていたのではないかと推察でき、
それが画面からも十分に伝わってきます。
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CINEMA (1)

2006-06-17 | THE 80'S CINEMA
アラン・ドロンがまるで自分自身を投影するかのような
複雑な家庭環境からのし上がった屈折した心を持つ映画界の大スター
ジュリアン・マンダを思いいれたっぷりに演じる重厚なTVドラマ『シネマ』
を数回に分けてご紹介していきます。

この作品は1988年にフランスで放映されたTV作品で、
1話90分×4話の計360分にも及び、
日本では1992年にNHK・BSで4日間に渡って放映されました。
残念ながらそれ以降の再放送は一切無く、見逃した方にとっては幻の作品となってしまいましたが、
近年フランスでDVDボックスセットが発売されました。
(NHKでのドロンの声は当然ながら野沢那智で、誠に見事な吹替え演技を聴かせてくれました。)

今回は第1話『ベルリンのピアノ』です。

戦争中ある映画がきっかけでナチスの汚名を着せられ精神を患ってしまった実の母親
(ドロンのデビュー作『女が事件にからむ時』で共演したエドウィジュ・フィエールが扮しています。)
が永年入院している療養所をマンダが見舞いに訪れる場面から物語は始まります。
親子の複雑で悲しい過去が、この二人のやりとりを観ているだけで浮かび上がってくる
この数分のファーストシーンの語り口のうまさにまず唸らされます。

ここでのドロンの首に巻かれた青緑のマフラーの色合いが非常に新鮮です。
従来の映画作品では見せたことのなかったファッションでした。
(この作品でもドロンの衣装はZEGNAです。)

主人公マンダは母親の汚名を晴らすべく、
その原因となってしまった映画、『ベルリンのピアノ』を正確にリメイクすることに、
半ば偏執狂的な熱意を昔から持ち続けてきており、
いよいよ自分が彼の父親を演じることのできるぎりぎりの年齢に差し掛かってきた為、
これまで以上にその映画の製作に執念を燃やし、
周りのスタッフたちがそれに否応なく巻き込まれていく様が
時折コメディタッチも交えながら丁寧に描かれていきます。

マンダの行動は時に思いつくままのものであったり、また時には冷静に計算がなされていたりと、
非常に矛盾に満ちていて非現実的なやっかいな人物なのですが、
さすがにアラン・ドロンが演じると、これが全く違和感がなくかつ魅力的な人物になってしまいます。
過去の作品で言えば『個人生活』『プレステージ』の主人公が思い起こされます。

元銀行員の私が特に注目してしまうのがマンダが訪れた取引銀行の頭取室でのやりとりです。
マンダは『ベルリンのピアノ』のリメイクの権利を宿敵である映画製作者たちから買い取る為に、
経済的に追い込まれている彼らへの融資の保証人に敢えてなることで恩を売る作戦に出ます。
頭取が簡単にマンダに彼らへの融資残高を言うのは現実にはありえない話でいただけませんが、
その後頭取がマンダに「あなたの預金残高はいくらですか?」と尋ねても
マンダが答えることが出来ないというところは、
彼がかなりの資産家であることを暗に表しており、シナリオがよく描けています。
頭取がコンピューターのモニター画面で974万8千フランの預金があることを確認しますが、
マンダがまるで他人事のように一緒に画面を覗き込む所は笑ってしまいます。

「あれは駄作だった。」と認める自分の昔の作品で助監督をしていた男性を
いきなり『ベルリンのピアノ』の監督に依頼するシーンは、
ドロンが抜擢してきた若手監督たち(ロバン・ダヴィやジョゼ・ピネイロなど)
との出会いがこんな感じであったかもしれないと思い起こさせるものでした。
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PAROLE DE FLIC (4)

2005-05-25 | THE 80'S CINEMA
DVDライナーノーツ中編です。
意味不明な部分が少しありますが、
私の翻訳力のレベルがここまでということでお許し下さい。

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この若い世代の監督(ピネイロ)は、
アラン・ドロンという大スターと一緒に仕事をすることに大変感激していたが、
一方でこの、監督業にも興味を示し、キャメラの後ろで何が起こっているかを、
熟知するスターとどうやって映画を作り上げていくかをよく考えなければいけなかった。

ドロン“私が恐れているのはつまらないことが起こることだけだ。
    この評判は1973年『燃えつきた納屋』撮影中に生まれたものだ。
    私は監督のジャン・シャポーをお払い箱にし、その代わりを引き受けたんだ。
    そうしなければ映画が完成しなかったからね。 
    だから彼のおかげで私は助監督になれたんだよ。
    でも優れた監督たちの前では、私ほど従順な俳優は他にはいない。
    ロージー、メルヴィル、ヴィスコンティやクレマンの前では、 
    私はただキャメラの前でポーズを取るだけさ。”

ドロンの魂の中に住む彼ら巨匠たちと同じだと主張はしないものの、
ピネイロは試合に臨む覚悟は十分に出来ていた。

ピネイロ“私にとってドロンとは、正にスターだ。
    私は最大の力を注いで、彼の可能性を高い次元に持って行きたかった。”

お払い箱になろうがそんなことは問題ない。

ピネイロ“一般大衆向けの娯楽アクション映画の世界に足を踏み入れた途端、
    ドロンはあいまいさを排除して、ストレートで勝負する必要が生まれた。”

ドロンの“性格”についてのうわさを、監督はきっぱりと否定する。

ピネイロ“彼は人々が「できっこない」と思うような作品を作ることを好む偉大な人物だ。
    彼は毎日豊富な餌を欲する野獣であり、決して腰掛に寝そべっている猫ではない。
    監督としての職務を果たせなくなった途端、ドロンと仕事を共にすることは困難になる。
    彼はセットに入ると、頭の中は既にもうアイデアでいっぱいだ。
    彼は数多くの大作に出演し、巨匠たちと仕事をしてきたのだから当然だろう。
    だからもし監督が彼の望むようなシーンを撮影できなければ、
    彼は全て自分独りで代わりに作ることができるのだ。
    だがもし監督が彼が興味を示すようなことを提案できたなら、それはいい按配だ。
    しかしこれは監督の仕事としては、できて当然のことだ。
    これはとても体力を消耗することだが、一方でとても刺激的でもある。
    一番大事なことは、自分の意思を彼にきちんと説明し、
    彼がためらったりすることの無いようにすることだ。
    彼は監督の意思を知りたいのだ。”

ホモの男たちが銃で虐殺されるような場面の撮影では、エピネイのスタジオを出て
ひどい寒さの中、屋外のロケに出なければいけなかった。
撮影用のライトの前で暖を取りながらドロンは次第に忍耐を失いかけていた。
そんな時ピネイロはドロンの所に行き、なだめながらそのシーンの根拠を説明し彼を説得した。
    
ドロンというサムライを「指導する」ということに関して言えば、
ピネイロはきっぱりと否定する。

ピネイロ“私は俳優を指導する、という概念は好きではない。
     私は俳優を操縦したりしない。
     私は彼らと共に働いているのだ。
     映画の初めのシークエンスで、ドロンが子供を乱暴に海に放り投げるシーンがある。
     私はドロンにどうやって放り投げるかなど一切言わなかった。
     ところが彼はいきなり人並みはずれた集中力であれを一気にやってみせたんだ。
     私はそれを見て、あらかじめ準備されていたかのように錯覚してしまった。
     もちろん一発OKさ。

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次回は後編をご紹介します。           
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PAROLE DE FLIC (3)

2005-05-08 | THE 80'S CINEMA
DVDライナーノーツ
「LES COULISSES(舞台裏)」より
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『スワンの恋』と『真夜中のミラージュ』の2作品においてアラン・ドロンが演じた役柄は、
それまで演じてきたドロンのイメージから大きくかけ離れており、
『LE BATTANT』(邦題『鷹』)での成功を喜んでいた彼のファンたちを
かなり失望させてしまった。

ドロン“ベルトラン・ブリエ監督(『真夜中の~』の監督)は
   私のキャリアの中でも最も素晴らしい役柄を与えてくれた。
   そのことには異論はない。
   しかし私のファンは「ドロン」がアル中になることを望んではいなかった。
   『真夜中のミラージュ』が商業的に失敗した今となっては、
   それとよく似た主人公を演じることになる
   アンドレ・テシネ監督との次回作に出る事はできなくなった。”

実際にこのときドロンはパスカル・ブルックナー原作本の映画化で、
ある女性に破滅させられる男の役柄をオファーされていた。
結局この作品にドロンは参加せず、
1992年にロマン・ポランスキー監督によって
『赤い航路』として映画化された。

ドロン“私はやむを得ず『真夜中のミラージュ』のイメージとは正反対で、
   なおかつより伝統的な「ドロン」に戻ることにした。
   そのためにあの作品のイメージを打破し、冒険アクションに舞い戻る必要があった。
   それこそが観客が見たい「ドロン」なのだと私は確信したのだ。”

問題がその後に発生した。
『危険なささやき』『鷹』の2作品でその実力を証明させた監督の腕前を
ドロンは新作でも引き受けるかどうか?ということだ。
結局ドロンはキャメラの後ろで演出することを今回は拒絶した。

ドロン“監督の仕事はあまりにもハードでヘヴィーだ。
   今度の作品には肉体的な準備が必要で、とても俳優と監督の二足のわらじは履けない。”

では一体誰にこの野心的な作品の監督を任せることができるだろうか?
ジャック・ドレーやジョゼ・ジョバンニらの永年の友人の監督たちと仕事するのではなく、
主演のスターはむしろ新しい空気が必要だと感じていた。
そしてドロンは監督にジョゼ・ピネイロを考えついた。

ピネイロ“私のエージェントがある日ドロンが新しい血をさがしているぞ、と予告してきた。
    そのときまでに私は2本の作品の監督をしていたが、
    とてもアクション映画と呼べるようなものではなかったよ。(笑)
    かなりのプレッシャーと少しばかりの社交心を抱きながら
    私はこの2作品をドロンに見せにブローニュのスタジオに行ったんだ。
    彼はそこに自分用の映写室を持っていた。
    まず初めに『Les Mots Pour Le Dire』が上映された。
    そして映画が始まってからちょうど5分を過ぎた頃、ドロンが席を立とうとした。
    ところが当時ドロンのパートナーで、その場に一緒に来ていたカトリーヌがドロンに
    最後までこの作品を見たいと言ってくれたんだ。
    するとドロンが座り直して、上映が再開した。
    結局彼は私のもう1作品もその場で見てくれた。
    その上何とドロンは私に月曜日の朝に来てくれと言い、
    シナリオを手渡してくれて、
    もし監督を引き受けてくれるなら、今から4時間後に返事を聞かせてくれ、
    と言ってくれたんだ。
    これはうそじゃないのか?!本当なのか?っていう心境だったよ!”

この自由奔放で心理学に夢中な若手監督がドロンとコンビを組むとのニュースは映画界を驚かせた。
そして今ではこの二人のコンビネーションは重みのあるものとなっている。

ドロン“監督の住む世界と私のとは確かに異なってはいる。
   しかし彼はその個性や才能ばかりでなく技術的な事でも私が望むものを導き出してくれる。”

ピネイロの編集の技術に接して、ドロンはますます彼のテクニックを評価するようになった。
彼はアクションシーンに欠くことのできないリズムのセンスを持ち合わせていた。

ピネイロ“ドロンは私に言ってくれたんだ。
    君は今まで小さなトロール漁船の船長だった。
    でもこれからはスーパー・タンカーの船長になるんだ!ってね。”


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ドロンとジョゼ・ピネイロ監督は、この作品の後も3つの作品
(『私刑警察』『FABIO MONTALE』『LE LION』)でコンビを組んで、
ジャック・ドレー、ジョゼ・ジョバンニ監督に次いで多く
ドロンとのコラボレーションをその後展開していくことになるわけですが、
そのきっかけとなったのが当時のドロンのパートナーであったカトリーヌさんの
“最後まで見たい。”という一言であった、というのが何か運命的なものを感じます。
(カトリーヌさんは先日のジュネーヴでのドロンの舞台公演にも招待されていました。)

ドロンがこの監督を抜擢したエピソードは、
TVドラマ『シネマ』の中で若手監督を突然新作に起用することを決めた決断力を
思い起こさせるもので、翻訳しながら大変興味を持ちました。
ピネイロ監督の喜んだ姿が目に浮かぶようです。

しかし残念なのはドロン主演の『赤い航路』が実現しなかったことです。
(オファーされていたのはピーター・コヨーテが演じた役です。)
もしドロンがテシネ、あるいはポランスキーと組んでいたら、
これはこれで映画史に残る素晴らしい作品になっていたことと思います。

ライナーノーツでは否定的に書かれていましたが、
80年代前半、ドロンが40歳代の後半に『スワンの恋』『真夜中のミラージュ』
という2本の異色の作品を残してくれたことは、20年経った今となっては
ドロンのキャリアにとって(その商業的な失敗は別として)大変貴重なものです。
そしてこういった作品がアクション刑事物の作品群の間に存在することこそ、
ドロンが共演した他のスター俳優たち(ベルモンドやブロンソン)と一線を画する要因である
と私は思っています。

次回はライナーノーツ中編を御紹介します。
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PAROLE DE FLIC (2)

2005-05-01 | THE 80'S CINEMA
初めてこの作品を見たとき、
いつものアラン・ドロン作品にはない違和感を覚えました。
冒頭の格闘ごっこをしながらその相手に、
あるいはビルの屋上にぶら下がり起き上がる場面で、
ツバを吐きかける汚らしいシーンがその原因です。
で、私なりに出した勝手な結論は、
ドロンはこの作品でチャールズ・ブロンソンを意識していたのではないか?
というものです。
ブロンソン的な、甘さをそぎ落とした男臭い役柄を、
50歳になったら演じてみようとドロンは思っていたのではないでしょうか。
上記のマッチョな汚らしいシーンも、ブロンソンが演じれば違和感のないものですし、
ストーリーそのものがブロンソン53歳の時の代表作『狼よさらば』に似ています。
決して彼のまねをしているのではなく、
13歳年下のドロンがブロンソンに敬意を表したオマージュ的な作品なのだと思いました。

以上は勝手な私の思い込みですが、
共演者に対して常に敬意を払ってきたドロンの懐の深さを思うと、
飛躍しすぎる考えとも思わないのです。

この映画のサーカスのクラウンのシーンも、
いつものドロン映画には見られなかった珍しい場面ですが、
これも私なりのうがった?見方があります。
この映画の同じ年にジャン・ポール・ベルモンドが、
『ホールド・アップ』(日本未公開作、NHK・BSで初放映)という作品において、
ピエロの扮装をして銀行強盗を働く場面があるのです。(写真右側)
当時ドロンはベルモンドにかなりの対抗心を持っていたことは間違いなく、
同じ年に公開されたこの作品で、
「俺だってベルモンドに負けはしない、ピエロを演じることぐらい俺にもできるんだ・・・」
と無言のアピールをしたのではないか、と思うのです。
これも決してベルモンドのまねをしているのではなく、
負けず嫌いなドロンであればこその野心的な演技であったと思います。
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というような感想文を以前ある掲示板に投稿したことがあったのですが、
フランス版DVDの詳細なライナーノーツを翻訳してみると、
いろいろと興味深い内容が書かれていました。

次回は前中後編の3回に分けて、その内容をご紹介いたします。
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PAROLE DE FLIC (1)

2005-04-30 | THE 80'S CINEMA
Parole de flic (1985)

この作品は日本では当時劇場未公開でしたが、
1988年の日曜洋画劇場で『復讐のビッグ・ガン』という題名で初めて日本に上陸しました。
その数年後に『凶悪の街』という題名でヴィデオ発売されました。
(どちらの題名もB級映画のようであまり好きになれません。)

TV初放映時の故淀川長治氏の番組冒頭の解説を、
ヴィデオを見ながら書き写しましたので、ここに再現いたします。

“この映画はアラン・ドロン(以下AD)の製作、3人の脚色の1人がまたADなんです。
そして主演がAD、まあADが揃いましたね。
それもそのはず、この映画は1985年の新しい日本未公開の作品です。
で、この新しい映画、実はちょうどこの年、ADは満50歳、
それで50歳を記念して、自分の50歳を祝っての野心作、これに命を懸けて作りました。
だからADは見事に張り切ってますよ。
タイトルが済むとバッチリADが出てきますよ。
終わりの方でADは英語で歌を歌いますよ。
まだその他にADはおもしろいことにサーカスのクラウンのメーキャップを
皆さんの前でお見せしますよ。
まさにADのサービス100%でございます。
~中略~
しかし共演がいいんですね。ジャック・ペランなんですね。
あぁ珍しいなあジャック・ペランとアラン・ドロン!
ジャック・ペランと言えば~出演作の紹介~がありましたね。
そういうわけで“ジャック・ペランとアラン・ドロンが共演してる”ゆうのが、
今日の粋な本当の配役の面白さですね。
原題は『刑事の約束』といいます。
この新しい日本未公開の作品、さあ皆さんじっくり今晩はADを楽しんでくださいね。
さあそれではご覧下さいね。”

こうやって書き写してみて、短時間でこの作品の醍醐味を全て言いつくしている事がわかり、
改めて故淀川長治氏の名解説の素晴らしさを感じ取りました。
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LE CHOC (4) 

2005-04-17 | THE 80'S CINEMA
DVDライナーノーツの後半の翻訳です。
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撮影開始前からアラン・ドロンはカトリーヌ・ドヌーヴとの共演を心から喜んでいた。
“プロデューサーたちのイマジネーションには誰もが疑うだろう!
ドヌーヴと私を再共演させようなんて今まで誰が思ったことか。
私たちの共演はメルヴィル監督作『リスボン特急』以来のことさ。”

そして撮影終了後もドロンはドヌーヴとの仕事に満足であった。
“私は彼女の輝く美しさと有り余る才能を目の当たりにした。
彼女と共に仕事をすることで、私はヨーロッパの大スターに舞い戻ったような気がする。
そして私たちはスクリーンの上に信頼できる本物のカップルを作り上げた。
ここが大変重要なことだ。どんな映画でもこうなることはない。これがプロの仕事だよ。”

一方ドヌーヴはドロンとの共演に当たり、この作品は推理小説(ポリシエー)ではあるが、
ラブストーリーであることを女優として主張する。
“今までのドロンの作品は「男の映画」だったわ。女性は皆助演にしかすぎなかった。
この『LE CHOC』は永年のドロンの作品群の中で初めて
復讐の気持ちよりも愛情が重要なテーマの映画なの。
私たち二人は敵と戦う中でその二つの気持ちが混ざり合っていくの。”

ドヌーヴはアクション・シーンの撮影も十分に楽しんだ。
“今までの私の作品で肉体的に激しいアクションシーンがあるものはなかったわ。
この作品では私は人も殺すし、おまけに相手は女性なの。
しかしそれは私自身やアランの命を守るために行うことよ。”

ドヌーヴはその他にドロンと初めて出会う場面で3000羽の七面鳥とも共演した。
彼女にとって忘れられないシーンのひとつである。

1982年に封切られたこの映画は、ドロンとドヌーヴ共演がマスコミを賑わせた。
しかしながら批評家たちの反応はやや穏やかなもので、
ドロンがいつものポリシエにしか出ない事をやや残念がった。
“観客に驚きはない。ドロンはいつものイメージに忠実だ。”

プロデューサーの期待よりは下回ったものの、封切り後この作品は
1,508,218人の観客を動員した。
特にパリでは251,573人の観客が劇場に足を運んだ。

“大女優との共演”の成功にはずみをつけて、
ドロンは次回作としてロミー・シュナイダーを共演に再び迎え、
ピエール・グラニエドフェール監督がメガホンを撮る
“L’UN CONTRE L’AUTRE”
の撮影の準備に取り掛かった。
“私たちフランス映画界の二人の大スターの共演で観客にまた夢を見てもらえるよ。”
しかしながら1982年5月29日ロミーは死去し、
それ以降この作品が彼女なしで製作されることは二度となかった。
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この作品のサントラについてはこちらです。
『LE CHOC』


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LE CHOC (3) 

2005-04-12 | THE 80'S CINEMA
DVDの詳細なライナーノーツの翻訳作業に取り掛かってみましたが、
いろいろと興味深い事実が判明しました。

今回はその前半部分の抜粋を記します。
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ジャン・パトリック・マンシェットの原作本が1981年に出版されるとすぐに
ドロンはプロデューサーのアラン・サルドとアラン・テルジアンから出演要請の電話を受けました。

映画の題名は最初『POINT D’IMPACT』でしたが『LE CHOC』に改題。
シナリオは当初二人の脚本家が書いたものにドロンと
監督のロバン・ダヴィが大幅に手を加えて修正されました。
小説では、主人公は貧乏で評価も低い雇われ殺し屋で、昔の恋人に再会したことで仕事を再開する、
といったものでしたが、
映画では主人公をドロンのイメージにより近づけるため、裕福で、評価の高い雇われ殺し屋で、
偶然に出会った女性と恋に落ちる、といったものに変更されました。

監督のロバン・ダヴィを抜擢したのはドロンではなく、
プロデューサーの二人(いずれも当時30代)でした。
彼らは二人の大スターの新しい魅力を引き出そうと、若いこの監督を抜擢したのです。

キャスティングについては、
アラン・サルドがアンドレ・テシネ監督の『海辺のホテルにて』でドヌーヴと、
一方のアラン・テルジアンが『未知の戦場』『ポーカー・フェイス』でドロンと、
既にそれぞれ仕事を共にしており、二人の共演には大きな障害はなかったようです。

撮影は予算も豊富で順調にスタートし、
マラケッシュ、ブリターニュ、パリでロケ撮影が行われました。
二人の素晴らしくかつ美しい大スターと撮影現場を共にしながら、
スタッフたちはこの二人の新しい魅力を引き出そうと懸命に働きました。

ところがこの現場で、監督とドヌーヴの間に衝突(正に“CHOC”)が起こってしまいました。
出来上がった作品にはそのような気配を感じることはありません。
なぜならドロンが険悪な二人の仲を時間を掛けて取り持ったからなのです。

ドヌーヴは“せっかくのドロンとの再共演の作品であったにもかかわらず、
こんなトラブルが起こってしまい残念だった”
と1984年のカイエ・デュ・シネマ誌のインタビューで答えています。
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以上、かなり意訳ですが、だいたいこのようなことが書かれていました。

後半に続きます。
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LE CHOC (2)

2005-04-07 | THE 80'S CINEMA
映画の前半、パリでの殺し屋ドロンの日常生活の描写は、
70年代のフィルムノワールのタッチを期待して見ていると、
不必要なヌードシーンや笑えないユーモアが多くこれは一体何事かと困惑してしまいます。

しかしながら
財産の管理を任せていた別れた妻(ステファンヌ・オードラン怪演)がドロンに無断で
経営権を買い取っていたドヌーヴ夫妻が運営する七面鳥農場に、
パリを追われたドロンがやって来る中盤から映画の雰囲気はがらりと変わります。

そこからはドロンとドヌーヴの共演の妙がいたる所に見られます。

フィリップ・レオタール演じる情緒不安定な夫からドロンとの情事を責められて
鳥の餌を全身にかけられてキレたドヌーヴは農場を車で飛び出します。
その彼女を心配して追いかけてきたドロンと浜辺を二人で歩きやがて抱き合うラブシーンは
それまでのドロン映画には見られなかった叙情的なものです。

壊れた自分の車を修理工場に出しているドヌーヴを、
車の運転席からいとおしく見つめるドロンの深いやさしい笑顔は演技以上に
ドロン本人のドヌーヴという大スターへの畏敬の念も込められていると感じました。
そのあと海辺のレストランで食事の際、
ドロンが飲んだワイングラスをそのまま手に取って口につけるときの
ドロンに向けるドヌーヴのまなざしや、
農家に帰った二人を襲撃したテロリストを撃退してパリに舞い戻り、
潜伏したホテルのベッドに疲れて倒れこんだドロンの横顔の額から鼻筋、唇へと
つたわせるドヌーヴの人差し指の演技など、
ドヌーヴに対して受身一方になるドロンもかなりめずらしく感じます。

2人の大スターがお互いに敬意を表しその思いが画面ににじみ出てくる、
これこそが正にスター映画と言えるのではないでしょうか。
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LE CHOC (1)

2005-04-06 | THE 80'S CINEMA
Choc, Le (1982)

今年の1月にフランスでDVDが発売されました。
高画質で見直してみると、改めてこの作品でのドロンとドヌーヴの演技に魅了されます。

日本でのVTR発売題名は『最後の標的』(いい題名だと思います。)
日曜洋画劇場での放映題名は『必殺ビッグ・ガン 最後の標的』(必殺~は余分です。)

1982年のこの作品は『未知の戦場』での興行的な大失敗で痛手を負ったドロンが、
娯楽アクション路線に転向した『ポーカー・フェイス』『危険なささやき』に続く
ジャンパトリック・マンシェット原作本の映画化第3弾で、
共演に『リスボン特急』以来2度目の共演となるカトリーヌ・ドヌーヴを迎えた意欲作です。

『リスボン特急』でのドヌーヴは当時妊娠中であった為ほとんどゲスト出演といった感じで
出演場面は少なかったのですが、この作品では中盤からドロンと対等に渡り合って
見せ場も数々あり、まさに本格的な共演となりました。
またドヌーヴの他にもこの作品にはステファンヌ・オードランやフィリップ・レオタールが助演しており
何とも贅沢な配役です。(しかし日本では完全にこの作品は無視され劇場公開には至りませんでした。
当時は歯痒い思いをしたものです。)

監督はロバン・ダヴィという聞きなれない名の監督ですが、
『愛人関係』『プレステージ』で助監督をしていたようなので、
恐らくドロンが抜擢人事で任せたのでしょうか。
演出はかなりきっちりしており、所々とても印象的なシーンを作り出してくれています。
IMDBではドロン自身も監督に名を連ねていますが、どういう意味なのかは不明です。
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Un amour de Swann  スワンの恋 (4)

2005-04-05 | THE 80'S CINEMA
スワンとシャルリュスが昔の日々を二人で語り合う終盤のシーンは
とても味わい深いものがあります。
そしてスワン夫人を見つけて名前を呼ぶ実質的なラストシーンはドロンの顔のアップで終わり、
映画の要所をドロンが締めたことに、
フォルカー・シュレンドルフ監督のドロンへの敬意を感じました。
ここのシーンはそれまでの誇張した演技(多分年齢的に若い設定だったのでしょう。)ではなく、
かなり実年齢に近い(撮影当時47歳)シャルリュス男爵を演じているので、
とても上品な枯れた魅力を見せてくれます。

80年代は作品的に見てドロンの迷走期といえるのですが、
この作品は正に60年代のヴィスコンティやクレマンら
巨匠作品での登場人物を演じた頃の初心に帰ったような、
「スター」ではなく「役者」としての野心を感じさせるものでした。

ドロンはこの次の作品「真夜中のミラージュ」で、
人生に絶望しかけた中年の平凡な男を見事に演じ、
セザール賞主演男優賞に輝くわけですが、
この「スワンの恋」への出演が伏線としてあって、
俳優としての自我に改めて目覚めたのではないかと感じました。
脇役でありながら、あえて出演したドロンの懐の深さと、
彼の素晴らしい演技力に乾杯!!
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