LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

BORSALINO (2)

2007-07-19 | THE 70'S CINEMA
前回の続きです。

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『ボルサリーノ』はアメリカン・タッチのギャング映画であり、
当時このような分野では『シシリアン』や『さらば友よ』などにおける演技で
アラン・ドロンの方がより輝いていた。
一方のジャン・ポール・ベルモンドは『ある晴れた朝突然に』の主演で失敗して以来、
このようなジャンルの作品への出演はなかった。

二人のスターは『ボルサリーノ』の撮影中、いつも互いにいがみ合っていた、
などという記事をよく見るが、それは全くの誤りである。
彼らの「けんか」は撮影終了後の期間のみに起こったに過ぎない。
しかもそれはあくまで契約上の問題であって、長引くことなく和解した。
当時二人は互いに攻撃し合い、そして二人とも失敗していたので
新聞社が強力に仲裁に入ったのであった。

“二人がけんかしたのは事実だよ。”1977年にドロンは告白した。
“でもそれは決して映画の宣伝行為でもないし、
ましてや二人の気まぐれからのものでもなかった。
あれは私のミステイクによるところが大きかったんだ。
あるいはあの映画で私がプロデューサーでもあったということに対する
ジャン・ポールの無理解にも原因はあった。
つまり契約条項に関して二人の認識が違っていたということなんだ。
決して気まぐれなけんかなどではなく、それなりの理由があった。
ある日私たちは話し合って和解したんだ。
もうこのような愚かなことに時間を費やすことはやめようって。”
(Cine Revue誌 1977年11月28日号)

『ボルサリーノ』はもともとアラン・ドロンの発案により
実在したマルセイユの有名な二人のギャングの人生を描こうとしたものだった。
そしてドロンは企画当初からベルモンドを共演者として想定していた。
しかしプロジェクトが進行する途上で、
物語のモデルとなる二人のギャングたちの関係者たちからの圧力が加わり、
ドロンは史実のリアリティーを追求することは断念することになった。
そして企画そのものはフィクションへと移項し、
主人公二人のキャラクターは名前を変えて、
フランソワ・カペラとロック・シフレディとなったのだ。
ロックの名前は映画のスタッフであるマネージャーの名前から取ったもので、
映画の成功とともにその名前も知れ渡ることになった。

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次回に続きます。
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BORSALINO (1)

2007-07-18 | THE 70'S CINEMA
皆様お久しぶりです。
更新ができなくてもいつもたくさんの方々にお越しいただき、
大変ありがたく感じております。

さてジャン・ポール・ベルモンドがいよいよ映画に復帰か?という
大変嬉しい情報を見つけました。
http://www.cinemapassion.com/news/actualite-3623.html

というわけで今回から4回に亘りドロンさんとベルモンドとの本格的な共演作品
『ボルサリーノ』を取り上げたいと思います。

まずは以前ご紹介したDelon・Belmondo
の中に本作に関する文章がありましたので、その抜粋をご紹介します。

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『黙って抱いて』での初共演以来12年ぶりの、
アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドの本格的共演作である本作は
公開前からメディアや大衆から大きな期待を持たれていた。
なぜなら初共演以来二人のキャリアはそれぞれが頂点に向かって上り詰め、
2人はスター、いやスーパースターとして映画界に君臨していたからであった。

1969年9月にジャック・ドレー監督の下に『ボルサリーノ』の撮影が始まったが、
この作品で二人のうちどちらが勝利を収めただろうか?
アラン・ドロンは『さらば友よ』と『太陽が知っている』の2本の作品で成功を収めていたが、
一方で『悪魔のようなあなた』『あの胸にもう一度』『ジェフ』では
全くの不発に終わっていた。
それゆえ彼には今一度自分自身の実力を再興させる必要に迫られていた。

一方ベルモンドの方はどうかといえば、
『オー!』『暗くなるまでこの恋を』では商業的な成功を収められなかったが
大ヒット作『大頭脳』が上の2本の間にあり人気スターとしての地位はゆるぎなかった。

そういう面ではドロンの方がベルモンドよりもこの作品に期するものが
大きいように感じられるが必ずしもそれは正確ではなかった。
というのもこの作品の直前にドロンの出演作『シシリアン』が公開され、
その作品の質的なレベルの高さとともに大衆からも絶大な指示を集め、
彼はその年の新聞紙上で選ばれる「フランスで最も尊敬される10人」の中に
映画界から唯一名前を連ねていたのであった。

一方ベルモンドの方は同じ年にクロード・ルルーシュ監督作品
『あの愛をふたたび』に主演したものの商業的に失敗していた。
『シシリアン』が1969年の興行収入のベスト3に入っていたのとは対照的であった。

二人の俳優がこの作品の撮影に入る直前にはこのような背景があったのだ。

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次回に続きます。
Comments (4)
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